農業委員会なるものご存じだろうか。
今まで存在自体を知らなかったわけではないが、まさか”かかわり合い”になるとは思いもしなかった。
昨年末に義母が亡くなり、連れ合いが不動産を相続することになった。連れ合いは二人姉妹で
義妹がすべて譲ってくれた。そのうえ、義妹は現在共同所有分となっている自分の持ち分につ
いても譲ると言ってくれた。嫁ぎ先の相続の時に兄弟間で揉めに揉めて嫌気がさしたらしい。
そこで、さっそく相続(義母の持分)と贈与(義妹の持分)の手続き(不動産登記)をおこなう
ことにした。
まず相続分の不動産登記。相続は相続人を特定するため被相続人(今回は義母)の出生から
死亡までの戸籍を集める必要がある。これはかなり厄介である。なにしろ義母の出生となると
昭和の初期。しかも実家は遠く離れた他県にある。その上その後の市町村合併で村→町→市
へと名称が変わっている。
……いろいろと、気を揉んだが……郵送で取り寄せると意外に簡単。
そして登記の手続きも比較的スムーズに完了した。
(窓口である法務局には4、5回相談に通ったが)
問題は贈与である。
不動産の一部に「地目」が”畑”として登記されたままになっているものがあった。
”畑”は相続はできるが、贈与はそのままではできないという。
70年以上も放置されたままで、今は山林となっていて場所も定かではないところなのだが
しっかり固定資産税だけは徴収され続けている。そして税務上はすでに”山林”となっ
ている。こんなところがいかにも役所仕事らしい。
ここで農地委員会が登場する。
農地委員会なるもので「地目」変更の許可を取って、法務局で地目変更の手続きが必要
があるとのこと。
そこで農地委員会に行ってみたのだが……。
まず驚いたのが職場の活気のなさ。本庁から離れた場所にあり、失礼だが”窓際”といえる
のではないかと思えるほど活気がない。市役所の他の部署と違い”客”が全く来ない。
役割から判断してそれほど"仕事”があるようには思えないのだから至極当然ではある。
続いて驚いたのが変更手続き。
申請には添付資料として現地の写真が必要ときた。写真を撮るには当然ながら現地に
行かねばならない。おまけに農業委員会の許可、法務局の地目変更の両方で現地確認
するのでその都度同行が必要とのこと。つまり都合3回も、現地に赴くことになる。
現地は山の中腹にあり標高が150m以上もある。行くというがまるで登山なのである。
おまけに農道すらはっきりせず道なき道を行くことになる。
なぜ税務上はすでに”山林”となっているのにこれほど煩雑な作業が必要なのか全く理解に
苦しむ。
おそらく、このシステムは、日本中が貧しかった時代、農地の確保は必要不可欠であり農地
が簡単に他の用途に転用できないようにするためのシステムなのだろう。
高度成長を経て今やいとも簡単に稲田や畑が潰されて宅地や道路に代わる時代である。
旧態依然のこのシステムが残り、無駄としか思えない役人が役所のあちらこちらで高給を
とりながら漫然と遊んでいるのはここに限ったことではない。忙しい忙しいと言いながら、
やらなくてもいいような無駄な仕事を作るのが役所仕事である。まったく馬鹿な話だ。
ところで現地確認の話に戻るが、現地を知る人はすでに他界してしまい、便りは地積図と
GPS機能がついたタブレットのみ。GPSを頼りに現地に行ってみると、案の定、周辺一帯は
石垣や棚地が残っていてかつて農地であったらしいことはわかるが、すべて雑木林や竹林と
化していた。農道ははっきりせず、竹林を分け入って進むと方々でイノシシがタケノコ
目当てに掘った穴があき、糞が集まったところ、つまり”糞ダマリ”もある。
”耕して天に至る”という言葉がある。当地は目の前が海、背後には山で平野部が少ない。
僅かな耕作地を急傾斜地に求めざるを得なかった事情がある。しかしこの件で昔の人は
実に働き者であったということを体感した。
行き来するだけでも大変なのに、肥料や収穫物を上げ下ろししたのだ。