例えそれが誰かの利益になるのだとしても、自分でそれを為そうと決めたのならそれはすべて自分のためでしかない



「親の所得が学力左右」文部科学白書が指摘

川端文部科学相は18日の閣議に、2009年度版文部科学白書を報告した。家庭の経済力の差が子どもの教育機会の格差拡大につながりつつある現状を挙げ、教育への公的投資の必要性を指摘した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100618-00000406-yom-pol

結論から言う。

「親の所得と子の学力に相関関係はほとんど無い」と。

親の年収が400万円以下の子どもの大学進学率は31%なのに対し、同1000万円超だと62%に達することなどを指摘。子どもの学力の伸長が親の所得に左右される可能性があることなどをとりあげた

そもそも教育機会と学力が比例するわけでもなし。大学進学率なんて入学金に学費と収入に左右されるものですが、大学への進学率と学力は決してイコールにはならない。大学に入ったからといって勉強するとは限らないんだし。

学力を決めるのは本人の「学習に対する姿勢」。
そりゃ生活するにも困るようなレベルなら学習に支障も出るでしょうが、普通に生活できる分にはあまり関係が無い。
「学習に対する姿勢」に差が出るのはやはり環境でしょうね。
親の「学習に対する姿勢」に問題があれば当然子も同じように思う。子に「やりたいこと」が無い限りその状況が変わることは無いでしょう。
「やりたいこと」があれば「学習に対する姿勢」も変わりますから。
「所得と学力」に相関関係があるとするのは短絡的だと思いますけど。学者貧乏ってものもあるわけだし、鳶なんかは結構収入あるし、学歴と収入が比例するというのも違うでしょう。

私の兄は某有名国立大出てますしね。
うちの親は公務員。私たちの就学期にはバブルで民間に比べるとはるかに低収入でしたが、兄の学力はずば抜けてましたし。私はEランク私大出ですけど。

「経済的格差が教育格差に影響し、それが格差の固定化や世代間の連鎖につながりかねない。教育に社会全体として資源を振り向けることが喫緊の課題だ」

この発想もね。門戸を開く、と言えば聞こえは良い様に感じますが、それってもっと門が狭い場合にのみ意味があるのであって、今のような競争力を弱めるだけの行為は如何なもんでしょ?
まず「出る杭は打つ」という社会的風潮を変えなきゃあまり意味が無いように思いますけど。
子どもが夢を持つ。それを周りが否定する。すると子どもの「学習に対する姿勢」が否定的なものになる。結果学力が低下する。
大切なのは子どもたちが「夢に対する実現可能性」を持ち得る社会にすることだと思う。
今みたいな「異質なものは排除する」ことを是とする社会で皆に合わせることだけ考えていたのでは夢の持ちようが無い。
無論、害になりうるものは排除する必要がありますけど、害になりえないものでも「違う」と思えば排除する。それを親が積極的に教えてるんだから性質が悪い。

とはいえ風潮を変えるなんて一朝一夕に行くものでもないですからねぇ。具体的な方法も思い浮かびませんし。
政策として採りうる方法となると…やっぱ経済対策かな。これさえしっかりしていれば大半の問題は解決可能ですから。



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