日蓮聖人のご霊跡めぐり

日蓮聖人とそのお弟子さんが歩まれたご霊跡を、自分の足で少しずつ辿ってゆこうと思います。

金榮山妙成寺(羽咋市滝谷町)

2018-12-03 22:41:27 | 旅行

上洛の前に日蓮聖人にゆかりのある場所を巡拝された日像上人は、佐渡から七尾に向かう船中で石動山天平寺の学頭・萬蔵法印と法論し教化しました。
萬蔵法印は法名を「日乗」と改めました。



日乗上人が建立した、とても有名なお寺・妙成寺を訪問してきました!



妙成寺は能登半島の西海岸、現在の羽咋市にあります。



わぁ~、五重塔があるんですね!五重塔は遠景がグーだと思います。



かなり離れている場所だけど法塔があります。


ここから先が寺域という目印でしょう。



総門です。黒門ですね~。



へぇ~、妙成寺の五重塔を国宝にしようという動きがあるんだ!



妙成寺は見どころが多そうですが、順路が設けられており、堂宇の見逃し、拝観忘れがなさそうです。



受付の脇の道沿いには塔頭寺院が沢山!
多くの方々により維持されている巨刹ということが窺えます。



二天門です。
江戸初期の建立で、現在は国の重要文化財に指定されています。


阿行と


吽形。


山号は「金榮山」です。



浄行菩薩がお祀りされているお堂です。
開山の日像上人は浄行菩薩の生まれ変わりだと言われているようです。



歴代お上人の御廟を参拝。
歴史が古いだけに、幾層にもわたって歴代の墓石が並んでいます。


その中央に開山堂があります。

鎌倉を出立して日蓮聖人のご霊跡を巡拝してきた日像上人は、ここ滝谷で日乗上人と別れ、京都への道を急いだそうです。
日像上人は日乗上人との出会いを殊に特別なものと思われたのでしょう、鎌倉から携えてきたエンジュ(槐)の杖を、地面に差したといいます。


のちに杖から芽が出てきたそうで、滝谷の地に深い縁を感じた日乗上人がお寺を建立した、というのが妙成寺のルーツです。



経堂です。
天海版の一切経だけでなく、法華経8巻分の版木・64枚も納められているようです。印刷技術がなかった時代、版画のように紙に写すことができれば、多くの宗門僧侶達に安定して経文を供給できるという発想は素晴らしいですが、実際に法華経の一字一字を版木に刻んでゆくのはホント、気が遠くなる作業でしょう。先師先哲の執念を感じずにはいられません。



妙成寺のランドマーク・五重塔です。
江戸初期の建築で、国の重要文化財に指定されています。


この五重塔の特徴は、薄い板を層状に重ねた屋根になっている点で、こういう構造を栩葺(とちぶき)と呼ぶそうです。


扉に刻まれた動物の彫刻がキレイ!


妙成寺は加賀前田家の祈願所として、長く外護されてきました。

境内には加賀前田家の方々の御廟が数多くあります。特に三代藩主・前田利常の生母である寿福院殿は、法華経の篤信者だったそうです。
現在の妙成寺の伽藍群は、初代・利家から五代・綱紀の頃に造営・整備されたものなのです。



境内の一番奥に、丈六堂があります。


内部には丈六の釈迦牟尼仏立像がお祀りされています。
宗門屈指の仏師・中正院日護上人の作だそうですよ!

日護上人といえば・・・

養老の妙見堂の丈六様や、


身延山・上ノ山の丈六堂の丈六様を彫り上げた方でもあります。


ただ、妙成寺の丈六様、確か頭部だけは浜に打ち上げられていたもので、頭部に合わせて日護上人が胴体を彫られたようなんです。
全然が違和感なく、日護上人の腕の確かさが窺えます。


境内には・・・

閻魔堂


三十番神堂


三光堂などが建ち並びます。

特に江戸時代に隆盛を極めた、庶民の信仰そのものです。


見えないものを畏れる、敬うという日本人のマインドは、時代とともに失われてゆきました。
スマホで検索すれば何でもわかる現在、「目に見えないもの」はないに等しいのかもしれません。


一方で何でも調べがつく、科学的に検証できるということは、人から謙虚さを奪い、傲慢にしてしまうという負の側面も持ち合わせています。現代人の心の荒廃は行く末が見えません。
古の日本人が仏や神への信仰を通じて、道徳や規律を守ったり、集落の自治を巧みにしていた・・・その知恵の一部でも見習えば、軌道修正ができるかもしれません。
つい最近、ユネスコ無形文化遺産にナマハゲなどの来訪神が認定されたことなどは、温故知新、我々が一旦立ち止まって自らを見つめ直すいい機会だと思います。



本堂です。
とても落ち着いた佇まいのお堂です。他のお堂と同じく、こけら葺きの屋根です。



祖師堂です。
中央にお祀りされた日蓮聖人のご尊像の両脇に、日像上人の師匠である日朗上人、そして日像上人のご尊像が鎮座されています。
今日、僕が何の迷いもなくお題目を唱えることができるのは、このお三方が懸命に信仰の基礎を作って下さったからです。各地のご霊跡を巡拝して、心からそう思います。
感謝の気持ちを込めて合掌しました。



妙成寺のすごいところは、創建されて以来、一度も火災に遭っていない点でしょう。
圧倒的多数の日蓮宗寺院は、過去に何らかの火災(戦災、法難、震災も含め)に遭っており、なかなか往時そのままの姿を拝観することはできません。
妙成寺の伽藍群は江戸初期の建築、ということはその前の桃山時代の建築様式を色濃く残しているそうです。先人が遺してくれた宝物です。これからも末永く護られてゆくことを祈ります。




五重塔の下に、日像上人のご尊像がありました。


七尾の公園にあるご尊像と比べると、お年を召した頃の日像上人だと思われます。
何かを書かれているのかな?

ご尊像の後ろに回り、手にされている書物を見てみると・・・

「若於園中 若於林中 若於樹下・・・」
如来神力品のようですね。お弟子さん達に解説されているお姿かもしれません。妙成寺は「日像上人弘法最初の霊地」ですからね、とても印象深いご尊像です。
日像上人がどんなお話をされる方だったのか、タイムマシンがあったら是非とも行って、聴講してみたいものです!



いや~、話には聞いていたものの、妙成寺、見どころ多くてお腹いっぱい!



帰り道、道端に大きな法塔があるのに気が付きました。


七面山だそうです。


遠く身延山の後方に鎮座し、法華経と法華経の行者を守護して下さる神様が、この小高い丘にも勧請されているようです。


お堂がひっそりとありました。
雪の対策なんでしょう、周囲がガードされていました。


鳥居の扁額には「感應閣」。

日像上人の教えに感応した日乗上人を起点として、何百年にもわたって教えが脈々と受け継がれて今に至る・・・。感応の妙を感じた訪問でした。
末永く北陸の宗門をお護り下さい、と七面大明神に祈願して、滝谷の地をあとにしました。

























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