いや~忙しすぎて何が何やら。
といった感じの日々を送っておりますが、政治のほうは相変わらずのようで。
不信任案の話の時には「こんなときにまで政争云々~」という意見をよく見ましたが、その中の“総理が変わらなくて良い理由”に「誰がやっても同じだから」というのがあったのには心底あきれた。
だったらなんで政権交代したよ?
ミンスに国政運営能力がないことは初めから分かってた。
アレが分からなかったという人は選挙権を捨ててくれ。アレだけ醜態をさらし続けた政党の情報がなかったでも無し、あの結果は「知ろうとしなかった」ということなのだろうから。
自公政権時代からじわじわと削られ続けてきたこの国の体力は政権交代で大きく削られてしまった。そこにこの震災。
この国を窮地に追い込んだのは他でもない、ミンスに投票した国民。
この震災でミンスは助かりましたよね。
ドサクサ紛れで堂々と増税できるから。
震災復興のためといえば受け入れる人がほとんどだ。全く関係ない部分に使う気満々でも、表にあるのが「震災復興」なら気にしない。
実際には子ども手当てに高校無償化、農家の戸別補償とマニフェストにあった政策の財源になるんだろうけど。
正直「もうどうにもなりそうにない」という気持ちが強すぎて、ミンスが何してようとどうでも良くなってきました。
今日書こうと思ったのはこの記事があったから。
広島市長、被爆者に「感謝を忘れてる人がいる」 (読売新聞)
広島市の松井一実市長(58)が市役所で被爆者と面談した際、被爆者への援護施策について、「黒い雨などで被爆したから、医療費をまけてほしいとか、悪いことではないが、死んだ人のことを考えたら簡単に言える話かどうか」などと発言していたことがわかった。(続きはhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110617-00000468-yom-soci)
援護を求める被爆者に対しては、「『くれ、くれ』じゃなくて『ありがとうございます』との気持ちを忘れないようにしてほしい」と述べたうえで、感謝を忘れている人がいるとした。
この部分については同意なんですけど、
「一番ひどいのは原爆で死んだ人。残った人は『死んだ人に比べたら助かっている』と言わない」
これはどうなんでしょ?
何が最善かなんて人によって違うのに。
残す方も、残される方も同じように苦しい。
私はこう思う。
生きてるから嬉しい“だけ”なんてドンだけ幸せに生きてきたの?
生き残ることの罪悪感って感じないの?
そもそも「比べて」どうすんの?
「あの人に比べたら」
その発想が「」制度始め、いろんな差別の根本だろうに。
哀悼の意を示すことは当然。でもそれはそれ。自分は自分。
生きる人は何かを成す事で亡くなった人の代わりを果たす。
それだけのことでしょ?
なんで「助かってる」とか思わなきゃいけないんだろうか?
ちなみに私は被曝3世。
だからって別に何にもないけどね。被爆者団体の活動には賛成できないしおかしいと思うし。
松井市長には期待してるんだけどな。
まぁこういうロジカルな部分が「建て直し」には何より必要なものなんだろうけど。