横スカッとジャンパーズ

徒然なる侭に、主にマリノスと日常をくっちゃべります。毒にも薬にもなりません!

力強くいこう

2011年03月13日 23時33分48秒 | Weblog


一枚目の写真は、帰宅途中の御徒町周辺にある高架橋。
総武線が緊急停止し、乗客は避難した後だと思われる。

二枚目、三枚目は、あくっまさんの自室。

ラックの本が床にぶちまけられ、CDコンポが転がっている。ラックの上にも本があったが、全て滑り落ちていた。

机はあまり荒れていないように思うかもしれないが、実はこの机は子ども用の学習机。
本棚や電気シェードが一体となった棚が壁ぎわにあったが、全て前の床に投げ出されている。



地震発生時、あくっまさんは会社にいた。
そばで工事をするだけで、常時床が揺れる古い設計のビルだ。しかし、床から突き上げるような揺れに、いつもと違うという感覚は、あくっまさんにもわかった。

誰も机の下に入らないので、こんな時も誰かの確認が必要な人たちがたくさんいるのか…と半ば呆れ、半分中腰でいると、本格的な揺れがきた。
課長も事態に気付き、「机の下に!」と大声を上げる。あくっまさん達は、一斉に机の下に退避する。

それは、今までの人生で経験したことの無い大きな地震だった。

机の下で出来た事といったら、引き出しが前に飛び出すのを押さえるのがやっとで、収まった後にだって辺りを見回すと、パソコンの液晶やHDが倒れ、あくっまさんの紅茶も大量に零れていた。


避難訓練通りに点呼を取り、財布だけ持って駐車場に避難する。しかし、訓練時と違って駐車場には車が止まっていた。
車を避けるには、窓ガラスが降ってくるかもしれないビル側に近づかないといけない。

あくっまさん達は、道路に出た。同じ会社の人たちが道中に溢れていた。


余震が続く中、社内の安全対策本部も混乱しているのかなかなか指示が出ない。
途中、本社ビルの社員は元に戻ったが、我々グループ会社の社員がいたビルは一番古いという事で、点検に一番時間がかかった。


それまで避難訓練で、避難時は階段を使って退避しても、避難後はエレベーターで帰っていた。避難後にビル内に戻る事はないと思っていたからだ。
しかし、現実は違う。ビルが壊れていない限り、人は荷物を取りに戻る。道路にいても、一時は静まり返った街もまた動きだすからだ。


夕方になり冷えてきたので、あくっまさん達女性を先にビルに戻した。
途中、階段の漆喰がポロポロ剥がれ落ちている。後から聞いたが、三階と四階の間では、壁にヒビが入っていたようだ。
しかし、他のビルは壁が崩落し、避難所にも出来なかったらしい。


会社は備蓄の水と食料を放出。
あくっまさんのいる健保組合は、ちょうど保険証書き替えの準備で忙しかった。
残業モードになる職員達。え、それでいいの?となる、あくっまさん。
よく考えれば、みんな東京都の住民ではない。交通手段が完全にシャットアウトしたら、出られないのだ。

あくっまさん宅は23区内だ。
机の引き出しにある、帰宅支援マップを開いた。秋葉原から自宅まで、直線距離で5キロだった。
人間は徒歩で時速4.5キロと言われている。実際の歩行距離は8キロ(買い物時間を入れて、二時間)だったのだが、あくっまさんは一番に水と携帯食料を持って、会社を飛び出した。

その時点で五時半過ぎ。夕暮れに差し掛かっていた。

あくっまさんが歩いていると、案外飲食店やコンビニが開いているのに気付いた。今のうちに食事を取りながら移動しないといけない。あくっまさんは、肉まんとお茶、そして何故か焼き芋を食べながら国道を歩いた。

途中、写真のように停止した電車や、タイルの剥がれ落ちたビルを横目に、ウォーキングシューズでがしがし歩いた。

また、友人の会社付近にきた時に、電話で連絡した。彼女達は自宅が遠方なので、帰宅出来なくなると思ったのだ。
1人の友人はたまたま休みで親と新宿で地震に遭遇。ホテルで退避しているからと連絡がきた。
もう1人の友人は身を寄せたいと申し出があり、自宅へ招いた。


何故こんなに簡単に人を招いたのか?
一つは善意である。
そしてあくっまさんは、高をくくっていたのだ。

あくっまさんの自宅は築10年のマンションで、10階以上の建物だ。勿論免振構造である。壊れていないと思っていたのだ。

建物は確かに壊れていなかった。
しかし、免振構造の意味を、あくっまさんは身を持って知った。


地震の振動を逃す為に、あくっまさんのマンションは必要以上にしなるのだ!


そう、二枚目三枚目のように、あくっまさんの家は揺れまくった。
ちなみに免振構造のマンションは、高層階ほど揺れる。
そして災害時はエレベーターも止まっているので、食料抱えて10階以上登らないといけない!!


笑った。

ようやく室内に入ると、至るところでひっくり返っていた。
ただ、あくっま父は慎重な人だったので、いろんな家具に突っ張り棒や固定ジェルを設置してくれていた。
おかげで、大半の家具は無事だった。
また、振動の角度がたまたま良かったようで、食器棚から食器が飛び出すことはなかった。
食器棚と平行した場所にある本棚も無事だった。

しかし、自室の机やラックは垂直の位置にあったので…ご覧の通り。



友人が持ってきたカップラーメンをすすっていると、田町から12~3キロ歩いてきた兄が帰宅。
兄も自室を見て絶句。
兄の二メートル程の棚も崩壊していた。


九時半過ぎると友人の使う電車が復旧したので、彼女は帰っていった。

眠れない(部屋が汚いからという意味ではない)あくっま兄妹は、倒れた棚を撤去し、強制的な断捨離モードで物を捨てた。なにせ収めるはずの棚がないのだから、中の荷物を捨てるしかないのだ!

粗方捨てていると、昔友人が描いた漫画や、イラストや、フィギュアスケーター追っかけ時代の切り抜きやら…イラストはそっと残し、他は捨てた。
ゴミ袋一杯半捨てまくって、あくっまさんは寝た。


その後も余震で心配な日々が続く。ずっと電話で連絡を取り合っていたが、今日は実家に帰って、母と顔を合わせてほっとした。


首都交通網がシャットアウトしただけでこの混乱なのだから、震源地付近だったらどうなっていただろうか。

ぞっとする話だ。

今回徒歩で帰宅して、職場に必要だと感じた物は、

①帰宅支援マップ
②スニーカー
③携帯電話充電器


①は、今から三年ほど前に富士山が噴火するかも…と噂になった時にベストセラーなった、ポケットサイズの地図だ。
100円ショップの地図でもいいので、現在地から自宅までの地図があるととても便利だと思われる。
携帯電話が発達してマップ検索が出来るようになったが、ネットに繋がりにくい状況も多く、電池消費を抑えたい人には必要である。

②その日はたまたまウォーキングシューズを履いていたが、ハイヒールや革靴で何キロも歩くのは大変なので、職場にスニーカーを置いておくといいだろう。
前の職場の個人ロッカーに置いていた職場災害バックには、スニーカー、靴下、タオル、軍手、飴玉を入れていた。
やはり同じ物が必要だと痛感したので、あくっまさんは早速準備をし、出勤時に持っていく予定である。

③は、避難所に退避した人からの提言だ。携帯電話は、まさにライフラインである。



明日から輪回停電も始まり、心細くなる。
余震の危険もあり、被災地の人たちの悲痛な状況を見ると、胸も痛む。


そんなときだからこそ!
力強くいきましょう。
自分を守らないと、他人を守れないのだから。

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