会津天王寺通信

ジャンルにこだわらず、僧侶として日々感じたことを綴ってみます。

京都大原三千院から株分けした百日紅が見頃に  柴田聖寛

2019-07-31 18:13:30 | 天台宗

 

 今年もまた百日紅の季節になりました。天王寺の境内には白、紫、ピンク、赤などの花が咲いています。私が天王寺の住職になることが決まってから、大原三千院のお許しを得て百日紅を株分けさせてもらったのでした。もう30年以上も前のことになります。今ではわざわざ百日紅の花を見るために、訪ねてこられる方も多くなりました。

 大原三千院は私ども天台宗の寺で、門跡寺院としても知られ、苔や四季折々の花に彩られた、京都最強のパワースポットとして知られています。大原三千院は私が修行した寺でもあります。森定慈紹大僧正や小堀光栓大僧正が門主であられたときです。それだけに四季の花々の美しさに日々感動したことが忘れられません。最近になって一部の若い人から、天王寺がパワースポットだといわれていますが、大原三千院から株分けした百日紅のおかげではないかと思っています。      合掌

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 悉有仏性の教えと伝教大師様  柴田聖寛

2019-07-15 11:09:24 | 天台宗

 今年も5回比叡山に出かけましたが、車で出かけた30代、40代の頃とは違って、もっぱら福島空港から飛行機を利用しています。私どもの寺の檀徒総代である眞鍋幸意さんが、天台宗檀信徒会会長をなさっていることもあり、近年になって入山する回数が増えました。

 それだけに、2年後の伝教大師一千二百年大遠忌を前にして、着々と準備が進められていることを目の当たりにし、私も頑張らねばと思っております。そして、私なりに考えた伝教大師様の魅力というのは、宗教の違いを超えて、お互いに理解し合うことを説かれたことだと思います。悉有仏性という教えは、排他的ではなく、命あるもの全てに救いの手を差し伸べることであるからです。

                   合掌

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伝教大師の魅力を知ってもらうイベント会津で 柴田聖寛

2019-07-06 17:21:22 | 天台宗

 祈りの力が今ほど試されているときはないと思います。2021年には伝教大師一千二百年大遠忌を迎えますが、去る5月24日に「伝教大師最澄1200年魅力交流委員会」が設立され、先月11日には比叡山延暦寺書院において記者会見が行われました。そこでは「宗祖大師の御教えを通して日本文化に新たな息吹を」をスローガンに、「人材育成に生涯をかけられた宗祖伝教大師の魅力を人々に伝える交流を通じて文化や歴史、あまた寺社仏閣への関心を持ってもらうことを目指す」という方針が示されました。

 同委員会の委員長に比叡山法灯護持会会長の鳥井信吾サントリーホールディングス株式会社副会長、副委員長に三日月大造滋賀県知事、幹事に祖師先徳鑽仰大法会事務局の杜多道雄局長(天台宗宗務総長)と小堀光實奉行(延暦寺執行)がそれぞれ就任されました。

 天台宗の一僧侶である私も、その方針を実践したいと思っております。また、同委員会の取り組みの一つとして「大学コラボプロジェクト」もスタートしましたが、私も会津の若い人たちに声をかけて、伝教大師の魅力を知ってもらうためのイベントを計画しております。何卒ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

        合掌


 

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伝教大師最澄と道忠教団   柴田聖寛

2019-07-03 20:27:11 | 天台宗

 私は2011年の震災前から法相宗の僧徳一について色々と調べるようになりましたが、そこで最澄に支援の手を差し伸べた道忠教団に関心を抱くようになりました。とくに参考になったのは、田村晃裕先生編の『最澄辞典』です。

 道忠(735~800)は徳一と同じ時代の律宗の僧です。最澄との関係でよく知られているのは、経論2000余巻を助写したことです。東大寺で受戒した後、比叡山で修行していた、31歳の若き日の最澄の要請に応えたのでした。これが縁となって、道忠門下が次々と最澄の弟子となり、第二代天台座主円澄、第三代天台座主円仁、第三代天台座主安慧と、続けて三代にわたって道忠系から天台座主が出たのです。

 道忠は『元亨釈書』では「鑑真につかえて戒学をうく、真、持戒第一と称す」と書かれています。鑑真の「持戒第一」の弟子となることができたのは、中国語を話せたからではないかと思います。

 最澄は還学生(げんがくしょう・直ちに帰国すべき学生)でした。中国の天台山で天台の法門を学びましたが、滞在期間が限られていたために、密教を完全にマスターすることはできませんでした。通訳として義真が同行したことからも、言葉の壁があったのは確かです。

 道忠系の円仁は、通訳を伴っていないにもかかわらず、中国では胎蔵経、金剛経、蘇悉地経の三部大法をマスターし、比叡山に新しい密教の法門を伝えたのです。道忠から中国語を教わっていたために、自由に中国語を使いこなせたからだと思います。

 道忠ゆかりの寺としては、下野の大慈院が有名ですが、道忠教団の勢力範囲は埼玉、群馬県にも及び、会津を拠点とする徳一の教団と競い合っていたのでした。

 来月あたりから、道忠の足跡を訪ねて、関東のお寺様をお参りしたいと考えています。ブログでも紹介しますので、何卒よろしくお願いいたします。

 

                      合掌

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