もう10歳の頃から、前髪は下ろさない主義で、基本的にやってきたんだけど、この間、3週間前に髪を切る時、せっかく切るのに髪型が変わらないのはもったいないっていう倹約精神が働いてしまって、うっとうしいの覚悟で前髪を作った。
で、結果、うっとうしい。
いちおう、前髪を上げてるとおちつきすぎると言われれば、ただでさえ口数少なく「いつもそんなに静かなの?」と聞かれることもあり、これ以上、おちついて見えてどうするんだと思いもして、切ってはみたが、うっとうしい。
敏感肌にて、必要以上にささいな髪と肌とのふれあいが気になる。
結局、髪型にしても、服にしても、はたまたバッグや靴の身の回り品にしても、身体感覚的に快適なものを好む。
服は体をしめつけてはいけないし、体を冷やしてもいけないし、バッグは大きく軽い必要があるし、靴は履きやすさが大事で、プラス色がよいのがよくて、形はかわいいのがよい。
あ、最後の2つは別の欲やな。
結局、どう見えるかより、自分がどう感じてる状態か(快不快)が重要で、客体としての自分より主体としての自分が強いわけです。
で、まぁ、心地よくてかわいい格好もあるんじゃないか、という欲張り。
で、結果、うっとうしい。
いちおう、前髪を上げてるとおちつきすぎると言われれば、ただでさえ口数少なく「いつもそんなに静かなの?」と聞かれることもあり、これ以上、おちついて見えてどうするんだと思いもして、切ってはみたが、うっとうしい。
敏感肌にて、必要以上にささいな髪と肌とのふれあいが気になる。
結局、髪型にしても、服にしても、はたまたバッグや靴の身の回り品にしても、身体感覚的に快適なものを好む。
服は体をしめつけてはいけないし、体を冷やしてもいけないし、バッグは大きく軽い必要があるし、靴は履きやすさが大事で、プラス色がよいのがよくて、形はかわいいのがよい。
あ、最後の2つは別の欲やな。
結局、どう見えるかより、自分がどう感じてる状態か(快不快)が重要で、客体としての自分より主体としての自分が強いわけです。
で、まぁ、心地よくてかわいい格好もあるんじゃないか、という欲張り。