自分でないものに見られるのはいやだ

2010-06-20 19:05:54 | Weblog
批判する方法はいくらでもあって。

だからこそ、ありのままを受け入れる態度が尊い。

足の引っ張り合いは簡単だけど、それは本当のことをこわがって目をつむっている状態。


いや、私は外国の音楽とか映画とか子供の頃から大好きで、そういう部分でマニアックっていうのは全然、認めているんだけど、最近、どうも大学の先生にオタクだと思われてるみたいだってことがわかって、いわゆるオタクというのとは違うんだけどなぁ、と思って、なんとなく訂正したいんだけど、何が原因なのか、そういえば恋人にチェックのチュニックをオタクっぽいと言われたことがあったな、と思ったり、眼鏡が重いのかな、と思ったり(アルマーニの良い眼鏡なんですよ)して、ちょっとネットを見ていたら、オタクに見えないファッションっていうのがけっこういろんな所でトピックになっていて、へぇ、気にする人、多いんだな、と思ったわけです。

で、その中で気になったのが、だれかが「こうするとオタクに見えません」って言うと必ずと言っていいほど別のだれかが「それもだめだ」ということを言い出して、結局、「こういうこと気にしてるのが既に一般人じゃない」って結論になっていて、その「一般人」と「オタク」っていう図式が前提としてあるのが不思議だったし、それ以上に、断定的に人の意見を「それじゃだめだ」と言い切ることにも違和感がありました。

身内の話をすると、兄がアニメ好きで、彼は自分を「オタクだ」と言い切っているのですが、正直、私は違和感があります。

いや、立派な人なんですが。

何を上と思うか、下と思うか、ということとは別として、なんとなく自分とは違うな、関わりにくいな、と思う現象やグループというのはあって。

なんでしょう、むずかしいですね。

自分でないものに見られるのはいやだ、ってことでしょうか。


あと、まじめな人を馬鹿にする風潮はむかしから好きではありませんが、近年は、まじめだと寿命が縮みそうなので、ふまじめを心がけている所です。

という、まじめなお話。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする