私の三丁目

映画「ALWAYS 三丁目の夕日」と共によみがえるあの頃、そして今

幸せとは何でしょうなぁ

2012-02-19 10:00:42 | 映画「三丁目の夕日」

昨夜、夕日町三丁目を訪問しました。4 回目の昨夜は「2D」での鑑賞でした。 

「巣立ちの物語」と言われている今回の作品。茶川先生、鈴木オートの則文さんの二人が、実の子供ではないのに、それ以上の愛情を注いできた「息子」と「娘」の巣立ちを後押しするまでが描かれています。

親という者は、茶川先生が「小説家なんてとんでもない。東大を出て一流の会社に入って、安定した暮らしを送って欲しい」と願うように、「子供が幸せになるための人生のロードマップ」を、(勝手に)思い描くものかもしれません。

則文さんの一平に対する気持ちも同じで、「順調に成長している鈴木オートの跡取りとなって、さらに会社を発展させてくれれば、幸せな人生を送れるに違いない」と思い込んでいます。

六ちゃんに対しても、「結婚相手は、時期がくれば俺が幸せになれる相手を選んでやる。医師とはいえ、評判の悪い若造とつきあうなんてとんでもない」くらいの気持ちだったのでしょう。

しかし、親が思い描く「幸せのロードマップ」とは真逆の方へ走ってしまうのが、子供というものなのかもしれません。

そんな時、親は子供の前に立ちはだかり、衝突してでも軌道を修正させようとします。

ところが、「親という人種」は、衝突の後で「望みをかなえてやることが、子供の幸せなのではないか」と迷いはじめます。子供の方も「育ててくれた親の子に対する希望を叶えてやりたい」と考え直します。

そして最後には、親が自分の気持ちを封印し、子の夢を叶えさせるために、自ら子の背中を押すのです。

そんな茶川先生に淳之介が叫ぶ「僕はおじちゃんの気持ち、全部わかっていますから」のセリフは、子もまた親の本当の気持ちを理解したことを教えてくれます。

親と子の関係は、衝突、再考、そして受容というステップの繰り返しのように思えます。少なくとも、あの頃はそうでした。「衝突と再考を経ない受容」は、単なる「放置」にすぎません。

幸せとは何でしょうなぁ...。

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