横スカッとジャンパーズ

徒然なる侭に、主にマリノスと日常をくっちゃべります。毒にも薬にもなりません!

父のカルテを取り戻しに

2008年11月07日 18時13分46秒 | Weblog
昨夜は有明の病院へ、父のカルテを引き取りに行った。

緩和治療という名の治療終了を宣告されて、1週間で病院を飛び出したため、最初の病院のカルテを預けっぱなしだったのだ。

そう、あの憎い福山の病院のカルテだ。
穿孔を起こした後にちゃんと洗浄をせず、ステージ1の癌患者を二年で死なせた病院のカルテだ。


父が死んで2ヶ月経ち、ようやく我が家も動き出した。主治医に電話をしてカルテを探して貰って1ヶ月弱。
返事が無いので一昨日の夕方電話をしたところ、何故か手術中の先生に電話が繋がり、怒り声で電話を切られた。
その後母に先生から謝罪の電話がかかってきたらしい。
そして昨日、父のカルテが発見された。早速夜に取りに行った。

駅に降りると、見慣れた光景が広がった。何度も通った、嫌な記憶しかない風景だ。

父の入院していた病棟にカルテがあったので、取りに行くと、デイルームの前を通り掛かった。
たくさんの患者がいた。
去年の事を思い出すと、苦しかった。父がちょうど術前入院していた時期だった。
不安な気持ちよりもどこか楽観していた私たちは、まさか一年もたなかったなんて予想出来ただろうか。

夕食時で人が少ないナースルームへ足早に赴き、すぐにカルテをひったくるとロビーに逃げた。これ以上父を思い出すのが辛かった。

ロビーのソファーで呼吸を整えようと座り、カルテを開いた。平成18年6月27日と書かれていた。
父の体重も書かれていた。
172センチ75キロ。

誰が二年後に52キロになると予想できただろうか。
泣きそうになったが、歯を食い縛って急いで病院を飛び出した。
ここにはたくさんの患者が病気と闘っているのだ。負の感情や死を自分勝手に垂れ流してはいけない。
それは病院に行くものの義務だと思っている。


もう二度と行きたくない病院から逃げた。
このカルテを持ってどう戦えばいいかわからない。
それでも父の無念を伝えるため、私たちはやらねばならない。


…来週仕事でまたお台場に行く用事がある。毎年11月に展示会が有明であるからだ。

去年も行った。父の手術が出来なくて、そのまま腹を閉じた翌日に。


延々と負の連鎖が続く。



これから本当に、どうしよう。
自分らの傷口をえぐりながら、私たちは戦うのか。