会津天王寺通信

ジャンルにこだわらず、僧侶として日々感じたことを綴ってみます。

伝教大師伝②「願文」 柴田聖寛

2020-09-04 18:34:55 | 天台宗

 —観音寺提供—

 伝教大師様は延暦4年6月には、喧騒とした都を離れて修行の場を比叡山に求められました。御自分の生誕と関係が深い山に入られて、新境地を拓かれたのでした。
 桓武天皇は前年11月、都を奈良から山城の国長岡に移されました。あまりにも政治が腐敗していたため、それを刷新するために、あえて遷都に踏み切ったのです。
 堕落した堕落した奈良仏教に背を向けた伝教大師様は、桓武天皇と示し合わせたかのようでした。時代は変わりつつあったのです。あくまでも伝教大師様は、禅の修行に専念するためだったといわれますが、入山後に書かれたという『願文』には、信仰者としての覚悟のほどが述べられており、人間の弱さを弱さとして受け止めつつ、不十分な自己の反省から、5条にわたる誓いを書き記し、真実の智慧を取得しなければ、山を下りることなく、法会にも参加せず、世俗的な雑務にも携わるまい、との誓われたのでした。
『願文』は全文約550字からなる文章ですが、田村晃裕先生篇の『最澄辞典』では「最澄の弱年の思想が伺われ、志を明らかにしていて最澄の著作のうち、最も宗教的香気の高い作品であるといえよう」と書いています。

悠悠三界。純苦無安也。擾々四生。唯患不楽也。牟尼之日久隠。慈尊月未照。近於三災之危。没於五濁之深。加以。風命難保。露体易消。草堂雖無楽。然老少散曝於白骨。土室雖闇(狭)。而貴賎争宿於魂魄。瞻彼省己。此理必定。

この世は苦労ばかりで、安らかとは縁遠い。お釈迦様が亡くられてからは、次の仏様は未だ姿を現さない。世の終わりが近づいており、人々も汚れてしまっている。命は儚く、肉体も滅びやすい。葬式を行うお堂も平安を得られず、老いも若きも白骨をさらし、身分や職業に関係なく、狭い墓の中で争っている。自分を省みるに、そうなることが決まっているかのようだ。

仙丸未服。遊魂難留。命通未得。死辰何定。生時不作善。死日成獄薪。難得易移其人身矣。難発易忘斯善心焉。是以。法皇牟尼。仮大海之針。妙高之線。喩況人身難得。古賢禹王。惜一寸之陰。半寸之暇。歎勧一生空過。無因得果。無有是処。無善免苦。無有是処。

私は仙人の手になる薬を飲んでいないので、死なずに魂を留めておくことは困難だ。神通力も備わっていないので、いつ死ぬかは定かではない。生きている間に善い行いをしなければ、死んだら地獄の薪となって火で責められるだろう。得ることは難しく、たとえ得たとしても、移ろいやすいのが人の身である。善の心を起こすのは難しく、それを発したとしても、忘れやすいのが人間である。お釈迦様は大海原で一本の針を探し当てることや、もっとも高い山から糸を麓の針の穴に通すことにたとえ、中国の古代の賢い禹王は、ちょっとの時間やわずかな暇であろうとも、一生が空しく過ぎ去ることを嘆いた。原因がないのに結果があることはなく、善をなさすに苦しみを免れる道理もない。

伏尋思己行迹。無戒窃受四事之労。愚痴亦成四生之怨。是故。未曽有因縁経云。施者生天。受者入獄。提韋女人四事之供。表末利夫人福。貪著利養五衆之果。顕石女担輿罪。明哉善悪因果。誰有慙人。不信此典。然則。知苦因而不畏苦果。釈尊遮闡提。得人身徒不作善業。聖教嘖空手。

仏に伏して自らの行いを尋ねてみると、ひそかに房舎・衣服・飲食・湯薬の生活の保護を受けながらも、戒律にかなう生活をしておらず、あらゆる生き物に迷惑をかけている。「未曽有因縁経」には「施しをする者は天に生まれ変わり、施しばかり受ける者は地獄に入る」と書かれている。献身的に房舎・衣服・飲食・湯薬に尽くした女は、生まれ変わって国王の后となり、貪って施しを受けた5人の出家者は、生まれ変わって皇后の御輿を担ぐ奴隷となった。行いの善悪によって、結果がどうなるかは明らかである。誰しもに恥があり、この教えを信じないわけはない。苦しみの原因を知りながら、苦しみの結果を恐れない者を、釈迦は悪の心から離れなれない者として、仏になるに及ばない者として退けている。人として生まれながら、無駄に過ごして善い行いをしない者を、宝の山に入って何も手にせず帰ってくる愚か者なのである。

於是。愚中極愚。狂中極狂。塵禿有情。底下最澄。上違於諸仏。中背於皇法。下闕於孝礼。

謹随迷狂之心。発三二之願。以無所得而為方便。為無上第一義。発金剛不壊不退心願。

 我自未得六根相似位以還不出仮。其一。

 自未得照理心以還不才芸。其二。

 自未得具足浄戒以還不預檀主法会。其三。

 自未得般若心以還不著世間人事縁務。除相似位。其四。

 三際中間。所修功徳。独不受己身。普回施有識。悉皆令得無上菩提。其五。

伏願。解脱之味独不飲。安楽之果独不証。法界衆生。同登妙覚。法界衆生。同服妙味。若依此願力。至六根相似位。若得五神通時。必不取自度。不証正位。不著一切。願必所引導今生無作無縁四弘誓願。周旋於法界。遍入於六道。浄仏国土。成就衆生。尽未来際。恒作仏事。

ここにおいて愚か者の極みで、狂っている者の極みで、まともではない最低の僧侶である最澄は、仏の教えに反し、天皇が決めた法律にも背を向け、親に対する孝行も欠いている。謹んで、迷い狂える心を持ちながらも、ここに5つの誓いを立てるにいたった。あらゆることに囚われることなく、真実の教えを、壊れず退くことのないように、固い心から願ったのである。

その一 あらゆる事柄について、ありのままに見聞し、「相似」(仏様と同じくなること)の位というレベルに達するまでは山を下りない。

その二 仏の教えを照らし出す信仰を手にするまでは、芸事はしない。

その三 出家者として戒律を身に付けるまでは、法要に出てお布施はもらわない。

その四 仏の真理の智慧を身に付けるまでは、世間の仕事はしない。「相似」の位に就けば、その時は許される。
その五 私が現在の世で身に付けた善い行いの報いは、独り占めにするのではなく、遍く生きとし生ける者に施して、誰もが仏の真理の智慧を得られるようにしたい。

伏してお願いするのは、解脱の喜びに自分だけ浸るのではなく、その喜びをこの宇宙の生きとし生けるものが、同じく解脱し、安らぎを得られるような信仰を示したい。もしその願いがかなって「六根」(見たり、聞いたり、考えることなど)が「相似」の位に至れば「五神通」を得た時には、自分だけ仏になるのではなく、「周く法界を旋り、遍く六道(天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道)に入り、仏国土を浄め、衆生を成就し、未来際を尽くすまで恒に仏事を作さん」。

 日本天台の本拠地が比叡山になったのは、伝教大師様が修行されたからで、比叡山が京都の鬼門にあたることから、王城鎮護の寺となったのは、平安遷都の後のことです。奈良仏教が学問仏教であったのに対して、実践して信仰を体得し、悩みにさいなまれる人々を救おうとしたのが平安仏教であり、伝教大師様は、その先頭に立たれたのでした。伝教大師様が「愚が中の極愚、狂が中の極狂、塵禿の有情、底下の最澄」と評されたことは、信仰を踏み固めるために、あえて自らの弱さに触れたのでした。伝教大師様を身近に感じることができるのは、そうした言葉によってなのです。知識以前の信仰者の熱き情熱によって書かれたのが『願文』なのです。

          合掌

 


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