作家で東京都知事でもあった石原慎太郎氏の死は、私にとっても一つの時代の終わりを象徴するできごとでした。私よりも一回り以上も年で、戦後の日本を牽引したスター的な要素を持った人でした。
その人が法華経を信仰していたことは有名なエピソードですが、政治家としては強い性格の反面、作家としてはナィーブなところがあったと思います。すぐに目をしばたかせるのは、神経質だったからだと思います。
石原氏が霊友会に入ったのは、昭和43年の参議院全国区に立候補するためで、産経新聞の社主である水野成夫氏が会長の小谷喜美氏を紹介したことがきっかけといわれますが、石原氏自身がもともと法華経に関心を抱いていたようです。
ですから、石原氏は、法華経つながりで、立正佼成会の開祖である庭野日敬氏や、妙智会教団の大導師宮本丈靖氏とも親交があったのでした。
週刊仏教タイムスの令和4年2月17日号では、そのことが記事になっており、「石原慎太郎と法華経 霊友会・小谷喜美の弟子」「佼成会・妙智会とも親しく」「『師』を意識した信仰者」という見出しが付けられています。庭野氏の葬儀では石原氏は仏説観普賢菩薩行法系の一節「但当に深く因果を信じ、仏は滅したまわずと知るべし」を引用して追悼の言葉としたのです。
この記事には石原氏がひたすら祈る姿も掲載されていますが、あの石原慎太郎にして神仏のご加護を求めたのでした。マスコミが書いているのとは違った、私たち同じ石原慎太郎がそこにはいるのでした。
合掌
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます