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忙中閑話

四季の移ろい、花鳥風月を楽しみつつ
趣味はミニチュア木工、電子工作、旅行など

国宝三重塔巡り(9) 向上寺(尾道)

2013-03-19 | 旅行
 かつて会社勤めの折に単身赴任を2度経験しており、この向上寺も単身赴任がなければ行くことはなかったところの一つである。

 所在地の行政区域は今は尾道市となるが例の「平成の大合併」で合併するまでは瀬戸田町というところであった。本四架橋の一つである「しまなみ海道」の尾道側から三つ目の島、生口島にある。

尾道市街から向島、因島と渡り継いで30km余り、単身赴任先の福山からは約50km足らずである。休日のドライブには程よい距離であり、天気のいい日には瀬戸内の島々を眺めながらのドライブを幾度となく楽しんだ。

 向上寺は島の北側の瀬戸田町瀬戸田というところにあり、日本画の大家である平山郁夫画伯の出身地ということで同地に平山郁夫美術館がある。この平山美術館に行くのがまた楽しみの一つであった。

美味しいレモンの産地でもあり、シーズンには必ず買って帰ったし、また平山美術館を南に回ったところにある耕三寺入口付近のパーラーで売っていた塩アイスでこポンアイスというのも旨かった。(注:ドルチェ耕三寺前店)

そして平山美術館から西にある瀬戸田港まで瀬戸田商店街が並ぶ。いまや日本各地の商店街は郊外のショッピングモールに押されてシャッター通りとなっているところが多いが、この商店街はレトロの感じを残したまま存続しており瀬戸田に行くたびに往復した。

瀬戸田港は三原市から高速船が出ており、車でなければ本土からはこちらの方が便利である。耕三寺は西の日光東照宮とも呼ばれていて、日光陽明門を真似た絢爛豪華な山門もあって観光客も多い。フェリーで渡る観光客にとってこの商店街は参道に当たるのでシャッター通りにならずに済んでいるのだろう。しかし参道にはなっているが他の観光地にある土産物屋街ではなく自転車やコロッケ屋などもある。その後、高速道の1000円均一割引のため廃止になったフェリーも多い。幸い、さきほど調べてみたらまだ存続しているようである。


そういうわけで何度か瀬戸田に通ううちにすぐ近くの山上に塔が見え、行ってみようとなったのがこの向上寺の三重塔である。

瀬戸内の島々に映える朱色が鮮やかな美しい塔である。平山画伯もスケッチに訪れており、スケッチポイントの銘板があった。

平山画伯スケッチポイントから




対岸の高根島から(瀬戸田港と向上寺)


本堂の老朽化再建のための寄付を募っていたが、現在再建中ということである。

国宝三重塔(8) 大法寺(長野・青木村)

2013-03-07 | 旅行
 今回は上田市・別所温泉の安楽寺、北向観音に続いてその北方5kmほどのところにある大法寺
連れ合いの遠い先祖が出た(かもしれない)青木村にある。別所温泉から車で6km、約20分のところである。前にも書いたが、重文の三重塔がある前山寺、国宝の三重塔を持つ安楽寺、大法寺とこれほど近くに国宝、重文の三重塔が集まっているところは他にはない。長年、信心深い人たちに守られてきたのであろうと思われる。

丘の中腹に建つ、均整の取れたなかなかの名塔である。上から見ると小さく見えるが高さは18mもある。

参道
案内板に入場料大人100円とある。石段を登ったところに観音堂があり、本山は参道を少し下ったところにある。
この細い参道はなぜかgoogle mapのstreet viewに設定されておりviewで見ることができる。


観音堂からの三重塔






上から
上の道路は出入り自由らしい。出入り自由なところをみると防火管理上大丈夫なのだろうかといつも思う。



三重塔巡り 国宝編(7) 安楽寺/北向観音(長野・上田市) (続)

2013-03-06 | 旅行
 長野県上田市の別所温泉にある安楽寺は北向観音の近くにある。前回珍しい八角形三重塔について触れたが、北向観音について触れるのを失念した。
北向観音は遠く北方の彼方に善光寺を望むところからその名前があるとのことである。童謡「夕焼け小焼け」の歌詞のモデルであり、歌碑がある。周囲の郷が歌詞のイメージそのものの思いがした

北向観音と安楽寺は近い。安楽寺の駐車場に車を止めると北向観音へも歩いていくことができる。

安楽寺参道


安楽寺本堂


三重塔への登り


三重塔(下方から)


三重塔(初回訪問:フィルムカメラ撮影)


三重塔からの下り


北向観音入口


北向観音参道


参道の手水(温泉)


北向観音本堂


北向観音薬師堂(瑠璃殿)


「夕焼け小焼け」歌碑


愛染かつら


北向観音境内


善通寺とこの北向観音が対になっており、片方だけの参拝は「片参り」という。どちらにも参ったがご利益はまだないようである。

三重塔巡り 国宝編(7) 安楽寺(長野・上田市)

2013-02-22 | 旅行
 安楽寺があるのは長野県上田市別所温泉。上田市中心部から12kmほど南西に入る。
上田電鉄という私鉄も伸びていて、所要時間はほぼ30分。

1回目は富山に単身赴任していたおり、月一で訪れる連れ合いと松本側から入った。連れ合いが青木村という別所温泉の西隣にあるところに行けるなら行ったみたいという。なにやら本家にあった古い家系図によると遠い祖先が青木村一帯を治める真田の武将だったらしい。真田昌幸の九度山蟄居にも従った名前であるが、それがどういう経緯で大阪夏の陣を生き残り、山口に流れ着いたは定かでない。

 今の時代、出自が卑しくとも知事や市長になれる。遠い先祖がどうだったなぞ言っても全く意味がない。それに家系図そのものも後年作られたものが多い。そもそも戦国時代の武将は、各自が俺は藤原だ、源氏だ、平氏だとその時の都合で勝手に名乗っていた。

しかしこの手の話しは真偽は兎も角としてロマンを感じる。誰にも何万人、何百万人という先祖がいて30代前になると単純計算で2の30乗、つまり11億人にもなる。自分も子孫の祖先になるのだから。

そういうわけで、青木村に行くことにした。

 別所温泉の周りに古刹が多い。別所温泉には安楽寺北向観音、同じく上田市の前山には前山寺、青木村には大法寺があり、安楽寺と大法寺の三重塔は国宝、そして前山寺のは重文に指定されている。半径5kmの範囲内に国宝、重文の塔が3基あるのは多分ここだけだろうと思う。

前山寺付近には、鎌倉時代に整備された鎌倉街道の一部がまだ残っている。鎌倉で緊急事態が発生した時「いざ鎌倉」で出動できるように鎌倉へ伸びる街道である。安楽寺、大法寺の三重塔も鎌倉時代の建立だそうで、特に前山辺りはまだ鎌倉が活きているような気がした。


安楽寺の三重塔は他に例を見ない八角形をしている。最下層に裳階を持つので外見は四重に見える。八角形といえば壁と壁の間の角度は135度。鎌倉時代によくこんな複雑な構造の塔を建てたものだと感心する。
(蛇足だがGoogle mapの前山寺にポインターを移すと口コミが表示され国宝・八角三重塔があると書かれているがこれは安楽寺の間違い)

裏手の斜面が墓地になっているので失礼して入らせてもらうと塔の全体を写真に収めることができた。

 


 実はこの写真は2回目に行った時のもの。初めに行った時は写真撮影で失敗した。まだフィルムカメラが主流のときで、旅行には軽い使い捨てカメラを愛用していた。それもフィルムを自分で交換して使いまわしていた。新しいフィルムを収めて最後に本体のカバーを止めるのに使ったビニルテープがカメラ内に残っており、それがフィルムに被って肝心の写真に黒い影が入ってしまった。

 山口に戻ってからデジカメ時代になり、もう一度写真撮影にチャレンジしたくなり再訪した次第である。

三重塔巡り 国宝編(6) 妙通寺(福井・小浜市) ~ 幻の餘部鉄橋

2013-02-15 | 旅行
幻の餘部鉄橋

 小浜市は、4年前に米国大統領に初めてアフリカ系のオバマ氏が選出された時、読み名が同じということ名乗りを挙げ全国的に一躍有名になった。その後、幾度か町おこしのような活動がTVで紹介されたが、今から思えばまさにほんのひと時だったように感じられる。地元の人には悪いがよほどの人でないとわざわざここに旅する人はいないだろうと思う。

 塔巡りのマニアでもないのに、ここ小浜の妙通寺に参拝することになったのは山陰線餘部(あまるべ)鉄橋のおかげである。餘部鉄橋が老朽化のためコンクリート橋に建て替えられることになり、鉄橋の最後の雄姿を見納めておきたいと思ったからだ。

しかし餘部鉄橋もこのときの旅の付録のまた付録。
ももともとは信州旅行だったのだが、その帰りに富山に立ち寄ってみたくなった。5年ほど単身赴任で過ごした富山の三階建てアパートの社宅が、その後の事業所の縮小で入居者が少なくなり撤去することになったと聞いていたので懐かしくなったのだ。転勤で富山を離れる時いくつかの鉢植えも置いてきた。それと同時に何度か行った日本海沿いの親不知海岸も再訪したくなった。そこで遠回りになるが松本から白馬、糸魚川と抜け富山へ向かった。

そして富山に立ち寄ったあと福井に宿を取り、そのときに初めて山陰経由で帰ることに決めた。餘部もいいが天橋立も行ったことがなので立ち寄ろうと思った。まさしく行き当たりばったりの旅だ。そして妙通寺は車の助手席に座る連れ合いからの提案である。近くを通るはずだからせっかくなら行ってみようと言う。国道27号線からは少し入ることになるが行ってみることにした。
国道を外れると道は寺の参道を思わせる一本道。近くの小学校(小浜市立松永小?)の生徒らしい一団がスケッチをやっていた。この三重塔も鎌倉時代に建立されたといい風格のある良い塔であった。




 ところで餘部鉄橋の方だが、妙通寺に立ち寄った後に岸壁の母で有名な舞鶴港、天橋立などを見てのんびりしたのが災いした。十分日没までには間に合うはずだったのだが、途中の京丹後市の交差点で交通事故を起してしまい、餘部鉄橋は夕闇の中。鉄橋の下はくぐったものの橋脚の下部が薄ぼんやりと見える程度で結局鉄橋の最後の姿は見れずに終わってしまった。

それにしても山陰道は整備が悪い。山陽道のようなバイパスが殆どなくカーブの多い旧道のままである。現場は国道がY字型に分岐する長い交差点で、交差点に入る直前で左手から小さな脇道が合流する。分岐点の信号がかなり先にもあり、直前の交差点の信号を見落としたようなのである。赤信号を見落とした自分の落ち度であるのは確かだが、添付した地図を見ていただけると判るようにV字型に折れ曲がった国道174号に進行方向からの国道314号が合流する複雑な交差点なのだ。そのため交差点が広く、交差というよりは交差広場になっている。おまけに進行方向の左手には建屋があって脇道は全く見えない。

幸い双方に怪我はなかったのだが、お陰で17年間乗り続けた愛車は左前部を大破して買い換える羽目になった。標高2800m(乗鞍)から海底20m(関門トンネル)までを供し、富山の融雪剤の混じった雪解けの悪路を5年間も耐えてくれた思い出深い車であり、しかも17年間で故障という故障がほとんどなかった名車でもあった。

山陰道は沿線の鳥取、島根の両県をあわせても人口200万足らず。横浜、神戸より少ない。投資効率が悪いのは確かだが、こんな変な交差点は何とかならないものだろうか。

妙通寺がかすんでしまったが、思い出深い旅ではあった。



 

三重塔巡り 国宝編(5) ** 興福寺・三重塔

2013-02-14 | 旅行
 興福寺は国宝の五重塔が有名だが、もうひとつ三重塔がありこれも国宝に指定されている。

 奈良駅から三条通り商店街を抜けると興福寺南円堂に登る階段があり、その途中の左手方向奥手にある。高さ16mほどなのでよく気を付けていないと見落としてしまう。

何度か行くうちに初めて気付いた次第。
もともと塔マニアではないので、残念ながら写真はあまり撮っていない。しかし小振りでもやはり良いものは良い。

三重塔への入口(goo ストリートビュー引用)


三重塔











 

三重塔巡り 国宝編(4) 浄瑠璃寺(京都)

2013-02-13 | 旅行
 浄瑠璃寺は京都府の南の外れ、奈良県との県境にほど近いところにある。平成の大合併で現在は木津川市加茂町となっているが合併前は相楽郡加茂町である。

07年7月のこと、興福寺、白毫寺、新薬師寺、東大寺と回って次は京都へという時に連れ合いが浄瑠璃寺に行きたいと言い出した。
数十年前、高校生のころに堀辰雄の「大和路」でこの浄瑠璃寺のことを読んだことがあり、以来いつか一度行って見たいと思っていたという。

当方は堀辰雄で思い起せるのは「風立ちぬ」くらいで、しかも読んだことはない。高校入試のための国語の知識で本のタイトル名が入っているだけだ。一方、三度の食事より読書が好きという多読家の連れ合いは、読んだ本の内容までもよく覚えている。

奈良駅から夫人とともに2時間ほど徒歩で行ったと書いてあり、どんな道を辿って行ったのか興味があったと言う。

今「大和路」を改めて読んで見ると、堀辰雄が訪れたのはいまから70年も前の昭和16年。その当時、海竜王寺の回りですら「大和平一帯が秋の収穫を前にしていかにもふさふさと稲の穂波を打たせながら拡がっている。」とあるくらいだからかなり辺鄙なところだったに違いない。

我々は車で行く。しかもナビがある。便利にはなった。が、しかしナビに案内された道は全く記憶に残らない。
「大和路」には途中の記述はないが2時間の大和路の散策は十分楽しめただろうと思う。

ともあれ車では15分程度で着く。
落ち着いた佇まいの寺で、真ん中にある宝池を挟んで相対するように三重塔と本堂が配置されており池越しに見える風情が印象に強く残っている。

三重塔は高さ11mほどで建物自体としては小さいが、池から一段高いところに立てられているので実体よりは大きく見える。

参道


三重塔(本堂から望む)
 なぜか西方浄土を思わせる


三重塔(直近)




境内の石像群


本堂(三重塔から望む)


本堂の縁側でまどろむ猫
あまりの無警戒振りについいたずら心がわいた。手で触って驚かせたらハッと目を覚まし次に「何するんだよ」といわんばかりの眼差しで迷惑そうに場所を移してまた丸まった。猫にとってもゆったりと時間が流れていたようだった。






三重塔巡り 国宝編(3) 奈良・當麻寺(東塔/西塔)

2013-02-10 | 旅行
 葛城山系の東麓にある當麻寺(当麻寺)。"たいまでら"と呼ぶ寺名にずっと心惹かれるものがあったもののなかなか行く機会がなかった。

やっと行く気になったのは09年1月で、会社から1週間のアクティブ休暇を貰い奈良・京都を回ったときだった。

世の中には似たような人がいるもので、當麻寺から斑鳩の石舞台、橘寺などを巡って京都へ回り、京都市中から比叡山に登った時のこと、駐車場で同年輩のご夫婦が山口ナンバーの車が珍しいと声を掛けてきた。なんと福島から来て京都・奈良を回っているという。そして比叡山、京都見物をしたあと當麻寺に行く予定とのこと。我々と逆コースであった。
お互いに安全運転と旅の成功を祈りながら別れたが、福島と言えば例の震災、原発事故の被災があった。無事に過ごしておられれば幸いなのだが。

當麻寺に話を戻そう。
當麻寺は東塔と西塔の二つの三重塔がある。寺の縁起によれば東西両塔とも建立当時のもので、二つの塔が現存するのは當麻寺だけという。東西両塔ともに国宝。

當麻寺三重塔
遠景


案内板



東塔
建立は奈良時代(730年)。
回りに竹や樹木で囲まれて近くでは全体が撮れなかった。


西塔
東塔よりは建立は若干新しいがそれでも平安初期。






當麻寺仁王門


仁王門仁王像



中将姫の像


広い境内


梵鐘(日本最古:国宝)


石灯籠(重文)


本堂


牡丹(ボタン)
當麻寺はボタンでも有名。丁度ボタンの開花時期と重なった。"立てばシャクヤク、座ればボタン"は美しい女性を表現したものだが、霜除けの菰が掛けられたボタンの花は雪国でフードを被った美しい女性を見るかのようであった。






三重塔 国宝編(2)   奈良・薬師寺 遠景冴える

2013-02-07 | 旅行
 薬師寺は隣接する唐招提寺とともに少なくとも5,6回は行っているが正確な数はわからない。

 唐招提寺金堂の解体修復工事の特別公開と聞けば行き、修復完成と聞けばまた訪れる、そして今度は薬師寺東塔の解体修復工事開始に伴う特別開帳とあってまた訪れるといった訳で回数が増えていった。
 

 薬師寺は何と言っても遠景がいい。まず遠景から。

 南東側の秋篠川河畔からの遠景
  (右が国宝の東塔)




 夕暮れ時のシルエット

 西側にある大池湖畔からの遠景
 (右が国宝の東塔)

  



 三重塔について
 東塔は730年の建立で国宝、西塔は昭和59年に再建された。東西両塔があるのは他に當麻寺(たいまでら)があるがその他に見た記憶がない。おそらくこの2寺だけだろうと思う。

 東塔/西塔の両塔とも三重塔だが各階に裳階という庇があるので六重に見える。そしてそのため高さも33mあり他の三重塔を圧倒する。

 現在東塔は2018年完工予定で解体修復工事中のはずである。数年前、解体工事着工前に塔の特別ご開帳があるというので見に行った。

 
 東塔




 西塔




 ただ個人的には五重塔や三重塔はないが唐招提寺の方がいい。
薬師寺の方は西塔の再建その他設備の修復のための資金集めが必要なせいかどうも商業的な姿勢が感じられる。

 唐招提寺の千手観音が我が守護神であるせいなのかも知れないが・・・。

三重塔 国宝編(1) 奈良斑鳩・法起寺 & 法輪寺(国宝外)

2013-01-30 | 旅行
 法起寺(ほっきじ)の三重塔は706年建立と日本最古の三重塔という。

すぐ近くの法輪寺にも三重塔がある。法輪寺の三重塔の方は’44年(昭和19年)
に落雷により焼失、その後1975年(昭和50年)に再建されたとあり、現在は国宝ではないが、焼失するまではこちらの方が最古だったようだ。

しかし国宝であるなしにはかかわりなく、どちらも端正ですばらしい塔である。

 法起寺三重塔
 

 

 

 法輪寺(正面より)
  


 法起寺は法隆寺の北東約1.5kmほどのところに位置し、その中間の法起寺
寄りに法輪寺がある。天気がよければゆっくりと周辺の斑鳩路を散策するのも
お勧めである。

法輪寺入り口付近に無料の町営駐車場があるのでここに車を置いて法隆寺
中宮寺まで散策するのもいい。



 cf. 法隆寺近辺地図 

三重塔巡り 国宝編

2013-01-29 | 旅行

 国宝三重塔は13基あり、名刹・古刹を回って歩くうちに気が付けば
そのうち10基に行っていた。

【国宝三重塔リスト】(〇:行ったことがある塔。建立順。)
〇 法起寺   奈良県生駒郡斑鳩町 飛鳥時代 706年 23.9m
〇 薬師寺   奈良県奈良市    奈良時代 730年  33.6m
〇 當麻寺東塔 奈良県葛城市    奈良時代      23.2m
〇 當麻寺西塔 奈良県葛城市    平安時代      24.8m
〇 浄瑠璃寺  京都府木津川市   平安時代      16.4m
  一乗寺   兵庫県加西市    平安時代 1171年  23.0m
〇 興福寺   奈良県奈良市    鎌倉時代      16.4m
〇 明通寺   福井県小浜市    鎌倉時代 1270年  21.5m
〇 安楽寺   長野県上田市    鎌倉時代      18.8m
〇 大法寺   長野県小県郡青木村 鎌倉時代      17.8m
  常楽寺   滋賀県湖南市    室町時代      23.3m
  西明寺   滋賀県犬上郡甲良町 室町時代      23.7m
〇 向上寺   広島県尾道市    室町時代 1432年  19.0m
  13基

 残り3基は兵庫県に1基、滋賀県に2基あり、いずれもたびたび車で近く
を通っている。

 行ったことがある塔をまとめてみようと思ったきっかけはすっかり忘れ
てしまったが、こうして改めて振り返ってみると我ながらよく行っている
ものだと感心する。残り3基、いずれ行ってみようと思う。

 重文については全部で43基、うち10基を見ている。残り33基。ただ
三重塔は五重塔に比べてやはり数が多く、また所在地も関西以東など各所に
散在している。なかには辺鄙なところもある。名所・旧跡回りの一環として
の名刹・古刹巡りのなかでの塔巡りなので残念ながらなかなか全ては回れそう
にない。


 100名山登山などのように塔巡りも国宝巡り、重文巡りなどとやると
ノルマ化して負担になる。負け惜しみではないがたまたま行ったら塔があった
・・・というスタイルがやはりいいと思う。


 

五重塔 番外編(6) 深見五重塔(大分・安心院)

2013-01-27 | 旅行
 五重塔巡りを纏めたHPは多数あるが、この深見の五重塔を紹介したものは
殆どない。

 地元出身で医療用機器の製造販売会社で財をなした糸永貞樹氏という人が
米寿の記念に個人で寄進したと記念碑に記してある。
18歳で単身上京し粉骨砕身苦労のすえ医療用機器の製造販売会社で成功した
という。(「ユフ精機㈱」HPより)


 安心院(あじむ)は由布院から宇佐へ抜ける途中にあって中世に宇佐神宮の
荘園の倉院があったという歴史を感じる町である。

阿蘇の帰路、天気がいいと旧「やまなみHW」をドライブしつつ由布岳を眺め
て帰りたくなる時がある。湯布院に寄って宇佐に抜けると途中で左方向の山手
に五重塔が見え隠れする。
いつもは帰着時間を気にして素通りするのだが、昨年末初めて寄ってみた。

  
昭和58年建立、木造でモデルは京都醍醐寺の五重塔とある。
  



これほどの塔を個人で建立するとはやはり凄いと思う。

駐車場に土産物店があるが廃業しているように見える。辺りに人影も全く見か
けられない。
建立後しばらくは名所として流行ったがブームが過ぎ去ったように見受けられた。





五重塔 番外編(5) 長谷寺(奈良)

2013-01-26 | 旅行
 牡丹で有名な長谷寺。行ったのは’06年8月で時期はずれのため残念ながら
牡丹の花は見られなかった。ちなみに牡丹は當(当)麻寺でも見た。當麻寺に
ついては後日アップ予定。

 長谷寺は、奈良市の南東約30kmのところに位置する桜井市にある。このため
行く機会がなかなかなかったが、信州旅行の帰路に寄ってみた。

四日市・亀山から名阪国道に乗り、針ICで降りて長谷寺へ向かう。しかしここから
でも15kmほどもある。

長谷寺五重塔は建立が昭和29年とあり、半世紀は過ぎているが古都奈良においては
真新しい。本堂の張り出し舞台から見える姿がいい。

 本堂舞台から
 間にある木々が色づく紅葉もいいようである。
 

 五重塔入口から
 

 五重塔全体
 残念ながら樹木が邪魔してきれいに見えない
 

 五重塔下部
 

 五重塔中央部
 

 

 長谷寺参道
 

 仁王門(国宝)
 
 

 仁王門の間から下登廊を見る
 

 下登廊(重文)
 

 本堂と鐘楼(左)
  ※写真3枚からの合成
 

 愛染堂?
 


 紀貫之 故郷の桜(案内板から)
 

 一茶句碑?
 

 門前の集落から長谷寺を望む


 

五重塔 番外編(4) 浅草寺(東京)&東京の花見

2013-01-23 | 旅行
 
  



 浅草寺に行ったのは’10年の4月で桜がまさに満開の時であった。

 次男の結婚式で上京しその足で市内観光をした。会社の出張で幾度となく
上京しているものの市内観光は高校の修学旅行以来である。

そういえば次男のイベントの時は大抵何かが起こる。小学校6年の運動会で、せっかく
生徒代表で開会の挨拶をする大役を仰せつかったのに、台風による塩害で瀬戸内一帯が
1週間もの長期にわたって停電するという世紀の大事故があり、ためにせっかくの大役
もマイクなしで行う羽目になった。

この結婚式の時もそうだった。前日、朝の便で入る予定だったのだが強風で羽田空港が
閉鎖となり、午後になって封鎖解除となったものの折り返し便が入らないということで
結局最終便近くまで待機させられた。
おかげで東京でのその日の午後のスケジュールは全てキャンセル。翌日の結婚式の前に
慌しく市内を回った。

連れ合いは大学の4年間東京で過ごしているが浅草は初めて。なにやら父親から浅草は
その筋の人が多くて危険だからと足止めされていたらしい。
浅草が危険だとは聞いたことがない。多分父親の娘に対する心配性のせいだろう。

行ってみて、浅草はとにかく人が多かった。
 雷門
 

 仲見世通り(参道)
 

 影向堂
 

 本堂(改修工事のための囲い)
 

 天井絵
 




 皇居桜田門の桜
 

 千鳥ヶ淵の桜
 

 墨田公園の桜
 

 隅田川水上バスの賑わい
 順番待ちの列も長かった
 

 建設途中のスカイツリー(墨田公園から)
 


 上野公園の花見客
 

 上野公園 不忍池
 

 公園内の人波
 

 上野公園にも五重塔はあるとのこと。上野動物園の敷地内らしい。
今回多宝塔をまとめるに当たって初めて知った。

五重塔 番外編(3) 竹林寺(高知)

2013-01-22 | 旅行
 竹林寺に行ったのは昭和57年(1982年)頃と思う。次男がまだヨチヨチ
歩きの時だった。

 連れ合いが四国にはまだ行ったことがないというので土佐まで行くことに
したのである。まだ本四架橋がないころなので柳井~松山はフェリーを使った。

多分、竹林寺参拝は連れ合いの提案なのだろう。ペギー葉山の「南国土佐を後にして」で一躍有名になったはりまや橋や高地城、桂浜などを見て
浦戸湾の入り口に架かる浦戸大橋を渡ったのは記憶があるのだが、この竹林寺にどういう経路でいったのかさっぱり思い出せない。
(ネットで調べると、その浦戸大橋を渡って高知市内に戻る途中にあるので浦戸大橋
 を渡った記憶は正しかったことになる)


 竹林寺の記憶も全くない。ただ、ヨチヨチ歩きの次男が何が気に入ったのか敷石の
小石で一心に遊び始めて帰ろうとしない。終いには置いて帰るふりをして灯篭の陰に
隠れて見ていたのだが全く一人になっても遊び続けた。その可愛い姿はいまだに記憶
に残っており、折に触れ連れ合いとその話をする。もちろん、当の本人である次男は物心がつく以前のことなので覚えていない。

 ところで肝心の五重塔だが、いま写真で見ると立派な塔である。
 

 建立は1980年(昭和55年)12月なので我々が訪れたのは建立間もない時期
だったようだ。道理でネガフィルムからのスキャナー取り込みなのに鮮やかに映って
いる訳だ。
蛇足だが1986年建立と紹介したHPも多々あるがどうも誤りらしい。