会津天王寺通信

ジャンルにこだわらず、僧侶として日々感じたことを綴ってみます。

聖寛の独り言(1)

2014-07-07 05:50:48 | ボランティア

  宗教家、哲学者、政治家、官僚、一般人

  それぞれの立場でベクトルに大きな違い

どこの職業に属するかで、価値観や見方も変わってくるものです。宗教家、哲学者、政治家、官僚(官吏。役人)、一般人と分けた場合に、それぞれにベクトルに特徴があるような気がします。職業が人間をつくるからでしょう。

まず宗教家は仏とか神とかを問題にしますが、中心になるのは祈りの心です。絶対的な価値観に帰依する信仰心が求められます。人間の弱さを知っているからです。

哲学者は何もかも説明しようします。宗教家のように霊観や直感ではなく、言葉を駆使して真実に迫ろうとするのです。ある種の確信があっても、他人に理解してもらうために、体系だった論理を駆使するのです。

政治家は現実の世界を動かすことが使命であり、宗教家や哲学者のようなきちんとした世界観があったとしても、それにこだわらずに、個々の判断をする人たちです。

内なる情熱を秘めてはいても、どことなく冷徹なリアリストでなければなりません。もちろん、言葉によって他人を説得しますが、それは真理を明らかにするためではなく。権力闘争に勝ち抜くためです。

役人は上からの決定を順守し、組織を守ることを優先します。全体的な世界観よりは、より細部的なことに精通しています。セクショナリズムが批判されるのは、個々の利害を調整するような大局的な見地には立てないからです。

一般の人たちは、インテリに属する宗教家や哲学者、政治家、官僚の影響を受けますが、より根本においては、漠然としていながらも、宗教家をもっとも頼りにしています。それは理屈ではなく、信仰心が脈打っているからです。哲学者は知識の点で、政治家は具体的な生活での恩恵に関して、多くの弊害があるとはいえ、社会を安定させるうえでは官僚も大きな役割を果たしています。

意識するかしないかを別にして、一般人は最終的には宗教に帰依するのです。インテリではない人たちの方が素朴です。人間として救いを求めることに、より切実であるからです。そして、宗教家もまた、一般の人から信仰心のエネルギーを吸収するのです。