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忙中閑話

四季の移ろい、花鳥風月を楽しみつつ
趣味はミニチュア木工、電子工作、旅行など

五重塔 番外編(2) 善通寺(香川)

2013-01-21 | 旅行
 四国香川県は善通寺市にある善通寺。四国八十八箇所霊場の第七十五番札所
として知られる。空海(弘法大師)の生誕地でもある。

 

'05年10月に福山から瀬戸大橋を渡り、高松市の栗林公園および源平合戦の舞台と
なった屋島、金比羅さんとして親しまれている琴平宮に行った。

帰りに琴平宮から丸亀に抜ける途中にあったので立ち寄ってみた。
塔自体は明治35年再建とあるから比較的新しい。高さ43mもあるので東寺
の54m、興福寺の50mに次いで3番目に高い。ただし讃岐平野の真ん中に
あってこれほど高いので遠くからでも見えそうな気がするが、その記憶はない。
なお国宝、重文に指定されていない番外編としたが昨年10月に重文に指定されて
いる。

 栗林公園が水戸偕楽園、岡山後楽園、金沢兼六園などと並んで有名ではあるが
意外と狭かったこと、05年のNHK大河ドラマが「義経」だったので屋島が源平
合戦の看板だらけだったこと、石段を合計1300段以上上って金比羅さんの奥社
まで行ったこと、金比羅宮の本殿前で富山時代の部下である係長の一家とばったり
とまさに千載一遇で出合ったことなどが懐かしく思い出される。

丸亀の多度津港から福山までフェリー便があったがやはり高速道を使って帰った。

フェリーといえば、福山時代に毎朝ちょうど福山港を出航したフェリーと並走する
ように自転車通勤をしていた。
一度フェリーで四国に渡ってみたいと思いながら転勤のため福山を離れてしまった。
このフェリーも例の高速道1000円maxの割引制度のあおりをうけて、福山を離れ
て間もなく廃止となった。


五重塔 番外編(1) 四天王寺(大阪)

2013-01-20 | 旅行
 参拝したことがある国宝、重文の五重塔についてそれぞれ古い順に
書いてきたが、それ以外にも五重塔がある。多くは府県あるいは市町村から
文化財に指定されている。

今回は大阪・四天王寺。
これは1959年再建で外部は木造のように見えるが本体はコンクリート製とのこと。
当然文化財指定はされてない。

 

 

四天王寺のある天王寺は、家人の亡父が旧制天王寺中の卒業生という縁がある。
亡義父から直接聞いたことはないが家人からその話はよく聞る。
以前から一度は言ってみたいと思っていたところ、奈良に抜ける途中に天王寺
を通る機会が訪れた。メモを見ると’07年3月とある。奈良は唐招提寺に
行く途中のようだ。

近くのビルの立体駐車場に車を置き、四天王寺に行くと参拝客の多いことにまず
驚かされた。法要か何かの行事が開かれていたのかも知れないがとにかく
人が多かった印象は強く残っている。

そして参拝が終わって駐車場に戻ると車が見つからない。あちこち探し歩いて
いると、聞いたわけでもないのに通り合わせた人が教えてくれた。同じ駐車場が隣
合わせにあり、置いたのは別棟の駐車場ではないかと。間違う人が多いらしい。
教えてくれた人に責任はないのだが、それなら判りやすくしてくれればいいのにと
思う。

日光東照宮の五重塔 ~五重塔巡り(重文―6)

2013-01-18 | 旅行
 五重塔は本来佛舎利なので神社にあるのは場違いのような感がするがここ東照宮
にもあるらしい。
神社で五重塔があるのは他には広島・厳島神社だけだと思う。家人に言わせると、仏閣の
守護神として神社が併設されているのが普通で別におかしくはないと言う。でもやはり変だ。

 先に「あるらしい」と書いたが、東照宮は高校の修学旅行で行っているはずなのに全く
五重塔を見た記憶がないからだ。もうおよそ半世紀も前である。記憶がなくなる
のは当然かも知れない。しかし、絢爛豪華ではあるがどこか成金趣味を思わせる陽明門
や「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿および左甚五郎作といわれる眠り猫の彫刻などは
見た記憶がある。そして日光華厳の滝も。

 五重塔は東照宮に入口に建っているので確実に見ているはずで、教科書にも載っている有名
な陽明門や彫刻だけが記憶に残っているのだろう。(下のmapは東照宮HPより転載借用)
 

 カメラは持参したもものの残念ながら写真も残っていない。まだモノクロが主流でカラーフィル
ムは貴重品だった。家が商家で比較的裕福な同級生がカラーを持っていたのが羨ましく思われた
記憶が蘇る。

 以来、関東には出張で幾度となく出かけたものの埼玉・草加あるいは茨城・鹿島までで
さすがに栃木に行く用件はなかった。従ってこの日光が本州で今まで行った場所の北限になる。
日本海側では新潟・長岡までである。

 暇になり桜前線を追ってのんびりと北上しようかと思っていた矢先にあの東日本震災、原発事故で
計画中止。復興がまだまだ進んでいないが体力、気力が残っているうちに回りたいと思っている
のだが・・・。




備中国分寺五重塔(岡山・総社市) ~五重塔巡り(重文―5)

2013-01-16 | 旅行
 備中平野の中に建つ備中国分寺の五重塔。遥か彼方から見える塔と
言えば東寺の塔とこの塔だけだろう。

 思いもよらず福山に単身赴任となり、その3年の間に季節の変わり目毎に訪れた。
福山から距離にして40km、車で1時間程度であったので思い立てばすぐに出かけ
られた。

 最初に行ったのは20年ほど前のクリスマスイヴのころ、山口から高速をとばして
行った。後年福山へ赴任することが判っていたらわざわざ山口から行くこともなか
ったのだが、この頃は子供たちが親離れをし始め手がかからなくなった時期であり
家人の子育ての慰労を兼ねていた。子供たちを家に残し新婚旅行以来始めての家人
と二人旅であった。

 倉敷から総社に向かい、やや小高い丘を超えた頃に遥か前方の平野の只中にこの塔
が見え始めた時の光景、感激はいまだ忘れることはできない。
ただ福山に赴任した時にやはり倉敷から入ってみたが、バイパスが開通してルート
が少し変わったせいなのか、あるいは山林開発などで住宅化が進んだためなのか、
以前見た遠景は見られなくなってしまっていた。
福山赴任時代は、もっぱら旧山陽道である井原方面から入ることが多かったが、
倉敷からのルートが南ルートとするとこちらは西ルート。この西ルートも坂を超え
ると塔が現れる。
 建立は江戸初期の1835年、高さ34.32m。五重塔はやはり遠くからの
眺めがいい。


 遠景


 境内から
 平山郁夫画伯のスケッチ位置から(案内碑あり)
 

 全体 
 


 干支の彫像
 東西南北4面の鴨居の上付近に干支12支の彫刻が施してある。
 

 菜の花
 

 レンゲ草
 

 サルビア?
 

 夕景
 








仁和寺五重塔&御室桜 ~五重塔巡り(重文―4)

2013-01-15 | 旅行
 次は仁和の五重塔。

仁和寺を訪ねたのは最近では’08年4月初め。長男の結婚式で名古屋に行った
帰りに途中停車し醍醐寺、仁和寺、哲学の道、嵐山と京都の桜を楽しんだ。

最近ではと書いたがアルバムを繰ると’90年にも一度訪れていた。こちらの方は
全く記憶がない。多分会社の出張の折、移動日の時間待ちを利用して訪ねたのだろう。
記憶がないのは次の仕事が気になっていたせいなのか。従って訪れた季節も
全く判らない。写真を見ると桜の季節でなさそうだ。

’08年は桜満開の季節。遅咲きの御室桜は”咲き始め”であったが、市中の桜は
満開の状態であった。それでも御室桜越しの五重塔は見事である。

 五重塔 正面
 建立1644年、高さ35.92m
 
 

 御室桜越しの五重塔
 

 御室桜
 背丈が低く遅咲きなのが特徴。市中より1週間ほど開花が遅い。粘土質で栄養分
や水分が少ないためらしい。
 


 哲学の道
満開から散り始めの状態で傍を流れる小川には花筏(はないかだ)が見られた。
 桜は僅かの風でひらひらと桜吹雪が舞うこれくらいの状態が一番いいと思う。
 
 

 嵐山
 山桜が山のあちらこちらで咲き乱れる。嵐山は桜の季節もいい。
 


蛇足だが’90年の分も一つ・・・。(フィルム撮影)
 
 書院越しに
 

妙成寺五重塔(石川県羽咋市) ~五重塔巡り(重文―3)

2013-01-13 | 旅行
 好きで名刹・古刹巡りをするうちに数多くの多重塔を目にして来ていた。
五重塔に限ると国宝11基のうち9基、重文13基のうち6基になっていた。
合計24基のうち15基ということになる。
まだ見ていないのが9基もあるというべきかも知れないが自分としてはよく
回っていたなと思う。

 今回は妙成寺の五重塔。石川・能登半島の付け根付近に位置する石川県は
羽咋(はくい)市にある。

 昔5年間富山に単身赴任していたことがありこの時連れ合いと能登を巡ったことが
ある。この時最初に参拝していた。
単身赴任では月1回の帰省が認められており、これには連れ合いが単身赴任先を訪れる
ことも認められていたので、赴任終盤は連れ合いを呼び寄せることが多かった。
土日の連休で山口までの往復に時間が割かれるのは正直つらい。そこで連れ合いが
やってくるということになった訳だが、しかし連れ合いにとって見れば、半日の長旅
の次に方々に連れまわされ、そしてまた半日かけて帰らなければならない。これも
疲れたに違いない。

しかし、この単身赴任時代に富山周辺はもちろんのこと信州、そして遠く箱根までも
回ったことが生来の旅行好きに火をつけたことになる。山口から北陸に旅行するなど
はめったなことでは思いもしないだろう。おかげで八尾の「風の盆」も前夜祭を含め
10回以上は行くことができた。

さておき、この妙成寺に行ったのは’01年。もう10年以上も前になった。しかし
入場したらすぐ正面のまっすぐな石段の上に見えた五重塔の美しさは強烈で
いまだにはっきりと記憶に残る。 建立1618年で高さ33.87mとある。
とち葺屋根なので繊細な感じが非常にいい。どこやら山口瑠璃光寺五重塔に似ている。


  書院から庭園の池越しに



合わせて能登巡り時の写真も添付。
因みに後年長男が結婚したら嫁の母親の出身が能登の先端にある珠洲市だった。


 総持寺
 もと総本山。明治末に横浜総持寺に総本山は移転したらしいがやはりもと総本山
 らしい威厳は保つ。
 
 

 白米千枚田
 

 輪島きりこ会館
 山車の展示。8月中に能登の方々で祭りが開催される。巡る気持ちはあったが
 とうとう見ずじまいで単身赴任が終わってしまった。
 

 時国家
 上、下の両家がある。写真は確か上時国家のもの。
 下時國家の方が重文に指定されている。
 
 


五重塔巡り―重文(2) 法観寺五重塔(八坂の塔)

2013-01-09 | 旅行
 京都東山にある通称「八坂の塔」、正式には法観寺五重塔

観光パンフレットなどではよく見かけるのだがなかなか行く機会がなかった。

いつも助手席に座る連れ合いは、車窓から幾度となく見ていると言うが
塔は大通りと直角に交わった路地の奥に建っているので運転中に見ることが
できない。

さんざん京都中の名所・旧跡を巡った挙句、さあ次は何処にいこうかという
段になり、やっといったのが一昨年になる。境内には塔以外に目立った構築物
がないので後延ばしになったしまった。

鴨川沿いのコインパーキングに車を預けて800m弱を徒歩で行く。
京都はこんなぶらりとした街歩きもなかなかいいもので、往復だと1.6km
以上になるがそれほど歩く感はしない。

街歩きを楽しむと程なくパンフレットで見慣れた塔が路地越しに見えてくる。
 

この塔は確か2階までだったと思うが登ることができる。三重、多宝塔を含め
相当数の多重塔を見てきたが、内部に入ることができたのはこの八坂の塔以外
にはない。おそらくここだけだろうと思う。

党内は狭く階段は急。この日は他にミニスカートのアベックが一組あり、目の
遣り場に困ってしまった。
 塔内の階段 

境内には義経に攻め滅ばされた木曽義仲の首塚もあった。
そういえば信州旅行の帰路に義仲の菩提寺である徳音寺(木曽町日義)に立ち
寄ったことがあり、平家追討の折に牛の角に松明を結わえて平家軍を追い落と
したという倶利伽羅峠の古戦場跡(富山・石川県境)にも行ったことがある。
これは八坂の塔には直接的には無関係。蛇足だった。









(1)厳島神社五重塔 重文(重要文化財) 

2013-01-07 | 旅行
 大河ドラマ「平清盛」は低視聴率のまま終わったが、平清盛ゆかりの
厳島神社はおかげで訪れる人が増えた。寺院の五重塔は佛舎利ということ
だがなぜかここ神社に五重塔がある。

近くに宮島水族館がありラッコを展示しているので子供たちが幼い頃に
3度ほど連れて行った。もう30年以上も前になる。

宮島へは車なら対岸の宮島口に車を置いてフェリーで渡る。
過去に架橋の計画が挙がったが住民の反対で中止されたという。狭い島に
島外から車が入ることに抵抗があったようだ。フェリーでも10分程度で
渡れるうえ波の静かな瀬戸内なので台風の時以外は余程のことがないかぎり
欠航することがない。だから橋がなくても不便を感じないのだろう。
また、島全体が神域になっているので、住民の葬儀、埋葬も対岸の本土側で行う
と聞いた。

それは兎も角、フェリーターミナルで降りて鹿に出迎えられながら門前の
商店街を抜けると厳島神社に着く。五重塔は途中の少し小高いところに
建っている。しかし、確かにすぐそばまで行き、何回か階段を折り返しながら
帰った記憶は残っているが写真は残っていない。五重塔鑑賞はメインでは
なくあくまで副次的な結果であるのでこれも仕方がない。代わりといっては
なんだが、ネットから写真を借用することにする。

 厳島五重塔 


 厳島神社大鳥居('85撮影)
 

五重塔、三重塔、多宝塔巡り  (9)元興寺 五重塔(室内)

2013-01-06 | 旅行
 国宝の五重塔の最後は元興寺(がんごうじ)五重塔

高さ5.5mほどの小型の五重塔で屋内に設置されている。
屋内なので写真に収めるのが難しかったのか、あるいは室内が撮影禁止
だったためか、残念ながらアルバムを探したが写真が残っていない。

もともと仏像や古い建造物巡りで名刹、古刹巡りをしているなかで
気が付いてみると国宝、重文の五重塔、三重塔も多く見てきていた。
実際ここ元興寺の五重小塔も、元興寺に拝観したと時にたまたま見た
という程度のものであり、最近になって国宝の五重塔を調べた時
11塔しかない国宝のうちの一つに指定されていることに少なからず
驚いた次第である。

しかし、見たときの記憶はやはり強く残っている。
この塔は全国の国分寺建設発願の時にモデルとして全国に配られた
らしく、そのためか小さいながらも細部まで実基を細かく表現して
ある。国宝も工作品ではなく建築物として認定されているようだ。
ミニチュア木工が趣味の一つなのでいつかは作ってみたい究極の作品
である。


 元興寺極楽坊金堂(国宝) 

 日本最古、飛鳥時代の瓦 

元興寺には興福寺五重塔を超える高さの五重塔があったが1850年に
焼け落ちて以後再建されていないという。今の境内からやや離れたところに
ある跡地に土壇と礎石が残っている。昔は寺町全体が寺域だったそうだ。

国宝の五重塔でまだ行ったことがないのが二基残っている。
山形・羽黒山と海龍王寺。羽黒山はあまりに遠いのでなかなか行けそうには
ないが海龍王寺は奈良に行く度に近くを通っている。これも屋内設置の
小塔のようだがぜひ一度みてみたいと思っている。




南阿蘇へのドライブ

2013-01-05 | 旅行
 毎年慣例のように、夏と暮のほぼ2回阿蘇に行くことにしている。

信州松本や越中富山からの北アルプスの眺めもいいが、阿蘇はカルデラ
全体の雄大さ、山裾の女性的ななだらかさがあってまた違った趣がある。

しかし今年の夏は状況が変わった。7月に阿蘇地方は集中豪雨による激しい
被害を受け多数の死者、行方不明者が出た。何より各所で道路が土砂崩れや
崩落で通行止めになっており行くに行けない状況が数ヶ月続く。

当然、夏の阿蘇行きは中止。そして12月になっても「阿蘇大好き人間」の
我が連れ合いが行こうと言わない。

しかし、暮も押し迫って来るとやはり阿蘇が恋しくなる。一年の総浚いはやはり
阿蘇。温泉に入って、阿蘇をゆったりと眺め、そして赤牛、田楽に舌鼓。
幸いにして宿も予約が取れた。ということで急遽スタッドレスタイヤに交換して
二泊三日の計画で今年もでかけた。


 関門橋(関門PA)
 


 九重連山(国道212号阿蘇入口手前から)
 

 外輪山ミルクウェイ展望台から阿蘇五岳
 眼下は内牧温泉
 

 翌日は終日雨で根子岳も雲ですっぽり
 ロビーの新聞や持参した本を読んで終日宿舎で過ごす。宿の食事が朝夕とも
 バイキング方式のため過食気味。そこで昼は高森まで出て、ピザ、パンを買い
 薄めのコーヒーで軽い昼食。これがまた美味かった。
 

 根子岳(三日目は雲ひとつない快晴)
 

 中岳、高岳
 高岳は阿蘇最高峰(標高1592m=ヒゴクニ肥後国の語呂合わせ)。
 中岳では1週間前から単独登山者が行方不明になっていて、前日
 捜索中止になった旨ニュースで知った。このどこかで倒れている
 と思うと痛ましい。現在もまだ見つかっていない。
 

 中岳ロープウェイ
 火口までは車でも行ける。下から見ると歩いてでも行けそうに見えるが
 やはり結構な高低差がある。若い頃高岳、根子岳には登ったことがある。
 

 草千里
 左方向に中岳とその噴煙。
 

 米塚
 太古の昔噴火した寄生火口。25年ほど前まではすぐそばを通る自動車道から
 登れたので当時小学生だった息子達と登ったが、現在は放牧場主が柵を閉止して
 立ち入り禁止しているので登ることはできない。
 

 阿蘇神社
 阿蘇随一の神社。大宮司の阿蘇家は天皇家と比肩する古い家系を持つ。
 門前街に阿蘇湧水群があり、今年もたっぷりと汲んで帰った。
 山門の前に左右に広がる参道で毎年火振り神事が行われる。これも豪快だった。
 
 

 ホテルで聞いたところによると、今年は夏以降観光客が激減したという。確かに
 例年なら食事時間を振り分けるほど賑わった食堂が今年は10家族ほどしか
 おらず閑散としていた。
 やはり豪雨の風評が効いているらしい。
 片道規制が所どころ残ってはいるものの復旧がかなり進んでいる。ぜひ行って
 温泉にゆったりと浸かって欲しいと願う。




 帰路は好天に恵まれたので由布岳を見るために旧やまなみハイウェイを通って
 九重から湯布院に抜けることにする。

 由布岳(湯布院駅前)
 この山も若い時にやまなみハイウェイの登山道口バス停から登ったことがあるが
 特に山頂付近が急でかなりハードであった。
 

 特急ゆふ号?
 

 市内遊覧馬車
 柔順な白馬が牽引する。市内至るところで人力車の客引きも多いが、蹄の音しか
 しない静かでゆったりとした市内観光もいいものだろう。
 


 民芸村
 ここも韓国人観光客が多かった。
 

 

五重塔、三重塔、多宝塔巡り  (8)教王護国寺(東寺) 五重塔

2013-01-04 | 旅行
 京都を代表するのが教王護国寺(東寺)strong>の五重塔。

京都には数え切れないほど行っているが、実は参拝したのは2度しかない。
というのも、この塔は高さ54.8mと日本一高く、しかも大通りに面して
建っているのでわざわざ真下まで行かなくても遠くからでも見えるし
またすぐそばの道路からも見ることができる。

 


 しかし、初めて直下で見たときはやはりその大きさに圧倒された。
 園内から
 

 園内の池越しで
 


 もともと創建は平安時代なのだろうが、応仁の乱を含めて幾多の騒乱
の度に焼け落ちて現在の塔は1644年、江戸初期に再建されたという。
寺院が持つ広い境内は一方の陣営の駐屯地になりがちだから戦乱が始まると
真っ先に攻撃の対象になる。今から考えれば全く愚かな蛮行ではある。


東寺というくらいだから西寺もあったらしいがこちらの方は1000年以上
も前に廃寺となり、現在は金堂の礎石の一部が残っているだけという。
東寺から西に1000mほどのところらしいがまだ訪れたことはない。

五重塔、三重塔、多宝塔巡り  (7)瑠璃光寺 五重塔(山口市)

2012-12-26 | 旅行
 地元山口を代表するのが瑠璃光寺五重塔。

年代が古い順に並べると屋外の国宝五重塔で9基中8番目になるが、それでも
建立は1442年と570年も経ている。

屋根は檜皮葺き特有のやわらかい曲線を持ち、下層に行くに従い広がって
いて塔全体のバランスがなんともいえない。屋根の四隅の反り具合が
絶妙で、山口市に行くたびに立ち寄っている。というより、季節の変わる
度に行って見たくなる。


司馬遼太郎も「街道を行く 長州路」で次のように絶賛している。
(塔から少し離れた裏手のところにその一節を刻した石碑が建っている。)

 長州はいい塔をもっている 
 と、惚れぼれするおもいであった。長州人の優しさというものは、
 山口に八街九陌をつくった大内弘世や、ザビエルを保護した義隆など
 の大内文化を知らねばわからないような気もする。
 ・・・



余談だが、裏山にムササビが棲みついて昨年屋根に穴をあけられる被害に
遇った。また今年の夏、前の池に「飛ぶ宝石」とよばれるカワセミが棲み
ついて池の小魚を狙っていた。カワセミは兎も角も、県庁すぐそばでムササビ
が見られるようなところはほかにはないだろうと思う。

山口はいまだに「明治維新」から抜けきれていないところがあるが、司馬
遼太郎が言っているように長州人は優しい。
室町幕府の有力な守護大名だった大内氏が京の文化を山口にもたらし、多くの
方言にもはんなりとした京言葉が残っているという。
方言で語尾につく「のんた」は「のう(ねえ)、あなた」と相手を思い遣って
の言葉だそうだ。ただ残念なことに「のんた」は30年ほど前はご年配者
が話されていたが今は全くといえるほど聞かれなくなった。

人口12万の日本一小さい府県庁所在地、そしてその県庁所在地にJRの本線が
通っていない多分沖縄を除いて全国で唯一の県(新山口は旧小郡町)。
県庁の駐車場が無料、市内の一等地の有料駐車場の料金が100円/60分
というところもそうそうないだろうと思う。

そんな山口なので、ぜひ一度美しい瑠璃光寺を見て欲しい。
「おいでませ(おいでください)!山口に」

 

 入り口の石碑と百日紅
 

 梅
 

 桜
 

 アジサイ
 

 雪化粧
 

 薄暮
 

 瑠璃色のライトアップ(さるイベントでの特別照明色)
 

五重塔、三重塔、多宝塔巡り  (6)興福寺 五重塔

2012-12-21 | 旅行
 続いて奈良市を代表する興福寺の五重塔(国宝)。


高さ50.8mと京都・教王護国寺(東寺)の五重塔に次いで2番目に高い。
加えて小高い丘の上に建っているのでなお一層大きく見える。

 境内・南円堂前から
 

 元興寺方面から
 

 猿沢の池越しの遠景
 

かつて明治維新の時の廃仏毀釈で廃寺となってこの塔も競売にかけられ、落札者
が薪にするため解体を計画したものの解体費用の方がかさむということで解体を断念。それではと焼き払って釘などの金属材を回収しようとしたがこれも延焼を恐れた住民の
猛反対を受けて断念せざるを得なかったという。

今から考えると廃仏毀釈を含めて全く無茶な話だが、解体も焼却もされずに残った
幸運に感謝する。廃仏毀釈では日本中の多くの仏教関係の宝物(ほうもつ)が海外
に流出したという。

ここ興福寺の五重塔は入場無料、また夜遅くまでライトアップしているので奈良市
に行くとかならず立ち寄ることにしている。
そして何度かに一度は阿修羅像に会いに行く。何度見ても飽きない。
数年前、九州国立博物館で興福寺展が開催されたときも長駆大宰府まで車を飛ばして
行ってきた。このときは常設では見られない背面も観ることができ、周囲を何度も
何度も回ってしまった。

なお興福寺にはやや小さいながらも三重塔があり、これも国宝である。
後日別途三重塔で掲載の予定。

 ライトアップ 


五重塔、三重塔、多宝塔巡り  (5)明王院 五重塔(広島・福山市)

2012-12-20 | 旅行
 次は広島県福山市の芦田川沿いにある明王院の国宝五重塔。
 1348年の建立。朱色の彩色が美しい塔である。

  

 

ここは残念ながら全国的には知名度が低い。かつて福山に3年弱の間、単身赴任
していたことがあるが、実はそれまでは全く知らなかった。
恐らく単身赴任していなければ訪れることはなかっただろうと思う。

福山は西に尾道、東に倉敷、岡山と全国的に名前が通った観光地に挟まれているが
福山自体にめぼしい観光地が少なく観光客は両隣に流れてしまう。
そのため、ここ明王院は国宝であるにも拘わらず訪れる観光客は少ない。
蛇足ながら、海住山寺を参拝した時に丁寧に応対していただいたご年配の婦人
(多分先代の住職婦人)は以前ここを参拝したことがあると話された。
駐車料、入場料ともに無料。

福山は周辺地域を合わせると60~70万人の人口があり大都市と言えるのに
全国的に知名度が低いのは非常に残念である。

 ※福山の主な観光スポット
  鞆の浦:江戸期の潮待ちの港であり当時の港湾施設が残る。朝鮮通信使
      や坂本龍馬、幕末の五卿落ち縁の地。「崖の上のポニョ」のモデル
      とも言われている。
  福山城:JRが城郭の一部を通っており新幹線で福山駅に停車すると間近に
      見える。場内は桜の名所でもある。
  バラ公園:55万本のバラが植樹されており5月にバラ祭りが盛大に
       開催される。
  松永:下駄博物館(元製塩業⇒製塩の業閑期に下駄を生産したことから
     下駄の生産が盛ん。)
   でも、・・・やはり観光スポットは少ない。 

明王院のすぐ北隣に草戸稲荷があり、ここは初詣で有名。正月三ヶ日は周辺地域
からの初詣客で相当混雑するらしいが参拝したことは残念ながら一度もない。

五重塔、三重塔、多宝塔巡り  (4)海住山寺 五重塔

2012-12-19 | 旅行
 海住山寺の五重塔は1階の軒の下に裳階(もこし)と呼ばれる庇が付いた独特の形
をしている。
この裳階は塔建立(1214年:鎌倉初頭)の何年か後に雨除けのため付け加えら
れたらしく、そのため最初から付けられていた薬師寺の三重塔や信州安楽寺の
三重塔などものと違ってやはり"取って付けた"という印象を受けるのは否めない。
 しかしこの裳階を眼中に入れなければいい。なにしろ山中の激しい風雨に800
年もの長い間耐え続けている。
塔の高さは17.7mと室生寺の五重塔に次いで2番目に小さい。

 

 


海住山寺は京都南部―奈良県との境に近い京都府十津川市加茂町の山中にある。
麓の例幣という集落から約1kmほどの急坂を車で登ると寺のすぐ下にある
駐車場に着く。この急坂は時に傾斜が45度もあろうかと思えるような急坂
で今振り返ってみてもよく車で登ったなと思う。

国交省所管の「標高がわかるweb地図(試験公開)」で調べてみたら麓の集落との
標高差が140mもあった。徒歩で登ればちょっとした登山である。

その分見晴らしもよく、麓の集落が眼下に広がる。
海住山寺と言う名称は麓の一体を海になぞらえて命名したというがなるほどと
頷ける。

下山したあと、近くにある恭仁(くに)宮跡、山城国分寺跡にも立ち寄って
みた。いずれも広場の中に礎石や石碑が建っているだけで他には何もない。
恭仁宮は奈良後期にわずか4年間(740-744)だけ都が置かれた由。

隣接する場所に恭仁小学校が建っており、今どき珍しい木造の校舎がある。
全校生徒数が1000名くらいは居そうな大きな学校に見えたが生徒達の姿は
全く見えない。正面に回り施錠された門扉の間から覗くとなぜか運動場に
警備員の人が立っていた。
そこでニ、三尋ねてみたところ全校生徒は30名足らずという。少子化
に加えて付近一体が史跡保存地域に指定され家の増改築ができないので
生徒数が減少の一方を辿っているとのこと。立派な木造校舎も残して欲
しいと願う。

 山城国分寺跡
 
この左隣に恭仁小学校、小学校の裏手(写真の左手前方)に恭仁宮跡
 がある。こんななんでもないところに重要な史跡が残っているのが
 奈良時代の良さでもある。

 恭仁小学校
 
 年配の警備員の人が退屈そうに立哨していた。池田小学校の事件以来
 学校の警備が厳しくなり校門も施錠されている。一昔前までは小学校
 の校庭は子供達の遊び場の一つだったのだが、今は子供たちに声を掛け
 るだけで異常者扱いされる。変な社会になったものだ。