会津天王寺通信

ジャンルにこだわらず、僧侶として日々感じたことを綴ってみます。

「父に慈恩あり、母に悲恩あり」

2019-06-25 08:28:54 | 信仰

 「父母」という言葉を使わず、「親」に統一するという法律が国会に出されましたが、私は反対です。家族を守ってくれる父親には威厳があります。子どもの良き理解者である母親は、どんな人にとってもかけがえのない存在です。  
 時代が変わっても、父母のそれぞれの役割は変わらないと思うからです。 大乗本生心地観経巻第二報恩品に「父に慈恩あり、母に悲恩あり」というお経があります。「慈恩」というのは「厚い情」ということですが、説明が難しいのは「悲恩」という言葉です。
 そのお経でも「若しわれ世に住して一劫(いちこう)の中に於て説けども説き盡すこと能はず」と述べています。「一劫」とは43億2000万年のことです。それだけの歳月をかけても、深い意味を語ることはできないというのです。
 母親の愛は海よりも深いということなのでしょう。 黙っていても、子どものことをフォローしてくれるのが母親なのです。出来の悪い子ほどかわいいといいますが、全てを受けいれてくれるのです。父母があっての私たちですから、その言葉を無くすということには、私は反対せざるを得ません。

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県博での興福寺展と一三権実論争について

2019-06-18 19:05:15 | 日記

 福島復興記念展として「興福寺と会津 徳一がつないだ西と東」が7月6日から8月18日まで会津若松市の福島県立博物館で開かれ、国宝の維摩居士坐像などが展示することになっていますが、仏都として会津が見直されることは、大変良いことだと思います。

 興福寺は南都六宗のうちの法相宗ですが、そこで学んだ徳一は9世紀初め、天台宗の最澄と一三権実論争を繰り広げたのでした。それ以降の法相宗の教えはあくまでも奈良や京都にとどまり、法華経を重んじる私どもの天台宗が大きな流れとなり、鎌倉仏教の法然、弁長、証空、一遍、親鸞、栄西、日蓮、道元もまた、比叡山で修行をしたのでした。

 その論争について考える上で、今私が読んでいる楠淳證・舩田淳一編の『「仏性論文集」の研究』は大いに参考になります。龍谷大学アジア仏教文化研究叢書7として今年2月に発刊されたばかりですが、著者の菩提院蔵俊(1104~1180)は平安末期の著名な唯識学者であり、「序辞」において楠淳證氏は「世親の『仏性論』について多角的視野からの検証を行った優れた書物であり、ことに現行の『仏性論』が漢訳者の真諦三蔵(499~569)によって改変されたものであると主張している点に大きな特色を有する書物であることが明らかになった」と述べるとともに、徳一撰の『教授未学章』『中辺義鏡章』『法相了義灯』が収録されていることから、「従来の一三権実論争研究に対しても一石を投じる貴重な文献であるといってよい」と力説されています。

 私ども天台宗は「誰もが成仏できる」との信仰にもとづいています。しかし、その信仰を打ち固めるためには、徳一の存在があったわけですから、私は『「仏性論文集」の研究』をじっくり読むつもりです。感想については、後日ブログにアップしたいと思っております。

                            合掌

 

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今はサツキやヤマボウシが満開  柴田聖寛

2019-06-01 16:10:58 | 日記

入梅の候となりましたが、皆様にはいかがお過ごしでしょうか。会津天王寺の境内にはサツキやヤマボウシの花が満開です。サツキの花言葉は「節制」、ヤマボウシの花言葉は「友情」です。今の殺伐した時代にあっては、忍耐強さと、真の友を持つということが大事ではないでしょうか。

会津天王寺では、このあとサルスベリも見頃になりますので、ぜひお立ち寄りください。

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