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カッキーYAMA   akihiko tange

手始めに、日常的なことを気の向いたときに載せていくつもり。

アジ焼き物語り     

2018-08-20 | エッセイ

昨夜、晩飯にアジの干物を焼いて食べていた。
テーブルの上に古びたガスコンロをひとつ置き、コーナンで買って来た網焼き用の網を乗せ、
ピーマンなどの野菜と一緒に、次々と焼きながら食べるのだ。
一番簡単で、焼けたものから酒の摘みにしながら熱いのを食べるのは、とても好い時間だ。
煙が部屋の天井近くに満ち満ち、焼き魚の匂いで充満するのだが、特に気にしていない。
匂い消しの除菌ファブリーズのスプレーだって買って準備してあるのだ。
壁に掛かった時計の文字盤もかすむ中、これは「Misty」の世界だ、などと言っている。
ここで、「look at me ~」などと口ずさめば最高の気分だ。
Mistyはjazzのスタンダードナンバーのひとつだ。
雲の中にフワフワといるような、霧の中を歩いているような・・・恋の・・・。
有名な曲なので自分も友人などとのセッションの時のレパートリーの中に入れているのだが、
そんな雰囲気の中、アジを食べているのである。
アジは5月から7月が旬とのことだが、なに、夏だろうが秋だろうが食べるのである。干物だし・・・。
見るとスーパーで買ったもので、長崎産と書いてある。
アジは実は家のある神奈川の沖の相模湾産も有名で小田原、伊豆などで土産に買って帰ることがある。
良い干物が多い。エボダイとともに好きな魚のひとつだ。

焼き上がるのも早々に、ひと口、噛り付いて吞み込んだら、やばい!小骨が喉に引っ掛かったのである。
アジは小骨をバリバリとよく噛んで食べるのが常套なのだが、早く食べたくてその法則を飛び越えてしまったのだ。
微かにチクッときて、あっ、まずいな、引っ掛かりそうだ、んっ? 喉の脇に肉壁にククッと掛かってしまったようだ。
釣りの時に口先に針がちょんと掛かってしまった時の魚の心境か・・・。
釣られたアジの一矢なのか・・・。
以前、どうにもこうにも小骨が取れず、一晩中、イガイガしていたことが思い出された。
昨夜はしっかりと引っ掛かる前にご飯などを塊にして丸呑みし、何とか喉奥に押し込んで事無きを得たのであった。

めでたしめでたし。





Drawing☆Aug2018

2018-08-20 | アート


drawing                                                                                                                                               aug2018





drawing                                                                                                                                               aug2018







広河原山荘ボールペン

2018-08-20 | エッセイ




先月末、南アルプス白峰三山へ行ったときに、初日は楽をして広河原山荘に泊まった。
夜、煙草を吸いに外へ出ると星が綺麗に見られた。
頂上へ行けば、きっと満天の星空だろうと想像した。

連日の好天で実際にそうだった。毎晩眺めた。
天の川と流れ星。
北岳肩の小屋では、北方の夜空に白く浮かび上がる甲斐駒。その上に北極星、
振り返って南方の北岳の上には、火星。
甲斐駒と北岳が真北と真南に対照をなしていた。

広河原山荘の受付で宿泊の記入をしたときのものらしいボールペンが、後でリュックから転がり出てきた。
記入してそのままリュックに入れてしまったらしい。
持って行ってしまう人が多いのか、ちゃんとネームの紙が貼ってある。
返しに山道を戻るわけにはいかなかったのが、このまま記念に使わせてもらうことにします。
食事もそこで飲んだお酒も、夜空も水も、川の音も、そこで教えてくれた山の情報も、すべて良い思い出です。




富士山のニュースなど

2018-08-20 | エッセイ


yomiuri online から
富士山 吉田市からの眺め


毎年のことだが、今年もまた富士登山の混雑ぶりがニュースなどで話題となった。
例年、20万人を超える人々が・・・などと出ている。
夕闇迫る中のこのヘッドランプの光の筋は、いつも僕の中に人間の営みに対する感情の一端を
静かに引き起こさせてくれる。
実際の登山でも遠目に見ると静かな人のエネルギーの流れに見える。
10年ほど前に僕の場合は須走口から登った。その前が富士宮側から登り、車道を延々と歩かされる状態で懲りたので、
登り口を変え時間帯も夜を通して登ることにした。山小屋での混雑も回避したかったからだ。
山小屋は登ってみるとこちら側は人気の吉田口側とは異なり意外に空いている印象だった。
人の列の少ない、静かな夜道を登った記憶がある。
そして途中で吉田口ルートと合流するあたりになると様相は一変した。行列! 
やはりメインルートだけあって、人多く、話し声も賑やかといえば賑やかだが騒々しく、

登山品の何やらガチャガチャという音とぜーぜー言う息の音などが入り混じった中を、
また元気を回復させ、登って行くのだった。

そういった静けさと賑わいの変化も楽しいものだった。
懐かしい思い出だ。

富士登山は延々と登る感じだ。以前知り合いのおばさん(失礼! とは言っても僕と似たような歳だった)が、富士山に登った興奮
まだ冷めやらずという感じで話してくれたことがあって、僕はその時はまだ行く気は無くぼんやりと口を開けて聞いていたのだが、
「富士山ってやっと山の上に登ったと思ったら、他と違って、またもう一つ上に高い山がそこからある感じで、
なっかなか着かないんだから、もう!」と身振り手振りを入れて言っていた。
その後、何かの縁で登ってみることになったのだが、そうだった。言っていた通りの感じ。
延々と登り、延々と砂利の斜面を下り、2回ほど登ったけれど、僕は、もう大変なのであまり行きたくはない。

今年の夏は、早朝の南アルプスから、富士山が綺麗に見ることができた。眺めていて、今年もまたあの斜面を行列をなして、炎天下また夜、
一日中絶えることなく人が登っているのだろうなと思った。