備中平野の中に建つ備中国分寺の五重塔。遥か彼方から見える塔と
言えば東寺の塔とこの塔だけだろう。
思いもよらず福山に単身赴任となり、その3年の間に季節の変わり目毎に訪れた。
福山から距離にして40km、車で1時間程度であったので思い立てばすぐに出かけ
られた。
最初に行ったのは20年ほど前のクリスマスイヴのころ、山口から高速をとばして
行った。後年福山へ赴任することが判っていたらわざわざ山口から行くこともなか
ったのだが、この頃は子供たちが親離れをし始め手がかからなくなった時期であり
家人の子育ての慰労を兼ねていた。子供たちを家に残し新婚旅行以来始めての家人
と二人旅であった。
倉敷から総社に向かい、やや小高い丘を超えた頃に遥か前方の平野の只中にこの塔
が見え始めた時の光景、感激はいまだ忘れることはできない。
ただ福山に赴任した時にやはり倉敷から入ってみたが、バイパスが開通してルート
が少し変わったせいなのか、あるいは山林開発などで住宅化が進んだためなのか、
以前見た遠景は見られなくなってしまっていた。
福山赴任時代は、もっぱら旧山陽道である井原方面から入ることが多かったが、
倉敷からのルートが南ルートとするとこちらは西ルート。この西ルートも坂を超え
ると塔が現れる。
建立は江戸初期の1835年、高さ34.32m。五重塔はやはり遠くからの
眺めがいい。
遠景
境内から
平山郁夫画伯のスケッチ位置から(案内碑あり)
全体
干支の彫像
東西南北4面の鴨居の上付近に干支12支の彫刻が施してある。
菜の花
レンゲ草
サルビア?
夕景
言えば東寺の塔とこの塔だけだろう。
思いもよらず福山に単身赴任となり、その3年の間に季節の変わり目毎に訪れた。
福山から距離にして40km、車で1時間程度であったので思い立てばすぐに出かけ
られた。
最初に行ったのは20年ほど前のクリスマスイヴのころ、山口から高速をとばして
行った。後年福山へ赴任することが判っていたらわざわざ山口から行くこともなか
ったのだが、この頃は子供たちが親離れをし始め手がかからなくなった時期であり
家人の子育ての慰労を兼ねていた。子供たちを家に残し新婚旅行以来始めての家人
と二人旅であった。
倉敷から総社に向かい、やや小高い丘を超えた頃に遥か前方の平野の只中にこの塔
が見え始めた時の光景、感激はいまだ忘れることはできない。
ただ福山に赴任した時にやはり倉敷から入ってみたが、バイパスが開通してルート
が少し変わったせいなのか、あるいは山林開発などで住宅化が進んだためなのか、
以前見た遠景は見られなくなってしまっていた。
福山赴任時代は、もっぱら旧山陽道である井原方面から入ることが多かったが、
倉敷からのルートが南ルートとするとこちらは西ルート。この西ルートも坂を超え
ると塔が現れる。
建立は江戸初期の1835年、高さ34.32m。五重塔はやはり遠くからの
眺めがいい。
遠景
境内から
平山郁夫画伯のスケッチ位置から(案内碑あり)
全体
干支の彫像
東西南北4面の鴨居の上付近に干支12支の彫刻が施してある。
菜の花
レンゲ草
サルビア?
夕景
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