京都での本山めぐり3ケ寺目!
本山頂妙寺です!
すぐ西に鴨川が流れてて、平安神宮や祇園にもほど近い寺町で、観光客もたくさん歩いてる地域です。
この界隈のお寺の案内図が掲示されていました。
50以上あるお寺の中でも、特に広いのは要法寺(日蓮本宗本山)、妙傳寺(日蓮宗本山)、そしてここ頂妙寺です。
いずれも日蓮聖人の流れを汲む寺院であり、古くから法華信徒が行き交っていた場所と思われます。
そしてこの地図で注目して欲しいのが、頂妙寺の南側に走っている通りの名前が「仁王門通り」ということです。
通りの名前のルーツにもなった、仁王門です。
有名な運慶・快慶作と伝えられる仁王尊が安置されています。(昔起きた火災で部分的に焼けてしまい、体躯の部分だけは新しくなっているそうです)
これだけ立派な仁王門ですから、地域のシンボルなんですね!
山号は「聞法山」です。
東山天皇から頂いた山号だそうです。
美しいピンクの桜の向こうは本堂です。
瓦の一枚一枚に「頂」の文字。
祖師堂です。
春の空に映えます。
境内に面して塔頭寺院が並んでいます。全部で8ケ院あるそうです。
日蓮聖人のご尊像に合掌。
左手に立正安国論をお持ちです。お説法中のお祖師様だそうです。
建立の大本願人が中山法華経寺となっています。
遠い千葉の中山法華経寺と結びつきのあるお寺なのでしょうか?
お寺の縁起によると、1473年に中山法華経寺の日祝上人というお坊さんが京都に来て布教した際に開山したそうです。
ちょうど応仁の乱の頃でしょうか?
そうそう、
今回の旅の途中、たまたま道ばたで「応仁の乱勃発地」の碑を見つけましたよ!
もともと室町幕府のお偉いさん同士のいざこざから始まり、全国を巻き込む内戦に発展し、11年も続いたそうです。
京都全域がメチャクチャになってしまったそうで、まさに末法、法華経にすがる庶民は多かったと思われます。
その後、京都の復興とともにお寺は発展しましたが、天文法難や安土宗論により、衰退してしまったそうです。
特に信長の時代は布教を禁じられるなど、相当厳しくやられたようですね。
時は流れ、秀吉が天下を取り、状況は好転してきます。布教禁止を解かれたのです。
↑画像は仁王門に扁額として掲げられている、秀吉からの許状です。
安土宗論に臨んだ頂妙寺三世の日珖上人宛てになっています。
1595年には家康によって、中山法華経寺貫首の輪番が決められたそうです。
堺の妙國寺、京都の本法寺、そして頂妙寺の住持が輪番で担当する、というものだったそうです。
調べてみると中山法華経寺とのご縁アリアリでしたね!
そして、頂妙寺の歴史には信長・秀吉・家康という三大武将が深く関わってきたこともわかりました。
今週の寺猫~!
ニャ~!
あれ?この猫
両目の間の白い部分がウサギの耳の形!
二度おいしいお顔だね!!