日蓮聖人のご霊跡めぐり

日蓮聖人とそのお弟子さんが歩まれたご霊跡を、自分の足で少しずつ辿ってゆこうと思います。

大成山本立寺(伊豆の国市韮山)

2017-08-07 19:58:02 | 旅行
伊豆配流中の日蓮聖人を自邸に招き、お曼荼羅を書いて頂いた江川太郎左衛門英親公。
そのお曼荼羅を棟札としてお祀りしたご利益で、その後700年以上にわたって江川家は無事に繁栄してきました。


伊豆の名家でもある江川家が日蓮聖人の教えに帰依したことは、その後の日蓮聖人の伊豆での布教活動に強力な後ろ盾になったに違いありません。


江川家の菩提寺は、江川家からほど近い金谷という場所にあります。
この界隈には江川家の家臣の方が多く住んでおり、現在も末裔の方のお宅があるようです。


季節は初夏!
田んぼを見るとホっとします。


江川家の菩提寺「本立寺」です。


山門です。
黒門ですね~!


山号は「大成山」です。


おまえだれにゃ~?


あついにゃ~


古そうな法塔


この法塔を建てるために、唱題を百万回したってことなのかな?
仮に1回の唱題に3秒かかるとして、300万秒、ってことは不眠不休で35日間!
もうちょっと現実的に10人で分担して毎日1時間、唱題し続けたら83日間!
頭が下がります。


参道から見た本堂です。
山の緑に抱かれたお寺ですね。
本堂の屋根が半分も見えません!


縁起がありました。
江川太郎左衛門英親公は篤信者というだけでなく、身延山で日蓮聖人から直接、法名を頂いているんですね!


「優婆塞日久」
優婆塞は「うばそく」と読み、男性の在家仏教信者のことを言うそうです。
対して女性の在家仏教信者は優婆夷(うばい)と言うそうです。


その際、日蓮聖人は英親公に、ご真筆のお曼荼羅と祖師像を授けたそうです。
伊豆配流の時に地頭の難病を治癒させたけれども、依然として伊豆の地では正体不明の大罪人という扱いのお坊さんであった日蓮聖人にとって、それでも自邸へ来て欲しいと言ってくれた英親公は、忘れられない恩人だったのでしょうね。


そのお曼荼羅と祖師像を、英親公が自邸に庵(大乗庵)を作って安置した、というのが、本立寺のルーツです。
のちに室町時代になって、英親公の子孫が大乗庵を当地に移して本立寺が創建されたそうです。


日蓮聖人像に合掌。
日蓮聖人も合掌しています。読経中のようですね!


目尻のしわが目立ちます。ご苦労が偲ばれるご尊像です。


本堂です。
周囲の緑と屋根の緑青があまりに自然に融和してます。


日蓮宗ポータルサイトによると本立寺は霊跡寺院です。
いわゆる本山格です。


本堂の裏側にある江川家の墓所を訪ねました。


江川家は現在の当主で42代目といいますから、墓石もたくさん!


壮観です!
16代・英親公が日蓮聖人の教えに帰依してから700年以上、在家信徒の立場で伊豆韮山の宗門を守り続けた江川家の先祖の方々。
多くの墓石は、ここ本立寺に参拝に来る壇信徒をやさしく、やさしく見守っているように感じました。


境内、裏山に続く道には鳥居が建てられています。
明治時代には日本中で徹底的に神仏分離が行われたそうですが、・・・やっぱりこっちの方が自然ですよ。うん。


このお山にも神様が宿っているんですね。


山の神様、いつまでもこのお寺をお守り下さいね!


また来いにゃ~!
この記事についてブログを書く
« 六浦山上行寺(横浜市金沢区... | トップ | 袈裟がけの銀杏(山中湖村山中) »