日蓮聖人のご霊跡めぐり

日蓮聖人とそのお弟子さんが歩まれたご霊跡を、自分の足で少しずつ辿ってゆこうと思います。

経島(佐渡市小木)

2018-09-02 12:12:48 | 旅行
佐渡法難の数年前から、モンゴル帝国による日本侵攻の兆しは見られていたようです。国書が繰り返し届き、幕府への揺さぶりが始まっていました。
九州守護で焦る幕府内では案の定、内乱が起こり、混乱に拍車がかかりました。

いずれも日蓮聖人が以前から幕府に訴えていた「他国侵逼難」「自界叛逆難」に他ならないことは、誰の目にも明らかでした。
そうなると、「あの日蓮という僧侶は何者なのだろう?」「本当に予言者なのか?」と人が思うのは自然なことでしょう。


幕府は1274年2月14日付で日蓮聖人に赦免状を出し、また龍ノ口の一件以来、牢に入れられていた弟子や信者を解放しました。


↑鎌倉長谷・光則寺の土牢から出された日朗上人は、自分の釈放よりも日蓮聖人の赦免を、それこそ飛び上がるように歓喜したでしょう。
早速、赦免を伝える役人とともに佐渡に向かったと言われています。



寺泊から海を渡ろうとしましたが、まだ3月の日本海ですからね、途中で海が荒れ、遭難してしまったそうです。
一説には日朗上人含め3人が海を渡ろうとしましたが、日朗上人以外は行方不明になってしまったといいます。



気付くと日朗上人は佐渡南西の、小木海岸に漂着していました。



日朗上人がたどり着いたのは、現在観光地として有名な矢島経島の「経島」でした。
右側の大きいのが矢島で、矢の材料となる良質な竹が採れたそうです。
経島はその左側の岩です。こう見るととても小さいですね!



矢島経島の周辺にある岩礁は橋でつながり、一周300mほどの遊歩道になっています。



遊歩道に囲まれた半開放の入り江では、佐渡名物・たらい船観光が楽しめます。
15分で500円!



経島へ行くには、風流な赤い太鼓橋を歩いて渡ります。



宝塔がありました。


日蓮聖人の遠忌に奉納された宝塔のようですね。



宝塔の右側に、細~い道、いや道とはいえない草を踏み固めた跡があります。



ヨイショっと!
数メートル岩を上ります。(年配の方にはおすすめできない傾斜です)



岩の頂上に祠がありました。



読経中の日朗上人のご尊像です。
日朗上人以外の方は海上で行方不明になってしまったわけですから、文字通り奇跡的にこの島に漂着しました。
しかし日が暮れ、頼るあてもない日朗上人は、ここで高らかにお経を読みながら夜を明かしたそうで、これが「経島」の名の由来のようです。



何か岩の上に腰掛けています。



首から提げているのが、赦免状だと思われます。
僕の勝手な解釈ですが、日朗上人がここで読経していたのは、自分の命が助かったことへの感謝というよりも、赦免状が海を越えたことへの感謝を込めた読経だったと思います。



それにしても、師孝第一の日朗上人らしいご尊像を、経島の見晴らしのいい場所に、よくお祀りしたものだと思います。
我々信徒が日朗上人を偲ぶには、これ以上の聖地はありません。

日朗上人と、日朗上人を護って下さった何ものかに感謝をしながら、僕も読経唱題させて頂きました。



自分がどこに漂着したかも恐らくわからない日朗上人、これからどうやってお祖師様のもとへ赦免状を届けるのでしょうか?
季節はまだ雪がばんばん降る3月初め・・・もうひと山ありそうだぞ。









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