会津天王寺通信

ジャンルにこだわらず、僧侶として日々感じたことを綴ってみます。

聖寛の独り言①聖徳太子の17条憲法で僧も三宝の一つ 柴田聖寛

2024-06-09 19:54:05 | 信仰

 聖徳太子の17条の憲法の第2条には「篤(あつく)く三宝(さんぽう)を敬え三宝とは、仏と法と僧なり。 すなわち四生(しょう)の終帰(よりどころ)、万国の極宗(おおむね)なり。いずれの世、いずれの人か、この法を貴ばざらん。人、はなはだ悪(あ)しきもの少なし。よく教うるをもて従う。それ三宝に帰(よ)りまつらずば、何をもってか枉(まが)れるを直(ただ)さん」という言葉があります。
 三宝というのは、仏、法、僧のことを意味し、仏教徒はその三つを尊い宝と見なしたのです。まだ日本に仏教が根を下ろす以前であったために、聖徳太子は多くの人の教える必要があったからです。
 僧というのは、それだけ仏教徒にとっては敬愛の対象であったわけです。もちろん、同じ人間ですから欠点もあります。しかし、仏法を実践する者として、仏に仕える者として、己に厳しくあらねばならないのです。
 私は人よりも遅れて仏門に入りましたが、宝に価するような僧侶になるべく、日々精進を重ねてまいりました。『お寺さん崩壊』という本があるように、江戸時代に檀家制度ができたことで、ほとんどの寺が葬式仏教になってしまいました。位牌や仏壇は先祖供養と密接に結びついています。それを頭ごなしに否定することは間違いだと思います。仏教に関しても、日本独自のものがあってよいからです。
 私は天台宗の僧として、布教にも努めてまいりました。ささやかなことしかできませんが、世界平和を呼びかけるイベントにも参加しましたし、会津三十三観音霊場の本を東京の出版社から出しました。
 一仏教徒として私がしなければならないのは、常に仏教本来の姿に立ち返ることであり、日本仏教の特色である葬儀に関しては、これまで同様に大役を担っていくということです。
       合掌

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法華経の信者であった人間石原慎太郎氏 柴田聖寛

2022-02-26 20:57:50 | 信仰

 

 作家で東京都知事でもあった石原慎太郎氏の死は、私にとっても一つの時代の終わりを象徴するできごとでした。私よりも一回り以上も年で、戦後の日本を牽引したスター的な要素を持った人でした。 
 その人が法華経を信仰していたことは有名なエピソードですが、政治家としては強い性格の反面、作家としてはナィーブなところがあったと思います。すぐに目をしばたかせるのは、神経質だったからだと思います。
 石原氏が霊友会に入ったのは、昭和43年の参議院全国区に立候補するためで、産経新聞の社主である水野成夫氏が会長の小谷喜美氏を紹介したことがきっかけといわれますが、石原氏自身がもともと法華経に関心を抱いていたようです。
 ですから、石原氏は、法華経つながりで、立正佼成会の開祖である庭野日敬氏や、妙智会教団の大導師宮本丈靖氏とも親交があったのでした。
 週刊仏教タイムスの令和4年2月17日号では、そのことが記事になっており、「石原慎太郎と法華経 霊友会・小谷喜美の弟子」「佼成会・妙智会とも親しく」「『師』を意識した信仰者」という見出しが付けられています。庭野氏の葬儀では石原氏は仏説観普賢菩薩行法系の一節「但当に深く因果を信じ、仏は滅したまわずと知るべし」を引用して追悼の言葉としたのです。
 この記事には石原氏がひたすら祈る姿も掲載されていますが、あの石原慎太郎にして神仏のご加護を求めたのでした。マスコミが書いているのとは違った、私たち同じ石原慎太郎がそこにはいるのでした。

         合掌

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「会津の徳一を世に知らしめた師茂樹先生の『最澄と徳一 仏教史上最大の対決』」

2021-11-06 18:04:50 | 信仰

 

 師茂樹先生の『最澄と徳一 仏教史上最大の対決』が岩波新書の一冊として先月20日に発行されましたが、私の畏友である吉田慈敬師の御子息吉田慈順師と一緒に、仏教学の共同研究のリーダーとして活躍されているのが師先生でもあり、学術的な仏教としては珍しくベストセラーとして話題になっていることもあり、何度も読み返しています。
 ともすれば私たちは、最澄・徳一の論争を、師先生が述べていられるように「一三権実論争」というように単純化してしまっているように思えます。
「はじめに」において、師先生は「特に、論争の最中に最澄が提示した論争氏の叙述は。まさに『三一権実』論争という枠組みを生み出したものであり、近現代の仏教学者が仏教
史を把握する際のパースペクティブを規定してしまうほどの影響力を持った。『三一権実』論争とは、まさに最澄が提示した仏教史観によって規定された最澄・徳一論争の見方なのである」と書くとともに、その見取り図を突破して、新たな見取り図を示そうとする野心的な試みなのです。このため、師先生は「それが最澄に対する批判だとするならば、本書は―不遜な物言いに聞こえるかもしれないがー最澄・徳一論争の続きをしようとしている、いえるかもしれない」と公言して憚らないのです。
 師先生によると、最澄・徳一論争以前に、奈良仏教界では三論宗と法相宗との対立があり、和気広世・真綱の兄弟は、その解消を最澄に託しました。それに最澄も協力したことで、徳一の接点が生まれのです。三論宗はナーガルジュナの『中論』、法相宗はヴァズバンドの『成唯識論』などを宗旨としています。諭師が注釈、解説した論書であり、ブツダの説いた『法華経』の経書との違いを強調し、天台宗の優位性を主張したのでした。
 最澄・徳一の論争事態のきっかけは、徳一が『仏性抄』を世に問うたからですが、今では道忠教団に対しての書であったといわれますが、「『法華経』の一乗は仮り(権)の教えである」と書かれていたことに、最澄が猛反発したのでした。
 師先生は徳一の立場に寄り添うかのような書き方をしています。空海にあてて書いた『真言宗未決文』がそうであったように、「ただ疑問を決し、知恵と理解とを増やし、ひたすら信じることとに帰し、もっぱらその教えを学ぶことを欲しているだけである」との個人的な動機や覚悟がうかがえるのに対し、最澄は自分への批判でないにもかかわらず、徳一の行為を「謗法」と受け取ったというのです。
 そうした師先生の見方はユニークでありますが、最澄が触発されたことで、「仏教史上最大の対決」となり、二人はそれだけに5年を費やしたのですから、誤解であろうとも、堰を切ったように、語るべき言葉が最澄からあふれ出たのは確かです。
 また、師先生は徳一が「当時『外道』扱いされていた天台宗の四教説(蔵教・通教・別教・円教)に対して、因明を使って批判した、最澄は、その指摘に対して、やはり(やや曲解しながらも)因明を用いて反論した」と解説していますが、言葉の限界を感じつつ、言葉に頼らざるを得ないというのが、宗教と哲学の違いでありますから、その点は二人とも身に染みて分かっていたと思います。学としては徳一が優っていても、それを突き抜ける日本仏教という信仰を示した功績は最澄の側にあります。仏教の先進地であった中国において、仏教は力を持たず、儒教や道教の教えが根付くことになったのは、最澄のような仏教徒が日本のようにいなかったからだと思います。
 師先生の本がでたおかげで、会津の徳一のことが多くの人に知られることになったのではないでしょうか。そのきっかけとなった一書であり、私としては師先生の活躍を今後とも期待しています。

合掌

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東日本大震災犠牲者追悼と新型コロナ終息祈願法要   柴田聖寛

2021-03-09 19:51:08 | 信仰

「会者定離(えしゃじょうり)」という言葉があります。知り合った者には、必ず別離があるという意味です。大般涅槃経には「夫れ盛んなるは必ず衰うることあり、合会すれば別離あり」と書かれており、世の無常を表現しています。とくに天変地異や感染症は人類にとっての一大脅威であり、いつの時代も悩まされてきました。今は始まったことではないのです。
 東日本大震災では2万2000人(関連死含めて)余り、新型コロナウイルスでは8308人(令和3年3月8日現在)の方が亡くなられました。誰もが予期できなかった悲しい出来事であり、身内を奪われた方々は未だに信じられないと思います。残された私たちができることは、先立たれた霊を供養するとともに、パンデミックの一日も早い終息を願ってお祈りを捧げることです。
 会津天王寺では観音堂において東日本大震災の犠牲者追悼と新型コロナウイルスの終息祈願の法要を執り行います。日時は東日本大震災から10年目を迎える3月11日午後2時46分からです。
 私が観音経、如来寿量品、般若心経のお経を上げますが、参列を希望される方は、会津天王寺(0242-54-5054)までご連絡をよろしくお願いいたします。

        合掌

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3月11日に東日本大震災追悼とコロナ終息祈願法要 柴田聖寛

2021-01-30 09:35:22 | 信仰

寒冷の砌、宗徒並びに檀信徒に置かれましては、益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。また、常日頃より宗門に多大なるご指導とご協力を賜り、心より深く感謝申し上げます。
 さて、東日本大震災から10年を迎えようとしていますが、会津天王寺では3月11日午後2時46分から観音堂において、観音経、妙法蓮華経如来壽量品偈、般若心経の読誦による「東日本大震災物故者慰霊10周年追悼・復興祈願と新型コロナウイルス早期終息祈願法要」を挙行いたします。
 3分20秒も激しく大地が揺れ動いたあのときのことは、今も私は鮮明に覚えております。津波や火災などで亡くなった人ばかりでなく、関連死を含めると、2万2千人もの尊い命が失われました。福島第一原発事故によって、未だに故郷戻れない人たちもいます。また、新型コロナは世界中で猛威をふるっており、1月28日時点で、日本の感染者は38万427人、死亡者は5501人となっています。
 参列を希望される皆様は、私どもの方にご連絡のほどよろしくお願いいたします。携帯090-1498-4150(柴田)。また、今年は124年ぶりに節分が2月2日となりますが、例年同様に節分供養も実施いたします。

        合掌

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