忙中閑話

四季の移ろい、花鳥風月を楽しみつつ
趣味はミニチュア木工、電子工作、旅行など

シリア援助の無駄

2013-09-30 | 随想
 27日に安倍総理が国連で講演し、シリアへの60億円もの経済支援追加を
表明した。

シリアは2年以上も内戦を続けており終わりが見えない。恐らく相手を徹底的
に潰してしまわないと自分の方がやられるのだろう。だから武器がある限り死力
を尽くして戦い続ける。その間、国内は破壊尽くされるだけだ。内戦だけにお互い
が国内の施設を攻撃しあうので余計始末が悪い。

完全に国としての体をなしていない。多数の難民が溢れているとは言え、こんな
国に経済支援を行う必要があるのだろうか。


めぼしい地下資源や産業がないシリアが、これほど長期に亙って内戦を続けることが
できるのはなぜか。武器を供給している組織があるからだろと思う。事実、今回の
化学兵器問題で、その化学兵器はロシア製という。フランスもアメリカも武器を大量
に輸出し、それが直接、間接的にこういう不安定な国に流れている。

国連で訴えるのは、経済支援だけではなく、武器を世界にばら撒いている国を糾弾
すべきなのではないのだろうか。
武器を垂れ流したままでは、内戦や紛争は果てしなく繰り返される。


池の金魚(コアカ)の条件反射

2013-09-25 | 日記
 久しぶりに池の金魚(コアカ)の話。

 庭にある猫の額ほどの狭い池に金魚のコアカを飼っている。
久しく水生植物の植木鉢が並ぶだけの池であったが、三年か四年ほど前、
コアカ20匹を池に放した。一時20匹から6匹ほどまでに減ったが
昨年、今年と稚魚が生まれて、現在はもとの20匹を超えるまでに数が
回復した。

 鯉と違い、警戒心の強いコアカは集団で動き、時に列になって泳ぐ。
15cmほどまでに成長した初代のコアカと、今年生まれた小さい稚魚が
ともに泳ぐ姿はほほえましくもある。まさに”めだかの学校”ならぬ"コア
カの学校”である。

 朝夕と日に2回餌を与える際、稚魚も食べられるようにと餌を新聞の折込
広告紙に包んでテーブルの上におき、広告紙の上から金属製の工具で叩いて
小さく砕いている。縁側でそれをやるのだがその砕く音に反応して動きが激
しくなる。

パン作りの時にボールの表面に残る小麦の団子も少量ではあるがコアカの
好物でもある。指先で小さく丸めて1個づつ落とすと競い合って食べる。
同じようなものでもゴミならばすぐ吐き出してしまう。どうも味がわかるよう
である。

昨日もパン作りの後に残り物をやろうと庭に出たみたが、隠れ場にしている
日覆の下に潜んでいるのか一匹も出てこない。そこで、試しに例の工具で叩
いて砕く音を出してみたところ、隠れ場から一斉に出てきて給餌場にしている
ところに集ってきた。

そういえば、公園の鯉なども手を叩くと集ってくることがある。条件反射と
いうよりは学習能力だろうか。お頭付きの魚を頂く時にわかるが魚の脳は驚く
ほど小さい。この小さな脳にすばらしい能力が備わっているものだと妙に感心
する。

わずか3、4畳ほどの池。これらが彼らの全世界である。夏場に強い日差しで
ゆだるように水温が上がっても、また池に氷が張る寒い冬も、この狭い池から
逃げ出すことはできない。また、しばらく水を補充しないと水位が下がる。
そんなときはやや深くなった場所に潜み、水位が上がるまでひっそりとやり過ご
している。

そんな過酷で狭い世界だがそれだけに悩みも少ない。羨ましくもある。

できる。

だが三日


フランスパンづくり

2013-09-24 | 日記
丸パンを作り始めたのは今年の3月。先月終わり頃には作り始めてから半年経った
ことになる。2日に1回の割合なので通算ですでに90回ほど作り続けたことになる。

イーストは生き物。だからか、その日の気温や湿度のほか、小麦粉の捏ね方などで微妙に
風合いが変わる。風合いの違いを味わうのもまたパン作りの楽しみでもある。

そろそろバリエーションを増やしたくなった。家人はカリカリのパンが好きなようで、
折角作ったふわふわ感のある丸パンを薄く切ってトーストにしている。
少々飽きてきたこともあって、丸パンより硬目となるフランスパンを作ってみることに
した。
フランスパンはバターを使わないので基礎代謝が落ちている我々にとっては体にもよい
はずだ。

ネットでレシピを探してみると、簡単フランスパンの作り方というのが目に留まった。
1時間ほどでできるというのでまずやってみた。しかし丸パンの時もそうだったように
簡単レシピというのは、できることはできるが食感がどこか物足りない。
硬すぎてモチモチ感が出ない。結果的にみるとやはり手抜きなのだろう。

別のレシピに変えてみたところ、おいしいフランスパンが出来上がった。

【材料】
 強力粉   140g
 薄力粉   60g
 塩     小さじ1/2
 砂糖    小さじ2
 ドライイースト 小さじ1.3
 ぬるま湯  138g(138cc)
バター又はマーガリン 2gr(なくてもいい)

【作り方】 
 ①ぬるま湯に砂糖小さじ1/2(うち数)とドライイーストを入れ15分放置。
  表面に泡が立つ。
  
 ②ボールに小麦粉、塩、砂糖(小さじ1と1/2)を加えて十分に混合する
  ※混合は次のステップで使うお玉をそのまま使用すると便利
 ③②に①を少しずつ添加し、更にバターまたはマーガリンを加えて
  お玉で捏ねる。
  ※べたつくので最初はお玉が便利
  ※バターをなくてもよい。加えると舌触りがよくなる気がする。
  
 ④ある程度纏まったら手で捏ねる
  
 ⑤④を丸め、表面に薄く油(バターあるいはマーガリン)を引いたボールに
  入れて、ボール上を軽くラップで覆い37℃で30分一次発酵
 ⑥4等分したものを縦横にそろぞれ一回折りたたんで丸め、クッキングペーパー
  を敷いたパンに並べる。ラップをかけて一次発酵の余熱で15分寝かせる
  ※写真の上2個は家人用、下1個は当人用
  
 ⑦縦長に引き伸ばして三つ折にして閉じた部分を密着させて縦長に丸める
 ⑧37℃で20分二次発酵させる
 ⑨霧吹きで表面をぬらし、湿らしたペーパタオルを沿えて190度で20分焼く
  

 買ったフランスパンよりややしっとりしているが味、食感とも申し分ない。
 これも手作りのブルーべリージャムをつけて頂くともう最高!

消費税増税のTV討論を見て

2013-09-23 | 日記
 先日NHK総合で甘利大臣(内閣府経済財政政策担当)を交え消費税増税について
TV討論をやっていた。中身的には今まで繰り返し議論されてきたことと変わりない
ものであり聞き流す程度で視聴していた。

世論調査などをみると、国民の大半が「消費税増税は止むを得ない」という方向に
傾いているようだ。しかしまた増税分が本当に福祉に回されるのかということに
疑念を持っていることも確かである。

甘利氏は「増税をやる前にやることがあるだろうという意見がある。だがそれは
まやかしであって先延ばしでしかない。増税、歳出削減は同時進行でなければ
ならない」と言っていた。

しかしこの発言自体が「まやかし」である。同時進行で進めるべきだといいながら
歳出削減の具体策は全くない。
それどころか、国会議員の定数削減ですらまとめようとしない。仮に国会議員を
100人削減したところで年間100億程度しか浮かないので焼け石に水くらいの
ことにしかならないことはわかっている。だが、この程度のことでもやろうとして
いない。

だいたい、国の債務が1000兆円超もあって、これが歳入の25年分に相当するという
のに危機感がまるで感じられない。税引き後の年収が600万円のサラリーマン家庭
なら1億5千万円に相当する借金ということになる。一般家庭なら、宝くじに当た
るか悪の道に走らない限り返済は無理である。

また甘利氏は「これだけ国債残高があるのに国債の金利は上がらない、特異な
国である。」とも言っていた。言外にまだまだ国債を発行しても大丈夫、つまり
まだまだ借金ができる状態であるということを含んでの発言である。しかし国債
の金利というのは金融市場でのことで、一種"砂上の楼閣"でもある。
昔アジア金融危機が起こったように、いつ何時何が起こるかわからない。

"黒ヒゲ危機一髪"というゲームは、樽に短剣を突き刺してゆき、当たると樽から
出ている海賊の頭が飛びあがるというものだが、今の国の状態はこれに似ている。
そして残りの短剣もほぼ最後に近い。そういう状態に思える。いや、むしろ当たる
と死ぬという意味では”ロシアンルーレット”の方かも知れない。

それを景気対策だとして、今年初頭に13兆円を超える追加予算を成立させている。
その財源の大半は当然国債発行である。正に常軌を逸脱している。

最近政治家が口を開けば「確実に」「的確に」「強いリーダーシップをもって」
「責任を持って」などなどの修辞句がやたらとでてくる。
言葉自体は重いが、中身は軽い。口先だけが踊っているだけなように思えて仕方
がない。

政治家が信用されない国は貧しい。

仲秋の名月

2013-09-20 | 日記
 昨晩は仲秋の名月だった。息子たちが幼い頃には窓際にススキと団子を供えたり
もして楽しんだが、息子たちは大きくなるに従い興味を示さなくなった。

とはいえ、家人は節分を始め季節ごとの行事を一人楽しんでいる。
昨晩は、ススキこそないが月見団子を買って来ていた。
節分の時の煎り豆もそうだが、今回もご相伴に預かった。


空を見上げると、煌々と空を照らす満月。


最近は、夜に家を出る機会が少なくなり夜空を見上げることが殆どない。
空調が効いた室内に一日居ると季節の移ろいに疎くなる。
それどころか、明々と照明で照らされる町中に居ては時間さえ忘れてしまう。

古(いにしえ)の人々は――とは言ってもほんの100年ちょっと前まで
はそうだったのだが――こんなわずかな月明かりを楽しんだ。

立待ち月、居待ち月、寝待ち月、更待ち月、宵待ちの月・・・・等など。


仲秋の月ではないが、5年ほど前に紅葉のライトアップを見ようと京都を訪れた
ときのこと、偶然山の端に沈む満月が非常に美しかったことを鮮明に覚えている。
知恩院の御影堂前であった。








無謀運転に驚く

2013-09-14 | 日記
 昨日隣町まで出かけた時のこと、途中、片側2車線の道路で外側の走行車線を走っていた。
斜め前方の追い越し車線にはトラックが2台縦走して、自車との間はわずか1車分か1.5車分程度
しか空いていなかったのに、そのわずかな隙間を乗用車と普通トラックがすり抜けていった。

自車も斜め前方のトラックも時速70kmは出ていた。それでも待ちきれないらしい。

時に追い抜いたはいいが前がつかえていてあわててブレーキを踏む不届きな輩に出くわすことも多々
経験したことがあるが、今回は前があいていた。その代わり、500mほど先の交差点は赤信号であった。
何をこんなに気ぜわしく運転するのだろうといつも思う。

それほど負けん気が強いのなら、いっそ学生時代にも負けん気を出しておけば良かったろうに、おそらく
学校では勉強も運動もままならなかったのだろうと独り勝手に溜飲を下げる。

そういえば、最近交差点においても少し間を開けると、対向車線で右折待ちをしている車が自車の直前を
すり抜けることも度々経験する。何かあっても自車がブレーキを踏んでくれるだろうと思っているようだ。

車の性能が上がったのか、無謀運転は軽自動車に目立つ。まるで普段ばきのように乗り回しているのだろう。
ミズスマシのように車線変更を繰り返して行く車がいるが事故の時にどうなるか想像しているのだろう
かといつも思う。

(続) 「竹島/独島 韓国の論理」(金学俊 著)

2013-09-12 | 日記
 先日のブログで、韓国で出版された本の訳本を図書館から借りてきて読み始めたら、
冒頭から「我が倍達民族は……」と来たので驚いた旨を記した。

「倍達民族」というのは朝鮮族のいわゆる雅称らしい。日本で雅称といえば「やまと
(大和)民族」や国の雅称になるが「みずほ(瑞穂)の国」に相当するはず。「やまと」
や「みずほ」という言葉にはそこはかない優雅さが漂う。だが「倍達民族」には
雅やかさなるものはまるでなく、選民思想が強く漂う。

良い方に解釈すれば、長年異民族から虐げられてきた歴史の中で生まれた「臥薪嘗胆」
(いつかは見返してやる?)の思いが屈折して反映しているとも考えられるが、仮に
そうだとしてもそれは恨みだけである。

本のタイトルに「韓国の論理」とあったから読んでみる気になったのだが、始めから
これでは話にならない。韓国屈指の難関大であるソウル大卒で米国留学の経験もある
という、物事を客観的に判断できる人ですらこうなのである。

 「倍達民族」=先進、さらにその先を行く民族?。そのことに関して自分の評価は
他人がするもので自分がするものでないと書いた。

そういったまさに今日、目を通している本のなかで、戦国時代に日本を訪れた宣教師、
フランシスコ・サビエル(ザヴィエル)がイエスズ会に宛ててしたためた書簡の中の
日本人に関する描写の部分が引用してあった。

いわく、
 -―私は、今日まで自ら見聞しえたことと、他の者の仲介によって知ることのできた
 日本のことを、貴兄等に報告したい。、先ず第一に、私達が今までの接触によって知る
 ことのできた限り於いては、此の国民は(中略)一番傑出している。(中略)日本人
 は総体的に、よい素質を有し、悪意がなく、交わって頗る感じが良い。

 (中略)日本人は大抵貧乏である。しかし、武士たると平民たるとを問わず、貧乏を
 恥辱だと思っている者は、一人も居ない。(
中略)
  日本人の生活には、節度がある。ただ飲むことに於いて、いくらか過ぐる国民で
 ある。(中略)賭博は大いなる不名誉と考えているから、一切しない。何故かと言へ
 ば、賭博は自分のものでないものを望み、次には盗人になる危険があるからである。
 (中略)窃盗は極めて稀である。死刑を以って処罰されるからである。彼等は盗みの
 罪の悪を、非常に憎んでいる。大変心の善い国民で、交わり且つ学ぶことを好む。


サビエルといえば山口市亀山にはサビエル教会がある。山口大内氏の時代に山口で布教
していて信長にも謁見しているから1550年頃の室町時代の話である。つまり今から
600年近くも前の日本人評になる。だがこういった気質がベースとして現代にも脈々
と受け継がれていると思う。現代においても外国人観光客の評価は高い。

くどいようだが、評価は他人がするものである。


「竹島/独島 韓国の論理」(金学俊 著)

2013-09-08 | 随想
 市立図書館で面白そうな書籍を探していたら偶然竹島に関する韓国人が書いた本が
目に留まった。
それが標記のタイトルの本である。著者の金学俊氏は、韓国でトップのソウル大を
卒業しておりまた米国にも留学したこともあるいわゆる学識者といえる。

 韓国の学識者の対日観というのはどういうものだろうと思い本を借りてきた。
米国留学経験のある人だからある程度の世界観もあるだろうし、そして物事を客観的
に判断できるだろうと期待するところがあった。

「第一章 独島は日本の朝鮮強制占領の最初の犠牲地だった」で始まる。この表題は
朝鮮人から常に聞かされているから良しとしよう。

 ところが、その最初のページで完全に期待は裏切られた。と、いうよりあきれてしま
った。まず、なんと「我が倍達民族は・・・」とある。初めて知ったが彼ら朝鮮人は皆自分
たち朝鮮族のことをそう呼んでいるらしい。

字面からすると「倍達」とは倍の先に達している(進んでいる)と言う意味であろう。
つまり他民族より先の先を行く優れた民族という意味なのだ。しかも「達」という
ことは既に(理想に)到達しているということだろう。留学経験がある知識人と思われ
る人種ですらまだこんな単語を使い意識していることにあきれてしまう。

かつて第二次世界大戦でヒットラーが「我がドイツ民族は優秀でユダヤ人は劣等民族
である」としてユダヤ人を強制収容し大量虐殺した例は知っているが、それ以外では
こういう風に自称する民族を聞いたことがない。ヒトラーの例が示すように危険な
思想でもあるし、何よりも現状に自己満足することに終わりそれ以上の発展性が生れ
ない考え方である。

大体、自分のことを自慢して他言する人は信用できない。
昔、会社の創立記念式典に出席した時のこと、あるOBが来賓挨拶の中で直近の歴史を
振り返りながらあることについて「自分がやった」と繰り返し、さも自分の功績である
かのように話していたのを思い出す。実情を良く知っているだけに聴くに耐えないもの
だった。
評価は自分でやるものではなく、第三者がするものである。

話が逸れてしまった。話を元に戻そう。
かれらは倭寇に始まり、秀吉による朝鮮出兵、そして1910-1945年の日韓併合を上げ
て日本からの侵略の歴史を強調する。

しかし倭寇の大半が中国か自国民による強盗であったことを知らないのか語ろうとし
ない。
また元寇の時に元の手先になって日本に侵攻してきた事実にも口を塞ぐ。
そして日韓併合時はあたかも全てが圧政であったかのように「日帝(彼らは当時の
大日本帝国のことをそう呼ぶ)による搾取」という。
全て被害者であって、悪いのは日本である。日韓併合時代に日本が行ったことに当然
功罪はある。しかし彼らに言わせると罪の方ばかりで、政治制度および教育制度の
整備やインフラ構築についての功の方は全く認めようともしない。
寺子屋さえなかった国に学校を建て、ハングル文字を普及させて文盲率を下げさせた
のは一体誰なのか。

また日韓併合については複雑な時代背景がある。その中には自らが招いた要因もある。
日本だけが一方的に悪いのではないはずだ。
彼らは常に哀れな被害者となって現実から逃避するのである。

すべてこれらが先の「倍達民族」意識がベースにあるように思えてならない。
同じように皇民化政策をとった台湾が親日派が多いのに、こちらの方は反日が圧倒
的というのも頷ける。

肝心の竹島についての検証はというと、頭から「韓国固有の領土である」で固まって
いる。その根拠なるものの根本が1145年に発行されたという「三国史記」であり、
その中になんと512年に欝陵島近辺にあったという「干山国」なるものが高麗に
帰属したという記述があるという。
1145年と言えば日本では鎌倉以前の平安末期である。そして512年はそれより
600年以上も前の話である。これは完全に「昔、昔・・・」で始まるお伽話その
ものではないか。まさに伝承のなかの神話である。

あとは「固有領土である」前提で距離的にどうの、古文書がどうでの羅列。全く話に
ならないものだった。いわゆる知識人がこの程度なのだからやはり程度が低いといわ
ざるを得ない。

2020年オリンピック開催地の投票直前に合わせて東北8県産水産物の輸入禁止の発表
するのは幼稚なのでまだいいとしても、ソウル日本大使館前の公道に“慰安婦の像“を
設置するなどというのは完全に嫌がらせであって品位にかける。ソウルオリンピック
のボクシング会場で判定に猛烈抗議した挙句、会場の照明の全てを落としてしまった
ことがあったがそのことを彷彿させる。
そして全く関係のない米国の各地に“慰安婦の像“設置を計画しているという。頭の中の
何処かがショートしているのではないか。

オット! “頭がいかれている“という言葉は差別用語らしい。


アメリカの独善的論理 シリア紛争

2013-09-06 | 日記
 アメリカ(オバマ政権)がここに来てシリアへの空爆を始めたがっている。

2年以上も無干渉で来ていたのが(裏で何をやっていたかは定かでないが)、
アサド政権が毒ガス等の化学兵器を反体制側攻撃に使ったからだという。

化学兵器の使用は国連安保理で禁止されているというのがその主張の根拠
となっている。化学兵器は”非人道的”なのだそうだ。

では他の兵器、特に原爆、水爆は非人道的ではないというのか。
彼らは決してこれらを手離そうとはしない。持ち続けるのは抑止力を保つ
ためで使うためではないというだろう。だが今までに実際に使ったのはその
アメリカだけである。戦争という特殊な状況下ではあったものの、決して
許されることではない。
また、一発で多数を殺傷するクラスター爆弾、厚いコンクリートの防護壁に
囲まれた地下壕でもこれを破壊することなく中にいる敵だけを殺戮できる中性子
爆弾を開発したのはアメリカである。最近は無人の攻撃機さえ開発している
という。よくもこれほどの人殺しの兵器が思いつけるものだと思う。
明らかに論理が矛盾している。


 今までもシリアへ介入する姿勢を示していたが、ロシア、中国の拒否権
発動により安保理の賛成が得られなかった。今回は安保理で使用が禁止されて
いる化学兵器の使用を理由にすれば安保理の賛同が得られると読んでのこと
なのだろう。

 それよりもなぜアメリカがシリアに介入したがっているのか。
シリアはイスラエルに近い。どうもこの化学兵器がイスラエル攻撃に使われては
困るからではないのかと思えて仕方がない。

アメリカではユダヤ系の住民が政財界で純然たる勢力を持つ。彼らの意思を
全く持って無視できない。

 沖縄では、米軍関係者が基地外で通勤時に起した交通死亡事故でも日本側は
裁判権がない。日米地位協定で業務中の事故は米国に裁判権があるという。
そして米国側の裁判の結果は罰金刑程度で済む。
戦時体制下での出動でならいざ知らず平時での普通の通勤にこれはあんまりでは
ないか。そして日本側の拘留下での捜査に人権の保証がないからという理由で
この裁判権を日本側に委譲するつもりは毛頭ないようだ。

 これから見てもアメリカの民主主義はアメリカのためだけの手前勝手の民主
主義であるように思えてならない。



今年の異常気象

2013-09-04 | 日記
 昨日久しぶりに日差しが戻った。
8/30から昨日午前中まで実に5日半もの間、雨模様が続いたことになる。
2つの台風が相次いで襲来したこともその原因の一つではあるだろうが、この時期に
これだけ長期間悪天候が続くことは非常にめずらしい。

雨が上がってみるとそれまで鳴いていたセミが秋の虫に代わっており、また夕方半袖で
自転車を走らせると腕が肌寒く感じるほど気温が下がっている。わずか5日の間に季節
が移ろっていたことに気付く。

思えば、今年の夏は異常続きであった。梅雨が例年より2週間近くも早く明けたし、
最高気温を記録する、各地で記録破りの集中豪雨被害が出るは、で超がつく異常さで
ある。

例年なら、集中豪雨は梅雨の初めか末期に起こることが多いが、今年は猛暑の中で
しかも、東北、北海道でも起こっている。

気象の専門家の説明によれば、上空を流れる偏西風の蛇行が日本列島のところで西か
東だったかに少しずれためという。

蛇行の流れならちょっとした要因で変わることは十分考えられる。

中国が揚子江中流部に三峡ダムというのを2009年に完成させている。
(一部供用開始が2003年、ダムの本体工事完成は2006年)

自分の中ではこの地球規模の工事が異常気象の要因の一つではないだろうかと
密かに思っている。

なにしろダムの堰堤が長さ2.4km、ダム湖の長さは実に570km、そして
その結果出来た腎臓のダム湖の広さは11,000km2に及ぶ。
このダムのために110万人もの住民が強制移住させられたという。

九州の南北間が約300km、四国の面積が18,000km2であり、ダム湖の長さ
は九州の南北間の2倍、面積は四国の60%に相当する巨大なダムである。

揚子江の流れが大きく変わって流れ込む東シナ海へのさまざまな影響が考えられる。
なによりもこれだけ広いダム湖が気象に与える影響は少なからずあるだろうと思うが
どうだろうか。異常気象が起こるたびにこの三峡ダムのことが気なっている。








婚外子相続差別の違憲判決について

2013-09-04 | 日記
結婚していない男女の間に生まれた子(婚外子:非嫡子)と結婚した夫婦の間に生まれた子(嫡子)との間で遺産
相続で差別する民法は違憲であるとの判決が最高裁で出された。憲法で保証された「法の下の平等」に違反
すると判断されたのだ。

だが、果たしてそうなのだろうか。
自分自身、いわゆる隠し子はいないし、何より相続させるべく遺産がないのでどちらに向いてもどうでも
いい全くの門外漢なのだが、この判決はやはりおかしいと思う。

そもそも「法の下に平等」というが、生まれた子供が皆平等ということはありえない。口に銀のスプーン
を銜えて生まれて来た良家の子供と、その日暮らしの両親の下に産まれて来た子供とは生まれた時から
雲泥の差がある。これは親の責任であって本人の責任ではない。憲法はこれまでも平等にせよと言っている
のだろうか。そうではないだろうと思う。

とすると、同じ条件の下に生まれて来た子供は平等の権利を持つというのだろうか。でもこれもおかしい。
そもそも婚外子と嫡子はそれだけで同じ条件ではないのだから。

法でいう平等というのは、何人からも束縛されない自由などという人が生まれた時に普遍的に持つべき
人権に対してではないだろうか。

弁護士対象のアンケート調査によると、90%以上が違憲と回答したとある。夫婦関係が多様化しているので
法律もそれに合わせるべきだという。だが実態に法律をあわせるべきとは決して思わない。かくあるべきだと
人を律することも必要だからだ。

前述のように全くの門外漢なのだが、心情的に、判決後に嫡子側から出されたコメントである「介護もやって
きたし、先祖の墓も守ってきたことが評価されず残念」という方の肩を持つ。
果たして時代遅れの考えが古い人間なのだろうか。

テレビのニュースで、シングルマザーの家庭に生まれたという作家で元ラジオパーソナリティーだった
落合恵子のインタビューが放映された。いつもの白髪混じりソバージュ頭。今やトレードマークにしている
らしいが、あのボサボサの“ヤマンバスタイル“は見ていて余りに汚らしい。


(続)おわら風の盆

2013-09-03 | 日記
 富山市八尾町の「おわら風の盆」が今年も始まった。
今年は、11年ぶりに行こうと計画していたが3日間の期間中ずっと空模様が思わし
くないような天気予報であったので行くのを断念した。

しかし断念したもののやはり気になる。そこでYouTubeでチェックしてみると早速
アップされていた。天気はなんとかもったようである。
You Tube(八尾おわら2013年9月1日)


旅の後で自分の撮ったビデオを見返して思い出に浸っているような感覚に囚われる。
やはり「おわら風の盆」は底はかない風情がある。
直前に福井の方で集中豪雨と竜巻被害があって北陸地方の天候が荒れ模様だと怖れて
いたが無事開催されており安心した。


ある年雨で中止になったとき、心無い観光客が怒って石を投げたことがあるという。
演舞場は有料だが町中は無料であって、町内の人にはお金が殆ど落ちない。
本来「おわら風の盆」は観光のための見世物ではなくて、八尾の人々が自分たちの
ためにひっそりと踊っていた。
これほど有名になって観光客が押し寄せるようになっても金儲けに走らない
ところがまたいい。

下村(現射水市と合併)の賀茂神社の「稚児舞」、「やんさんま(流鏑馬)」や
南栃(なんと)市の「城端むぎや祭」、「こきりこ祭り」など、富山には伝統の
祭りが営々と受け継がれている。

※前回、楽器を三味線と二胡と記したが、二胡ではなく胡弓の誤りでした。

富山の思い出 ~ 八尾町「おわら風の盆」

2013-09-01 | 日記
 明日9/1から9/3までの3日間、富山市の南に位置する八尾町で恒例の
「おわら風の盆」が開催される。
本祭の前の11日間(8/20~30)は八尾町の11町内が日替わりで開催
する前夜祭がある。


今年は11年ぶりに八尾を訪れてみようと今年初め頃から計画していた。
数日前からは天気予報をチェックしつつワクワクしながら、旅行の支度を
すませておいた。

ところが天気が思うように回復しない。「おわら風の盆」はそれぞれの町内
を二胡や三味線にあわせて踊り歩くので雨には弱い。雨が降ると中止される。
なによりも曇り空ではもう一つの楽しみである立山連峰も見えない。

ということで、昨晩まで行く気になっていたが残念ながら今年は行くのを
断念した。


 思えば、富山に単身赴任していた5年の間に、前夜祭を含めて10回以上
「おわら風の盆」に通っている。大変な込みようで車ではとてもアクセスでき
ないと聞いていたので、当時住んでいたところからは40kmも離れていたが
初めの2~3回は原付バイクで行った。

事実、1万人に満たない狭い町内に3日間で延べ25万人もの観光客が押し
寄せるので祭り中は町内の移動がままならないほど人で溢れる。

それでも「おわら」には毎年行ってみようと思わせるだけの魅力がある。
哀愁を帯びたニ胡の調べ、力強い男踊り、しとやかな女踊り、ちょっと艶かしい
男女ペアの組み踊り。どれをとっても懐かしくなる。祭りの主役は概して未婚
の男女である。結婚すると引退するという。

深めに被った網笠で顔が殆ど見えないから余計艶かしく感じるというのもある。
休憩の時に網笠をとると普通の茶髪のお嬢さんだったり、耳にピアスをしたお兄
さんだったりすることもありそのギャップに驚くこともあった。
しかし若者たちが持つ人生の一瞬の輝きがそこにはあってほんとうに眩しい。
今年は昔撮った写真を見るだけで楽しむことにする。

'98年東町




'99天満町




'99福島町




’02天満町
出番待ちの踊り手








男女ペアの組み踊り


八尾曳山(5月3日)
5月には曳山祭りも開催される