「レスター・レヴェンソンのリリーシング」- I'm trying to show you the entire way.

Lester:「私は、あなたに全ての道を案内しようとしています。」 2015-10-04-09:45JST

究極の目標-10「それを観なさい」

2020-02-22 13:01:23 | 目次付きの記事(1~10)
究極の目標-10「それを観なさい」 

 今回のテーマは、「それを観なさい」についてです。活動は、欲望と恐れを根底にしています。自分による自分のためのものです。

 あなたに起こることは、身体的存在という事実によることを、あらゆる機会を使って、自分に思い起こさせます。

 身体は、物質的なものであり、変えるには時間がかかります。マインドは、考え方と感じ方という「精神的な習慣」の集合です。それを変えるには、表層に引き出され、調べられなければならない。これも、時間がかかります。

 「あなた自身へ戻り続ける」という持続性が、大事です。過去への執着から自由になり、あるがままに受け入れたとき、人は平安な心を手に入れ、幸せになれるのです。

1. 分離はない 

 否定的な感情から、自由になることです。あなたが、それらに、反応してはいけない。

 自然は、一つ、実在は一つです。反対はあっても、対立はない。静かに受容的であろうとする。内なる静けさ、沈黙です。
 自分が無意識になった時に、気づきます。
 深い眠りに似た、それでも意識のある目覚めた眠り。油断なく気づきながら、眠っている状態、これが、ジャグリット・シュシュプティです。 

I Am That - ニサルガダッタ・マハラジ - 48. Awareness is Free (気づきは自由だ) より抜粋 

M: What were you actually experiencing when you were in the right mood?
M:あなたが、気分がいいとき (正しい心持ちのとき) に、実際に、何を経験しましたか?
Q: A sense of inner stillness, peace and silence.
Q:内なる静けさ、平和、沈黙の感覚です。

M: Did you notice yourself becoming unconscious?
M:自分が、無意識になっていることに気づきましたか?
Q: Yes, occasionally and for a very short time. Otherwise I was just quiet, inwardly and outwardly.
Q:はい、時には、非常に短い時間ですが。そうでなければ、私は、内側でも (内向き)、外側でも (外向き) 、ただ静かにしていました。 

M: What kind of quiet was it? Something akin to deep sleep, yet conscious all the same. A sort of wakeful sleep?
M:それは、どんな静けさだったのか? 深い眠りに似ているが、それでも、すべて同じことを意識している。一種の覚醒睡眠 (目覚めた睡眠) ですか?

Q: Yes. Alertly asleep. (jagrit-sushupti).
Q:はい。 油断なく気づきながら、眠っている状態 (ジャグリット・シュシュプティ:jagrit-sushupti) です。 

注記:Alertly asleep とは、油断なく気づきながら、眠っている状態 (ジャグリット・シュシュプティ) と呼ばれます。 
 長息の呼吸法 (瞑想) の実践者は、15分を経過すると、脳波のシーター波が優勢になり、身体と脳は、眠っている状態になります。その時に、アルファ波の中の、α2の脳波がでてきます。 
 これは、リラックスして集中している状態の脳波です。油断なく気づきながら、眠っている状態になります。これは、瞑想の熟練者に多くみられます。  

M: The main thing is to be free of negative emotions -- desire, fear etc., the 'six enemies' of the mind. Once the mind is free of them, the rest will come easily. Just as cloth kept in soap water will become clean, so will the mind get purified in the stream of pure feeling. 

M:主なことは、ネガティブな感情から解放されることです。欲望や恐怖など、心の「6人の敵」です。心がそれらから解放されると、残りは簡単に来るでしょう。石鹸水に入れた布がきれいになるのと同じように、心は純粋な感覚の流れで浄化されます。 

When you sit quiet and watch yourself, all kinds of things may come to the surface. Do nothing about them, don't react to them; as they have come so will they go, by themselves. All that matters is mindfulness, total awareness of oneself or rather, of one's mind. 

 あなたは静かに座って自分 (自己) を見たとき、あらゆる種類のものが表面に来るかもしれません。それらについて何もせず、それらに反応しないでください。それらが来たように、それらは、それら自身で去って行きます。重要なのは、注意 (マインドフルネス)、自分自身の、またはむしろ自分の心の完全な認識 (気づきだけ) です。 

注記:自分の感情や思考に注意をすること。これが、大事です。今の感情や思考に、気づいて、その感情や思考に反応しないで、その感情や思考を歓迎します。 
 今の感情や思考は、記憶と習慣の投影です。今の自分の感情や思考に気づくこと (意識すること) で、その感情や思考が、無意識 (潜在意識) に沈み込んで活動するのを止めます。 
 その感情や思考に反応しないで歓迎すると、その感情や思考は、永久に消えます。 

注記:マインドフルネス (英: mindfulness) とは、今現在において起こっている、内面的な経験および、外的な経験に注意を向ける、心理的な過程である。 
 瞑想および、その他の訓練を通じて開発することができる。マインドフルネスの語義として、「今この瞬間の自分の体験に注意を向けて、現実をあるがままに受け入れることである」。

ジャグリット・シュシュプティについて

Abstract

Tirumular’s Tirumandiram is the earliest known Tamil treatise on yoga. This text is considered to be both, a devotional work as well as a tantric text.

概要

TirumularのTirumandiramは、ヨガに関するタミル語の最も古い論文です。 このテキストは、祈りの仕事であると同時に、タントラのテキストでもあると考えられています。

The jagrit-jagrit state of suddha souls possesses the vidya and siva tattva. The atma tattva do not function. Jagrit-svapna is leaving the vidya tattva and possessing only the siva tattva.

 仏魂のジャグリットジャグリット状態 (jagrit-jagrit state) は、ヴィディア (vidya) とシヴァタットヴァ (siva tattva) を所有しています。アートマタットヴァ (atma tattva) は機能しません。Jagrit-svapnaは、ヴィディアタットヴァ (vidya tattva) を離れ、シヴァタットヴァ (siva tattva) のみを所有しています。

The jagrit-sushupti is leaving the siva tattva and remaining in suddha maya. The state of purusha created by maya ends in turiya and the souls are not associated with a body anymore (v2197-98). The jagrit-atīta state is when the soul leaves the ānava and tastes the para state. However, the para state is not permanent (v2254). (注記:Page 8 of 13)

 ジャグリット・シュシュプティ (jagrit-sushupti) は、シヴァ・タットヴァ (siva tattva) を離れ、スッダ・マヤ (suddha maya) に残っています。マヤ (maya) によって作られたプルーシャの状態 (state of purusha) はトゥリヤ (turiya) で終わり、魂はもう身体に関連付けられていません(v2197-98)。 ジャグリットアタタ状態 (jagrit-atīta state) は、魂がアーナバ (ānava) を離れ、パラ状態 (para state) を味わうときです。 ただし、パラ状態 (para state) は永続的ではありません(v2254)。

南インドの聖なる山、アルナーチャラで生涯を過ごした聖者 
バガヴァーン・シュリー・ラマナ・マハルシ 

シュリー・アルナーチャラへの八詩節より 
 1節. 
 見よ、それは意識がないかのようにそこに立つ。謎めいているのはそれが働く方法であり、まるで人知を超えている。 

 物心の付かない幼少時代から、果てしのないアルナーチャラは私の意識の中に輝いていた。しかし、それがティルヴァンナーマライでしかないとある人から学んだときでさえ、私はその真意を理解していなかった。 

 それが私の心を静め、それ自体に私を引き寄せ、私が近づいたとき、私はそれが絶対的な静寂であることを知った。 

 

2. 自然は働く「顕現する力」 

南インドの聖なる山、アルナーチャラで生涯を過ごした聖者 
バガヴァーン・シュリー・ラマナ・マハルシ 

シュリー・アルナーチャラへの八詩節より 
 6節. 
 あなたのみが存在する、おお、ハート、意識の光輝よ。あなたの中に、謎めいた力が住する-あなた無くして存在しない力。 

 それ (この顕現する力) から、プラーラブダの渦巻きの真中で心の反射した光により照らされることで、映画がレンズを通じて投影されるように、知覚者と共に一連の微細な影のような思いが、影のような世界の光景として内に現れ、五感によって知覚される世界として外に現れる。 

 知覚されても、知覚されなくても、これら (の思い) はあなたと離れて存在しない、おお、恩寵の山よ。  

3. 私という思い 

南インドの聖なる山、アルナーチャラで生涯を過ごした聖者 
バガヴァーン・シュリー・ラマナ・マハルシ 

シュリー・アルナーチャラへの八詩節より 
 7節. 
 私という思いが存在してはじめて、他の思いが存在しうる。他の思いが生じるとき、「誰に?私に?この『私』はどこに生じるのか」尋ねよ。 

 そのように内側に潜り、人が心の源をつきとめ、ハートに到達するなら、人は全世界の至高なる主となる。もはや内外、正邪、生死、苦楽、明暗などのようなものを夢見ることはない。 

 おお、恩寵の限りない大海であり光輝、ハートの舞踏館で静寂の踊りを踊るアルナーチャラよ。 

 私という思いが存在してはじめて、他の思いが存在しうる。 
 他の思いが生じるとき、 
「誰に?」「私に?「この『私』はどこに生じるのか?」と尋ねよ。   

4. 人は死の時に考えたものになる 

南インドの聖なる山、アルナーチャラで生涯を過ごした聖者 
バガヴァーン・シュリー・ラマナ・マハルシ 

シュリー・アルナーチャラへの八詩節より 
 8節. 
 海から立ち昇り、雲から降り注ぐ雨粒は、全ての障害をよそに、今一度、その生まれ故郷である大海にたどり着くまで休むことはできない。 

 あなたから進み出る、形を与えられた心 (人、生命) は、自ら選んだ様々な道を通り、しばらく無目的にさ迷うかもしれないが、源である、あなたに合流するまで休むことはできない。 

 鳥はあちらこちらに停空飛翔するかもしれないが、中空には留まれない。鳥は進んだ道を戻らねばならず、終には地上のみがその休らう場所であると見出す。 

 まさにそのように、心はあなたへ向かい、おお、アルナの山よ、至福の大海である、ただあなたのみに再び溶け込まなければならない。 

バガヴァーンとの日々 (Day by Day with Bhagavan) より 

 ギーター全体の文脈において、その (たとえば、2章の) ギーターの詩節は、あなたが今世の間に解放を達成しなければならないということを意味しているだけです。 

 たとえ今世の間にそれができなくても、あなたは少なくとも死の時に神を思わねばなりません。なぜなら、人は死の時に考えたものになるからです。 

 しかし、あなたが生きている間中いつも神を思っていなければ、あなたが生きている間に神についてのディヤーナを常なる習慣としていなければ、あなたが死の時に神を思うのはまったく不可能でしょう。 

中村元博士によるサンスクリットからの般若心経の翻訳より抜粋 

シャリープトラよ、 
 この世においては、物質的現象には実体がないのであり、実体がないからこそ、物質的現象で (ありうるので) ある。実体がないといっても、それは物質的現象を離れてはいない。また、物質的現象は、実体がないことを離れて物質的現象であるのではない。(このようにして) およそ物質的現象というものは、すべて、実体がないことである。およそ実体がないということは、物質的現象なのである。これと同じように、感覚も、表象も、意思も、認識も、全て実体がないのである。 

シャリープトラよ。 
 この世においては、すべての存在するものには実体がないという特性がある。生じたということもなく、滅したということもなく、汚れたものでもなく、汚れを離れたものでもなく、減るということもなく、増すということもない。 

それゆえに、シャリープトラよ、 
 実体がないという立場においては、物質的現象もなく、感覚もなく、表象もなく、認識もない。眼もなく、(耳もなく)、鼻もなく、舌もなく、身体もなく、心もなく、かたちもなく、声もなく、香りもなく、味もなく、触れられる対象もなく、心の対象もない。眼の領域から意識の識別の領域にいたるまでことごとくないのである。 

 それゆえに、得るということがないから、諸の求道者の智慧の完成に安んじて、人は、心を覆われることなく住している。心を覆うものがないから、恐れがなく、傾倒した心を遠く離れて、永遠の平安に入っているのである。 

 それゆえに人は知るべきである。智慧の完成の大いなる真言、おおいなるさとりの真言、無上の真言、無比の真言は、すべての苦しみを鎮めるものであり、偽りがないから真実であると。その真言は、智慧の完成において次のように説かれた。 

ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー 
 (往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸あれ)  

 ここに、智慧の完成の心が終わった。 

注記: 
「羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」 
 (ぎゃーていぎゃーてい はーらーぎゃーてい はーらーそうぎゃーてい ぼーじそうか 「呉音」)  
"gate gate para-gate para-sam-gate bodhi svaha" 
 (ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー ) 
 

5. 参考サイト:般若心経の真言 

 仏陀は、全てのものは「空 (くう)」であると説いた。 

 気づくことは、目覚めることです。気づきの領域を広げ、そして、深めなさい。気づきとは、意識の全体性の認識です。 

 あなたであるものを、探求しなさい。 

Heart Sutra  
The supreme mantra which is able to release all pain to attain the unsurpassed complete perfect enlightenment. 
般若心経 
比類のない完全な悟りを達成するために、すべての痛みを解放することができる最高のマントラ。  

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2020-02-20 07:37:48 記述しました。
注記:HTML を記載したテンプレートを、使用して書いた記事です。 
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