完全な自由と悟りの段階 (悟りの階梯) - 01
悟りの段階 (悟りの階梯)
預流果 (よるか) - (◎『後進のため、悟りは説き明かされた』)
最初の悟り・預流果では、細かく分ければ千五百もあると言われる煩悩の中、たった三つ(三結)だけが消えています。でもそれは、悟りを決定付ける三つです。
一つ目は、「有身見」と呼ばれる煩悩。
これは欲でも怒りでもなく無知に分類される、誤った見解・邪見です。「私の身体」「私という心身集合体」など、どう呼んでもいいのですが、とにかく何か 「私」というものがいると錯覚している煩悩が、まず根こそぎ消えます。瞑想したり集中して仏法の話を聞いたりしている最中に、一瞬でも「私」がいない、何 もない瞬間を「体験」して、「ああ、『私』がいるわけではないのだ」と納得した智慧が生まれ、有身見が消えるのです。
「無常を悟る、無我を悟ることが仏教だ」と言われる、その無常、無我を一瞬だけでも「体験」して、「我がある」という邪見・煩悩が、単なる知識として分かるのではなく、本当に消えるのです。
二つ目と三つ目は、一つ目の有身見が消えれば、自然に消える煩悩です。
この二つも無知に基づく邪見です。「疑」と「戒禁取」です。
「疑」とは、「何が真実か分からないままぐずぐずウジウジしていること」です。預流果に悟ると、このウジウジ状態や真偽を見誤ることがなくなります。
釈尊は、「八回目にはもう生まれ変わりません。七回生まれ変わる間には完全に悟れます」と限定しておられます。
お釈迦様は念のため、「預流果の人は天界か人界にだけ生まれ変わり、地獄、畜生、餓鬼界に生まれることは決してない」ともおっしゃっています。
一来果 (いちらいか) - (◎『悟りが進むと輪廻が減る』)
一来果では、有身見、疑、戒禁取の三結は当然消えていますが、その他に、欲、怒り、無知の三煩悩が、いずれも弱くなります。
一来果に達すると、輪廻が後たった一回だけで済むようになります。
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続きます。
完全な自由と悟りの段階 (悟りの階梯) - 02
2013-07-10 00:33:04 | 話題 (opinion)
参考サイト:
あなたはすでに全体で、完全です - まとめ - 2
2013-06-06 20:16:00 | releasing
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「真我の自覚と無知」の章で、シュリー・ラマナは、身体と心を通して機能している個人が存在するという観念をただ捨て去るだけで、真我の実現は起こりうると主張しつづけている。 ほんのわずかな熟達した帰依者たちだけがこれをすばやく容易に為し遂げたが、他の者たちにとって、何らかの形式の霊的修練を積むことなしには、それはほとんど不可能に見えた。 シュリー・ラマナは彼らの苦境を理解し、真我の自覚を促す霊的修練を指導するように頼まれたときは、真我探究(ヴィチャーラ)と呼ばれるテクニックを勧めたのだった。 この修練は彼の実践的哲学の礎となっている。
あるがままに♪ BE AS YOU ARE(あるがままに)-5
第4章 真我探究-理論
シュリー・ラマナは、個人という概念はただ「私」という想念がさまざまな形で現れているだけだという見解を支持している。
彼はさまざまな心の活動(自我、知性、記憶など)を分離した個別の機能として見なす代わりに、それらを「私」という想念のさまざまな表現形式だと見ている。
彼は個人と心、そして心と「私」という想念を同一のものとして見ているため、個人という感覚の消滅が心と「私」という想念の両方の消滅を暗示することになる。
彼は真我だけが唯一存在する真理であると主張し、「私」という想念は、それ自体では存在をもたないひとつの誤った仮定だと見なしている。
彼はその現れについて、「私」という想念は対象物と同一化することで存在するように見えるだけだ、と説明している。 思考が活動するとき「私」という想念は、「私は考える」「私は信じる」「私は行為する」といった思考の所有を主張する。
しかし、同一化した対象物に依存せずに存在する分離した「私」という想念はない。
それはただ、絶え間ない自己同一化の流れによって、現実に継続して存在する実体のように見えるだけである。
こういった同一化のほとんどすべては、「私」が身体に限定されているという根本的な想念にその源をたどることができる。
この「私は身体だ」という観念が、絶え間なく起こる誤った同一化の根源であり、そして「私は身体だ」という観念の終焉こそが真我探究の根本的な目的なのである。
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あなたはすでに全体で、完全です - まとめ - 1
2013-06-02 09:07:29 | releasing
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「トランサーフィンの補助輪的な運命のコントロールノート」の理論的なベースになっている個所をトランサーフィン第6巻、ルーラー・オブ・リアリティから引用します。
・・・私は、いつも、コージマ・プルトコフの格言のことを気にしていました。それは、「幸せになりたければ、幸せになれ。」という格言です。この表現は、仮面みたいに、一面は白く、もう一面は黒いのです。。この表現はちょっとおかしいと思いませんか。全部は正しいですね。反論することはありません。でも、その表現は役に立つと思いますか。
今、困難な状況でしたら、自分自身を楽観主義者にさせることは、まず、できません。でも、この石化した真実を復活させる方法があります。それは意図の調整(コーディネーション)の法則です。
自分を楽観主義者にさせる必要はありません。でも、いろんなことへの自分の態度を変える必要があります。
あなたとあなたの態度は同じではありません。というのは、自分自身を変える必要はありません。その忌々しい状況へのネガティブな反応は反射です。慣れている癖です。しかも、一番、悪い癖かもしれません。反射的なネガティブ主義は牡蠣の存在の方法です。それは無意識な夢です。その夢の行方にあなたは影響を与えることができません。あなたの理性は、忌々しい状況と遭ったら、直ぐに暗くなります。そして、あなたの人生のラインはネガティブな線の方に入ります。結局、状況は、もっともっと暗くなります。そして、そのネガティブな線のチェーンで、あなたは暗闇に落ちます。
回りの状況をコントロールするためには、自分の態度を意識的に操作することが必要です。状況が悪い時に、「全部はいいです。」とか「全部はうまくいきます。」ということを繰り返して言わなくてもいいです。
私が言いたいのは、先ず、夢から目覚めることです。というのは、その状況を横から眺めることです。そして、その状況への自分の態度を意識することです。・・・一番、大事なのは、私が意識して行動をとることです。そして、ネガティブな線に行かないことです。・・・そうしたら、あなたは、本当に、その出来事をコントロールするようになったのです。あなたは状況に影響されるのではなく、その状況があなたの利益のために働くのです。・・・
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■その状況を横から眺めることです。:識別するようにします。
''カム・バクーシの手紙'' - リリース・テクニック
2012-04-25 03:16:48 | 感情のリリース
私は皆さん一人一人がメソッドでリリースを続けていってほしいと思っています。私達は始めても、止めてしまいます。再び始めますが、また止めてしま います。これの繰り返しです。これは決断が出来ていないからなのです。一度決断が下されれば、手放す事の勢いがついて、手放す事がどんどん簡単に行くのです。
問題はあなた方が本当に自由を望んでいないという事なんです。あなた方は自由について話し、考えますが、最終的にはそれを望んでいないのです。 もし 望んでいるのなら、手放す事を止めないでしょう。あなたはそれよりも不幸に浸ろうとします。自分の物語を愛し、苦しみ過ぎているのです。よく自分の内面を 観察し、自分でそれを確かめて下さい。
心をあるがままに観察して下さい。愚か者のように振舞うのを止めて、ゴミを識別して下さい。その物語を話しながら手放して下さい。その物語はあなたとどんな関係があったのでしょうか?
あなたが経験する平安と解放感は筆舌に尽くしがたいものです。その平安はいつもはっきりとしているでしょう。まだ様々な状況やドラマが起こるでしょうが、その平安さはいつもそこにあるでしょう。
私は皆さんにリリースを続けるよう嘆願します。自分自身を愛し、優しくして下さい。あなたとわたしは同じです。違いはないのです。皆さんが自分自身の苦しみや不幸をきっぱりと終らせる事を完了するよう後押しするために、この話を致しました。
6つのステップを見直して下さい。あなたが知らなければならない事が全てそこにあります。それは自由への地図のようなもので、正しい道を導いてくれます。この6つのステップは、あなたが知識として知る必要があること全てです。
ゴール・セッティング (バット・システム) のまとめ - 03 - 恐れと心配の克服
2013-05-24 22:40:36 | releasing
Overcoming Fear and Anxiety – 恐れと心配の克服?
2013-02-17 08:34:43 | Sedona Method
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感情のチャート (プライドから、無気力へと下降する)
PRIDE / プライド
ANGER / 怒り
LUST / 渇望
FEAR / 恐れ
GRIEF / 悲しみ
APATHY / 無気力
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エゴとマインドの状態 (無気力・悲しみ・恐れ・渇望・怒り・誇りの 6つの状態(AGFLAP の状態))
感情のチャートの(図表の) 否定的な部分 / AGFLAP
APATHY / 無気力、GRIEF / 悲しみ、FEAR / 恐れ、LUST / 渇望、ANGER / 怒り、PRIDE / プライド、
問題に集中している状態。(問題の原因を理解しようとしている状態。問題を解きたいと集中している状態。)
ゴール(目標)リリーシング by スティーブ・セラタン
人々が共通して勘違いしている事は、誰もが目標に到達する事が幸せや安心を与えてくれると思っている事です。残念ながら、不幸なセレブ(ヒース・レジャー、ブリトニー・スピアーズ等)を見れば判るように、それは真実ではありません。
レスターはメソッドの中でゴールを好みました。なぜなら、この世界をマスターする必要があったからです。しかし、ゴールのプロセスは何を意味するの でしょう。「私は常に余剰なお金を持つ事を自分に許します」というような高いエネルギーで宣言をする度に、あなたは目標到達を妨げるような傾向を提起し、 こう思うのです。「これは私の性にあってない。本当に現状を突破しようとするのは難しい。今の自分を容認できるようにリリースするだけさ」というような事 を。なぜ私達がハイな状態に入っていないあらゆる理由は終わりのないくらい存在するのです。
これがゴールのプロセスを行なう理由なのです。ゴールにワークする事によって私達は美しく力強い存在である自分自身を観ることを阻止しているものに直面し、それを捨てることが出来るのです。
抵抗(隠れた敵) by スティーブ・セラタン
「抵抗とは、私達に“存在”や“無限性”を体験する事をさせないようにしている、無意識レベルのプログラムです。もし抵抗を手放そうとするなら、それが実際にどういうものであるか、すぐに分かるでしょう。」~レスター・レヴェンソン
(リリースすることで)相次いで利益や成功を得たところで、突然、睡眠不足や風邪、あるいは混乱した感じでどうにもならなかくなったという経験はありませんか?
あなたは、恐らく物事はスムースに行かないように思われるか、手放すことが簡単ではなくなっている事に気づくでしょう。
そんな時、全てのネガティブな感情を蓋のように抑え込んでいる、「抵抗」として知られているエゴ(自我)の保護メカニズムにあなたは遭遇しているのです。
レスターはこう言いました。「もし抵抗が存在していないなら、あなたはすぐに自由になるでしょう」と。
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全ては、Having, Doing, Being, の状態です。
2013-05-04 18:20:45 | Sedona Method
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セッション4 - 幸福..........12 - 最終自由の鍵 (究極の自由への鍵)
2012-04-29 09:01:57 | KEYS TO THE ULTIMATE FREEDOM
上に言われているように、真実は世界で見つけることができません。
2重で、私たちが今それを見るとともに、世界は多重です。
ちょうど世界の後ろに行く場合、私たちは絶対的真実を発見します、世界と宇宙の至る所で珍しい単一性があります。また、それは、私たちの非常に自分のセルフ(私たちの非常に自分のBeingness(注記:ビーイングネス:存在))であると判明します、どれ、どこかの呼び出し神。
- 12 -
世界はそうです、しかしない、人々がそれを見るとともに。
世界は本当に私たちのただのセルフ(非常に自分の)です。
「私はそうです」と言う場合、私たちが使用する「私」が、「私」です。(正確な)(同じ)(偽って個別で、分割されたように見える)
私たちが見る真実を見る場合、私です、1つのBeingness(注記:ビーイングネス:存在)だけがあります、1つの意識だけがあります、そして、私たちは、以前は個別に見えたすべてのBeingness(注記:ビーイングネス:存在)か意識の合計です。
したがって、再び、真実または幸福を見つけるために、内側は行かなければなりません、単一性を見なければなりません、それがあなたの意識だけとして、実際にあるように、あなたは宇宙を見なければなりません。それは単なるセルフです。
これが記述するのが難しいので、経験を積んでいるに違いないのは何かです。
誰かがそれを経験する場合に限り、雌ジカ1は知っています。
それは誰の言うことを聞くことから上昇して取ることができません。
本および教師sは方向だけを指示することができます。私たちはそれをとらなければなりません。
それはパスに関するよいもののうちの1つです。
信じられるものは何もありません、それが受理される前に、すべては自分の充足に各々によって経験され証明されるに違いありません。
それを要約するために、私はバイブルから2つの引用をとることができます:
「私は、そうであるということである」、そして、「まだあって、私が神であることを知ってください。」
あるいは、言いかえれば、汝、芸術、どれ、汝、芸術を求めること、静か、それを見るまで、心。
オーケー?
今、私たちは質問を検討してもよい。
Q: 私は違いに出合います、-これらの人々、私たちのすべて、この部屋では、私たち各自は形式を持っています。また、私はそれを見ます。
レスター:
誤って見ています。
エラーで見ています。
私を見る場合、真実を見るべきです、セルフを見るべきです。
この真実を見るその日まで努力してください。
Q: 私は違いに出合います、-これらの人々、私たちのすべて、この部屋では、私たち各自は形式を持っています。また、私はそれを見ます。
レスター:
誤って見ています。
エラーで見ています。
私を見る場合、真実を見るべきです、セルフを見るべきです。
この真実を見るその日まで努力してください。
Q: 私がこの方角に努力するただ一つの理由はそうです、したがって、私はよりよく他の人々を助けることができました。
レスター:
よい、しかし、自ら努力することができないのと同様に、他の人々を助けることができません。
したがって、他のものを支援する最良の方法は自ら努力することです。
それは自動的にあります、したがって、自ら努力するだろうという程度に他のものを支援するでしょう。
両方をしてください。
Q: したがって、他のものの支援により自ら努力する?
それは2つの方法行為ではありませんか。
レスター:
はい。
しかしながら、数えるのは動機です。
私があなたの利己的な動機を手伝っていれば、それは私またはあなたを助けません。
単にあなたを助けるのを支援すれば、私は成長します。
しかし、自分のegoglorificationのために支援する多くの人々が世界にいます。また、それはそれらを助けません、どれ、および、それをする、その後、それらが支援するので、あなたを助ける、あなた、自我的に、つまり、それらは、あなたの自我を有効にするのを支援します。
Q: それは非常に微妙なもの(取り除く非常に困難なもの)である、その自我。
レスター:
正しい。
自我がこれ以上ない場合、残されたただ一つのものはそれである無限大です、あなたはそうです。
自我は、すべてからの分離の感覚です。
私は、個人(レスター)です:そして、私はすべてから、個別(分離)です、本当に、あなたたち人々は、私より別(分離)です、つまり自我(孤立)離脱(分離)の感覚です。
私がそうではない瞬間、すべて、私は何かを欠きます。次に、私は、それを戻そうとします。
私は、見当たらない部分を必要とすると思います、すべてと私は、それらを得ようとし始めます。
したがって、私は、持っていないと考えます、すべて、私は制限されています。また、これは急下降を始めます、また、いるところに、得るまで、私たちは継続します。
しかしながら、私たちは今すべて途中です。
また、大問題は、私たちの自我、感覚私がすべてと離れている個人であるというを取り除くことです。
私たちは私たちの動機づけを見ることによりこれをすることができます。
私たちの動機づけが利己的な場合、私たちはそれを変更します、それを利他主義にする;
私たちは、自分のためにではなく他のものの代理をします。また、このように、私たちは成長します。
- 13 -
Q: すべては、私たちが見るということだとは限りませんか、1片の木切れ、ポテトチップス、その永遠の真実の一部?
レスター:
はい、しかし、それをあなた以外の何とも見なしてはなりません。次に、その真実を見ます。
世界は消えません、その私たちの認識は完全に変わります。
私たち以外である世界の代わりに、それは私たちに似合います。あるいは、私たちはそれに似合います。
あなたが世界をあなたと見なす時、それは個別に見えた時、それが見えたものとは完全に異なっているでしょう。
それおよびその中の皆で愛し識別するでしょう。
完全に誰かを愛している場合、その一つを一体視します。また、一つで一つになります。
愛している宇宙になる場合、宇宙、あるいは、完全にその宇宙を愛していれば、宇宙になります。
愛は絶対に必要です。
私たちは、全く愛している場合、そうであるとそれである壮大で壮麗な無限大で全く識別します!
- 14 -
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悟りの段階 (悟りの階梯)
預流果 (よるか) - (◎『後進のため、悟りは説き明かされた』)
最初の悟り・預流果では、細かく分ければ千五百もあると言われる煩悩の中、たった三つ(三結)だけが消えています。でもそれは、悟りを決定付ける三つです。
一つ目は、「有身見」と呼ばれる煩悩。
これは欲でも怒りでもなく無知に分類される、誤った見解・邪見です。「私の身体」「私という心身集合体」など、どう呼んでもいいのですが、とにかく何か 「私」というものがいると錯覚している煩悩が、まず根こそぎ消えます。瞑想したり集中して仏法の話を聞いたりしている最中に、一瞬でも「私」がいない、何 もない瞬間を「体験」して、「ああ、『私』がいるわけではないのだ」と納得した智慧が生まれ、有身見が消えるのです。
「無常を悟る、無我を悟ることが仏教だ」と言われる、その無常、無我を一瞬だけでも「体験」して、「我がある」という邪見・煩悩が、単なる知識として分かるのではなく、本当に消えるのです。
二つ目と三つ目は、一つ目の有身見が消えれば、自然に消える煩悩です。
この二つも無知に基づく邪見です。「疑」と「戒禁取」です。
「疑」とは、「何が真実か分からないままぐずぐずウジウジしていること」です。預流果に悟ると、このウジウジ状態や真偽を見誤ることがなくなります。
釈尊は、「八回目にはもう生まれ変わりません。七回生まれ変わる間には完全に悟れます」と限定しておられます。
お釈迦様は念のため、「預流果の人は天界か人界にだけ生まれ変わり、地獄、畜生、餓鬼界に生まれることは決してない」ともおっしゃっています。
一来果 (いちらいか) - (◎『悟りが進むと輪廻が減る』)
一来果では、有身見、疑、戒禁取の三結は当然消えていますが、その他に、欲、怒り、無知の三煩悩が、いずれも弱くなります。
一来果に達すると、輪廻が後たった一回だけで済むようになります。
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続きます。
完全な自由と悟りの段階 (悟りの階梯) - 02
2013-07-10 00:33:04 | 話題 (opinion)
参考サイト:
あなたはすでに全体で、完全です - まとめ - 2
2013-06-06 20:16:00 | releasing
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「真我の自覚と無知」の章で、シュリー・ラマナは、身体と心を通して機能している個人が存在するという観念をただ捨て去るだけで、真我の実現は起こりうると主張しつづけている。 ほんのわずかな熟達した帰依者たちだけがこれをすばやく容易に為し遂げたが、他の者たちにとって、何らかの形式の霊的修練を積むことなしには、それはほとんど不可能に見えた。 シュリー・ラマナは彼らの苦境を理解し、真我の自覚を促す霊的修練を指導するように頼まれたときは、真我探究(ヴィチャーラ)と呼ばれるテクニックを勧めたのだった。 この修練は彼の実践的哲学の礎となっている。
あるがままに♪ BE AS YOU ARE(あるがままに)-5
第4章 真我探究-理論
シュリー・ラマナは、個人という概念はただ「私」という想念がさまざまな形で現れているだけだという見解を支持している。
彼はさまざまな心の活動(自我、知性、記憶など)を分離した個別の機能として見なす代わりに、それらを「私」という想念のさまざまな表現形式だと見ている。
彼は個人と心、そして心と「私」という想念を同一のものとして見ているため、個人という感覚の消滅が心と「私」という想念の両方の消滅を暗示することになる。
彼は真我だけが唯一存在する真理であると主張し、「私」という想念は、それ自体では存在をもたないひとつの誤った仮定だと見なしている。
彼はその現れについて、「私」という想念は対象物と同一化することで存在するように見えるだけだ、と説明している。 思考が活動するとき「私」という想念は、「私は考える」「私は信じる」「私は行為する」といった思考の所有を主張する。
しかし、同一化した対象物に依存せずに存在する分離した「私」という想念はない。
それはただ、絶え間ない自己同一化の流れによって、現実に継続して存在する実体のように見えるだけである。
こういった同一化のほとんどすべては、「私」が身体に限定されているという根本的な想念にその源をたどることができる。
この「私は身体だ」という観念が、絶え間なく起こる誤った同一化の根源であり、そして「私は身体だ」という観念の終焉こそが真我探究の根本的な目的なのである。
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あなたはすでに全体で、完全です - まとめ - 1
2013-06-02 09:07:29 | releasing
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「トランサーフィンの補助輪的な運命のコントロールノート」の理論的なベースになっている個所をトランサーフィン第6巻、ルーラー・オブ・リアリティから引用します。
・・・私は、いつも、コージマ・プルトコフの格言のことを気にしていました。それは、「幸せになりたければ、幸せになれ。」という格言です。この表現は、仮面みたいに、一面は白く、もう一面は黒いのです。。この表現はちょっとおかしいと思いませんか。全部は正しいですね。反論することはありません。でも、その表現は役に立つと思いますか。
今、困難な状況でしたら、自分自身を楽観主義者にさせることは、まず、できません。でも、この石化した真実を復活させる方法があります。それは意図の調整(コーディネーション)の法則です。
自分を楽観主義者にさせる必要はありません。でも、いろんなことへの自分の態度を変える必要があります。
あなたとあなたの態度は同じではありません。というのは、自分自身を変える必要はありません。その忌々しい状況へのネガティブな反応は反射です。慣れている癖です。しかも、一番、悪い癖かもしれません。反射的なネガティブ主義は牡蠣の存在の方法です。それは無意識な夢です。その夢の行方にあなたは影響を与えることができません。あなたの理性は、忌々しい状況と遭ったら、直ぐに暗くなります。そして、あなたの人生のラインはネガティブな線の方に入ります。結局、状況は、もっともっと暗くなります。そして、そのネガティブな線のチェーンで、あなたは暗闇に落ちます。
回りの状況をコントロールするためには、自分の態度を意識的に操作することが必要です。状況が悪い時に、「全部はいいです。」とか「全部はうまくいきます。」ということを繰り返して言わなくてもいいです。
私が言いたいのは、先ず、夢から目覚めることです。というのは、その状況を横から眺めることです。そして、その状況への自分の態度を意識することです。・・・一番、大事なのは、私が意識して行動をとることです。そして、ネガティブな線に行かないことです。・・・そうしたら、あなたは、本当に、その出来事をコントロールするようになったのです。あなたは状況に影響されるのではなく、その状況があなたの利益のために働くのです。・・・
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■その状況を横から眺めることです。:識別するようにします。
''カム・バクーシの手紙'' - リリース・テクニック
2012-04-25 03:16:48 | 感情のリリース
私は皆さん一人一人がメソッドでリリースを続けていってほしいと思っています。私達は始めても、止めてしまいます。再び始めますが、また止めてしま います。これの繰り返しです。これは決断が出来ていないからなのです。一度決断が下されれば、手放す事の勢いがついて、手放す事がどんどん簡単に行くのです。
問題はあなた方が本当に自由を望んでいないという事なんです。あなた方は自由について話し、考えますが、最終的にはそれを望んでいないのです。 もし 望んでいるのなら、手放す事を止めないでしょう。あなたはそれよりも不幸に浸ろうとします。自分の物語を愛し、苦しみ過ぎているのです。よく自分の内面を 観察し、自分でそれを確かめて下さい。
心をあるがままに観察して下さい。愚か者のように振舞うのを止めて、ゴミを識別して下さい。その物語を話しながら手放して下さい。その物語はあなたとどんな関係があったのでしょうか?
あなたが経験する平安と解放感は筆舌に尽くしがたいものです。その平安はいつもはっきりとしているでしょう。まだ様々な状況やドラマが起こるでしょうが、その平安さはいつもそこにあるでしょう。
私は皆さんにリリースを続けるよう嘆願します。自分自身を愛し、優しくして下さい。あなたとわたしは同じです。違いはないのです。皆さんが自分自身の苦しみや不幸をきっぱりと終らせる事を完了するよう後押しするために、この話を致しました。
6つのステップを見直して下さい。あなたが知らなければならない事が全てそこにあります。それは自由への地図のようなもので、正しい道を導いてくれます。この6つのステップは、あなたが知識として知る必要があること全てです。
ゴール・セッティング (バット・システム) のまとめ - 03 - 恐れと心配の克服
2013-05-24 22:40:36 | releasing
Overcoming Fear and Anxiety – 恐れと心配の克服?
2013-02-17 08:34:43 | Sedona Method
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感情のチャート (プライドから、無気力へと下降する)
PRIDE / プライド
ANGER / 怒り
LUST / 渇望
FEAR / 恐れ
GRIEF / 悲しみ
APATHY / 無気力
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エゴとマインドの状態 (無気力・悲しみ・恐れ・渇望・怒り・誇りの 6つの状態(AGFLAP の状態))
感情のチャートの(図表の) 否定的な部分 / AGFLAP
APATHY / 無気力、GRIEF / 悲しみ、FEAR / 恐れ、LUST / 渇望、ANGER / 怒り、PRIDE / プライド、
問題に集中している状態。(問題の原因を理解しようとしている状態。問題を解きたいと集中している状態。)
ゴール(目標)リリーシング by スティーブ・セラタン
人々が共通して勘違いしている事は、誰もが目標に到達する事が幸せや安心を与えてくれると思っている事です。残念ながら、不幸なセレブ(ヒース・レジャー、ブリトニー・スピアーズ等)を見れば判るように、それは真実ではありません。
レスターはメソッドの中でゴールを好みました。なぜなら、この世界をマスターする必要があったからです。しかし、ゴールのプロセスは何を意味するの でしょう。「私は常に余剰なお金を持つ事を自分に許します」というような高いエネルギーで宣言をする度に、あなたは目標到達を妨げるような傾向を提起し、 こう思うのです。「これは私の性にあってない。本当に現状を突破しようとするのは難しい。今の自分を容認できるようにリリースするだけさ」というような事 を。なぜ私達がハイな状態に入っていないあらゆる理由は終わりのないくらい存在するのです。
これがゴールのプロセスを行なう理由なのです。ゴールにワークする事によって私達は美しく力強い存在である自分自身を観ることを阻止しているものに直面し、それを捨てることが出来るのです。
抵抗(隠れた敵) by スティーブ・セラタン
「抵抗とは、私達に“存在”や“無限性”を体験する事をさせないようにしている、無意識レベルのプログラムです。もし抵抗を手放そうとするなら、それが実際にどういうものであるか、すぐに分かるでしょう。」~レスター・レヴェンソン
(リリースすることで)相次いで利益や成功を得たところで、突然、睡眠不足や風邪、あるいは混乱した感じでどうにもならなかくなったという経験はありませんか?
あなたは、恐らく物事はスムースに行かないように思われるか、手放すことが簡単ではなくなっている事に気づくでしょう。
そんな時、全てのネガティブな感情を蓋のように抑え込んでいる、「抵抗」として知られているエゴ(自我)の保護メカニズムにあなたは遭遇しているのです。
レスターはこう言いました。「もし抵抗が存在していないなら、あなたはすぐに自由になるでしょう」と。
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全ては、Having, Doing, Being, の状態です。
2013-05-04 18:20:45 | Sedona Method
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セッション4 - 幸福..........12 - 最終自由の鍵 (究極の自由への鍵)
2012-04-29 09:01:57 | KEYS TO THE ULTIMATE FREEDOM
上に言われているように、真実は世界で見つけることができません。
2重で、私たちが今それを見るとともに、世界は多重です。
ちょうど世界の後ろに行く場合、私たちは絶対的真実を発見します、世界と宇宙の至る所で珍しい単一性があります。また、それは、私たちの非常に自分のセルフ(私たちの非常に自分のBeingness(注記:ビーイングネス:存在))であると判明します、どれ、どこかの呼び出し神。
- 12 -
世界はそうです、しかしない、人々がそれを見るとともに。
世界は本当に私たちのただのセルフ(非常に自分の)です。
「私はそうです」と言う場合、私たちが使用する「私」が、「私」です。(正確な)(同じ)(偽って個別で、分割されたように見える)
私たちが見る真実を見る場合、私です、1つのBeingness(注記:ビーイングネス:存在)だけがあります、1つの意識だけがあります、そして、私たちは、以前は個別に見えたすべてのBeingness(注記:ビーイングネス:存在)か意識の合計です。
したがって、再び、真実または幸福を見つけるために、内側は行かなければなりません、単一性を見なければなりません、それがあなたの意識だけとして、実際にあるように、あなたは宇宙を見なければなりません。それは単なるセルフです。
これが記述するのが難しいので、経験を積んでいるに違いないのは何かです。
誰かがそれを経験する場合に限り、雌ジカ1は知っています。
それは誰の言うことを聞くことから上昇して取ることができません。
本および教師sは方向だけを指示することができます。私たちはそれをとらなければなりません。
それはパスに関するよいもののうちの1つです。
信じられるものは何もありません、それが受理される前に、すべては自分の充足に各々によって経験され証明されるに違いありません。
それを要約するために、私はバイブルから2つの引用をとることができます:
「私は、そうであるということである」、そして、「まだあって、私が神であることを知ってください。」
あるいは、言いかえれば、汝、芸術、どれ、汝、芸術を求めること、静か、それを見るまで、心。
オーケー?
今、私たちは質問を検討してもよい。
Q: 私は違いに出合います、-これらの人々、私たちのすべて、この部屋では、私たち各自は形式を持っています。また、私はそれを見ます。
レスター:
誤って見ています。
エラーで見ています。
私を見る場合、真実を見るべきです、セルフを見るべきです。
この真実を見るその日まで努力してください。
Q: 私は違いに出合います、-これらの人々、私たちのすべて、この部屋では、私たち各自は形式を持っています。また、私はそれを見ます。
レスター:
誤って見ています。
エラーで見ています。
私を見る場合、真実を見るべきです、セルフを見るべきです。
この真実を見るその日まで努力してください。
Q: 私がこの方角に努力するただ一つの理由はそうです、したがって、私はよりよく他の人々を助けることができました。
レスター:
よい、しかし、自ら努力することができないのと同様に、他の人々を助けることができません。
したがって、他のものを支援する最良の方法は自ら努力することです。
それは自動的にあります、したがって、自ら努力するだろうという程度に他のものを支援するでしょう。
両方をしてください。
Q: したがって、他のものの支援により自ら努力する?
それは2つの方法行為ではありませんか。
レスター:
はい。
しかしながら、数えるのは動機です。
私があなたの利己的な動機を手伝っていれば、それは私またはあなたを助けません。
単にあなたを助けるのを支援すれば、私は成長します。
しかし、自分のegoglorificationのために支援する多くの人々が世界にいます。また、それはそれらを助けません、どれ、および、それをする、その後、それらが支援するので、あなたを助ける、あなた、自我的に、つまり、それらは、あなたの自我を有効にするのを支援します。
Q: それは非常に微妙なもの(取り除く非常に困難なもの)である、その自我。
レスター:
正しい。
自我がこれ以上ない場合、残されたただ一つのものはそれである無限大です、あなたはそうです。
自我は、すべてからの分離の感覚です。
私は、個人(レスター)です:そして、私はすべてから、個別(分離)です、本当に、あなたたち人々は、私より別(分離)です、つまり自我(孤立)離脱(分離)の感覚です。
私がそうではない瞬間、すべて、私は何かを欠きます。次に、私は、それを戻そうとします。
私は、見当たらない部分を必要とすると思います、すべてと私は、それらを得ようとし始めます。
したがって、私は、持っていないと考えます、すべて、私は制限されています。また、これは急下降を始めます、また、いるところに、得るまで、私たちは継続します。
しかしながら、私たちは今すべて途中です。
また、大問題は、私たちの自我、感覚私がすべてと離れている個人であるというを取り除くことです。
私たちは私たちの動機づけを見ることによりこれをすることができます。
私たちの動機づけが利己的な場合、私たちはそれを変更します、それを利他主義にする;
私たちは、自分のためにではなく他のものの代理をします。また、このように、私たちは成長します。
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Q: すべては、私たちが見るということだとは限りませんか、1片の木切れ、ポテトチップス、その永遠の真実の一部?
レスター:
はい、しかし、それをあなた以外の何とも見なしてはなりません。次に、その真実を見ます。
世界は消えません、その私たちの認識は完全に変わります。
私たち以外である世界の代わりに、それは私たちに似合います。あるいは、私たちはそれに似合います。
あなたが世界をあなたと見なす時、それは個別に見えた時、それが見えたものとは完全に異なっているでしょう。
それおよびその中の皆で愛し識別するでしょう。
完全に誰かを愛している場合、その一つを一体視します。また、一つで一つになります。
愛している宇宙になる場合、宇宙、あるいは、完全にその宇宙を愛していれば、宇宙になります。
愛は絶対に必要です。
私たちは、全く愛している場合、そうであるとそれである壮大で壮麗な無限大で全く識別します!
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