会津天王寺通信

ジャンルにこだわらず、僧侶として日々感じたことを綴ってみます。

ひろさちや著『坐らぬ禅』の読後感を語る

2023-05-24 16:03:54 | 読書

 

 天台宗は「円教、密教、禅法、戒法、念仏等いずれも法華一乗の教意をもって融合し、これを実践する」(『天台宗宗憲』)とい信仰です。このため座禅も重視しています。ひろさちや先生の『坐らぬ禅』を読みまして、禅はどうあるべきかについて、多くの示唆を得ました。
 最後の書下ろしの本ということあり、すぐに購入して一日で読み終わってしまいました。私がその話を若い人にしたところ、ぜひ私の話を聞きたいということになりました。それで昨日は喜多方にまで出向いて、子供が小さいお母さんや、高校生など数人の前で本の感想を述べて、禅とか信仰に関して、色々と話をしました。
 ひろさちや先生の凄いのは「阿保になれ?馬鹿になれ?」と書いていることです。大阪の生まれのせいで、「阿保」という言葉にこだわったのでした。不登校への対処の仕方でも「馬鹿」と「阿保」と違いがあるというのです。「馬鹿」は何とか学校に行くように、カウンセラーに相談したり、時には暴力をふるったりする。それでうまくいくこともありますが、そうでないことの方が多く、最悪の場合は自殺したりします。「阿保」は子供が学校に行きたくないと言えば、自分も会社を休んで付き合い、無理に学校に行かせないというのです。一緒に寄り添って、親子して話し合いをするのです。そうすれば心の対話が成立しますから、突破口が見出せる可能性が高まります。
 そうした考え方のエッセンスがつまっているのは、その本の「まえがき」です。「坐らぬ禅」という言い方をしているからです。「行・住・坐・臥(が)、つまり行く(歩く)も住むも、坐るも臥(ふ)すも、すべてが禅であり、禅でなければなりません」と言い切ったのです。
 禅寺で禅をすることだけが禅ではないというのは、身につまされる意見です。つまり、禅の実践とは、日常的なありふれた生活の中でこそ、試されるからだと思います。立派な禅を組む人であっても、酒の席でとんでもない振る舞いをするのであれば、禅を理解していないことになるからです。
 「阿保」になるために、どうすればよいかということまで触れており、それもまた参考になります。「なんだっていい」と欲望を捨てる。「そのまんまそのまんま」で現状を肯定いながら、そこで生きがいを見つけていくのです  さらに、「禅僧列伝」として、釈尊、菩提達磨、慧可(えか)、六祖慧能、馬祖道一、第珠慧海(だいじゅえかい)、龐居士(ほうこじ)、鳥窠道林(ちょうかどうりん)、南泉普願(なんせんふがん)、趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)、法眼文益(ほうげんもんえき)、俱胝(ぐてい)、臨済義玄(りんざいぎげん)、明庵栄西(みょうあんえいさい)、希玄道元(きげんどうげん)、一休宗純(いっきゅうそうじゅん)、鈴木正さん、盤珪永輝琢(ばんけいようたく)、白隠慧鶴(はくいんえかく)、誠拙周樗(せいせつしゅうちょ)、大愚良寛を取り上げています。
 私の知らない人もいますが、ひろさちや先生は、手を抜くことなく、それぞれの禅僧のエッセンスをまとめてくれています。禅といっても様々なアプローチがあり、歴史的な変遷を理解することができます。
 そして、最終章の「終りと始め」で、日常語の「方便」が、便宜的な手段を意味するのではなく、サンスクリット語の「ウパーヤ」の訳語であって、「接近する」との意味であることに言及し、一歩一歩死ぬまで歩み続けることを説いたのでした。「嬉しいときは喜び、悲しいときはしっかり泣くこと」であり、「そのまんま、そのまんま」でいいのです。
 そんなことを私は話しましたが、若い人たちからは「無理せずありのままがいいんですね」とか、「仏教の教えに親近感を覚えるようになりました」と感想をいただきました。今後ともお茶会などに顔を出したいと思っています。

      合掌

 

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会津天王寺はオオムラサキと石楠花が見頃です 柴田聖寛

2023-05-15 13:06:23 | 境内の花

 

 早いもので五月も中旬になってしまいましたが、会津天王寺の境内はオオムラサキと石楠花が見頃です。お茶のみがてらに気軽に足を運んでいただければと思います。

つつじ多き田舎の寺や花御堂 正岡子規 

 ツツジが満開の田舎の小さなお寺で、お堂の周りも花が一杯と言った光景が目に浮かびます。会津三十三観音霊場の二十八番札所である会津天王寺も、同じような雰囲気の寺ですから、なおさら身近に思えてなりません。
 赤紫の大きな花をつけるオオムラサキは、花の大きさではツツジの中でも最大といわれます。ツツジと呼ばれる多くは、オオムラサキだともいわれます。花言葉は「美しい人」です。

石楠花の紅ほのかなる微雨の中 飯田蛇笏

 今日あたりの天候では、雨がサッと降って止むという感じでしたが、この俳句のように、微かに雨に打たれて、白色にピンク色がほのかに漂うという感じでした。石楠花は高山植物です。もともとはヒマラヤの高山地帯に生える植物で、危険な場所に咲いていました。高嶺の花を手に入れるには冒険をしなければならないので、花言葉も「威厳」「荘厳」ばかりでなく、「危険」「用心」という両方があります。

          合掌

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