会津天王寺通信

ジャンルにこだわらず、僧侶として日々感じたことを綴ってみます。

今年も11日に東日本大震災の合同法要を開催 柴田聖寛   

2019-03-07 17:20:21 | 災害

 毎年恒例となった会津天王寺の高田観音と滋賀県長浜の玉泉寺との東日本大震災の合同法要を来る11日に執り行います。両方の寺でそれぞれ行われるもので、会津天王寺へのご参集のほどよろしくお願いいたします。

 2011年3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災では、津波などで15895名の尊い命が失われ、未だに2530名もの方々が行方不明になっています。また、東京電力福島第一原発の事故では、直接の死亡者は出なかったものの、関連死は2200名を超えるとみられています。

 玉泉寺の吉田慈敬御住職は東日本大震災の被災民を救済するために天台宗の先頭に立たれました。私と一緒に同年3月20日、関西からトラックで救援物資を本宮市、郡山市、会津若松市に運ばれた方で、惨状を目のあたりにされたのでした。会津天王寺と玉泉寺の合同法要は今年で3回目になりますが、今回もまた、両方で東日本大震災の犠牲者の御霊に祈りを捧げたいと思っております。

 元三大師良源が延喜12年(912)に生まれた場所が玉泉寺です。幼名は観音丸と呼ばれていました。比叡山で修行し、17歳で受戒して良源と名乗るようになりました。そのときから頭角を現しました。新たな修行地として横川を選んだのでした。藤原忠平、師輔のバックアップを受けて、横川には法華三昧堂、飯室谷に阿弥陀堂と妙香院を建立しました。良源は応和3年(963)の宗論でも他を圧倒しました。康保3年(966)には第18世天台座主に就任し、比叡山大火の復興に取り組みました。良源の遺言によって、死後横川に埋葬されたのでした。良源が「角大師」といわれたのは、疫病から人々を救うために、自らの鬼の姿となり、それを弟子の一人に描き写させ、弟子たちがその絵を版木に彫り、お札を刷って配ったからです。

 昨年9月3日に玉泉寺発行で『マンガ元三大師良源』(監修武覚超、マンガすずき孔)が世に出ましたので、それを参考にして元三大師良源についてまとめてみました。    合掌

                           



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