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1274年3月7日、奇跡的に佐渡・小木海岸に漂着した日朗上人は、学法房に介抱され、庵で夜を明かしたそうです。
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翌3月8日の早朝、日朗上人は日蓮聖人のもとへ赦免状を届けるために出発しました。
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小木を出発して日蓮聖人がいると思われる国仲平野へ抜けるには、小佐渡山地を越えなくてはなりません。
僕が訪問したのが8月中旬ですから、その真逆の季節・・・恐らく山中には沢山積雪があったに違いありません。
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日も暮れ、辺りが暗くなる中、土地勘のない日朗上人は声の限り「お師匠さま~」と呼びながら歩き続けたそうです。
つい20日ほど前に鎌倉の土牢を出され、必死で山野を歩き続けたのち、荒れる日本海で遭難し、昨日漂着したばかりの身体・・・もう精も根も尽き果てようとしていました。
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その頃、日蓮聖人と日興上人はたまたま用事で中興入道の屋敷に来ており、その帰り道、静まる国仲平野の先にかすかに「お師匠さま~」の声を聞いたといいます。(諸説あるようです)
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やっと、やっと日朗上人が日蓮聖人に出会えた場所がこの緩い坂だと言われています。
画像の左手の茂みが、いわば小佐渡山地の麓、くらいの位置関係です。
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日朗坂です。
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現在、坂は県道65号線になっており、県道沿いに法塔がお祀りされています。
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もう歩く力も残っていない日朗上人は日興上人に抱えられながらも、首に掛けた赦免状を日蓮聖人に手渡したのでしょう。
命懸けで持ってきた赦免状なのです。思いが果たせた瞬間でした。
(↑画像は経島の日朗上人ご尊像)
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日蓮聖人は殊のほかお喜びになったと伝えられています。
それは、自らの赦免の知らせよりも、一刻も早く赦免状を届けようと、最愛の弟子が遠い鎌倉からやって来てくれたことに、感激したのだと思います。
さてさて、日蓮聖人は赦免状をどこでご覧になったのだろう・・・?
実は、「御腰掛石」にお座りになって・・・のようなんですが、次回を待て!!