忙中閑話

四季の移ろい、花鳥風月を楽しみつつ
趣味はミニチュア木工、電子工作、旅行など

片付け・整理のできない人 (part3 ADHD注意欠陥多動性症候群)

2013-11-06 | 日記
 今日で義母のゴミ屋敷化した部屋を片付け始めておよそ2週間になる。
二部屋目の片付けも10日目になった。

畳の上に置かれているもので最後となった本棚の整理をようやく終えた。
10日目にして畳全面が現れる段階にようやくたどり着いた。

この本棚はスライド棚付きの前後2段になっており、この中も多量の本、
資料で埋め尽くされていた。普通これだけあればジャンルごとくらいには
分別するものだが、絵画、旅行、植物、辞書、図鑑などが部屋同様に雑然と
している。

引き出しの中も、紙袋の中も同様なので、結局のところ局所で整理ができず
これが部屋全体に拡大しているように思える。

そしておかしなことに、箒が3本、塵取りは2個もあった。そしてゴミ袋も。
掃除の必要性は感じているようだ。だが掃除した気配はまるでない。

家人によれば、以前本か何かで読んだADHD(注意欠陥、多動性症候群)と
"症状"が似ているようだと気付き、それ以来一連の行動パターンが理解できる
ようになったと言う。

確かに「片付けられない」、「精神」のキーワードで検索するとADHDが
出てくる。見るといくつもの行動パターンが似ている。

数年前、桜見物に連れて行った時のこと、デパート駐車場に車を置いて
家人がトイレに行くというので、トイレ入口で二人で待っていた筈だったが
目を離したわずかの間にいなくなってしまったことがある。迷い人の館内放送を
してもらい、デパート中を探し回ること1時間、一人でもバスや電車で
帰ることができるだろうと探すのを諦めてデパートを出たところ入口のベンチ
に座っていた。経緯を聞くと、置いていかれたと思って一人で桜見学に
行って来たという。日頃から我がまま勝手な行動をとる人ではあるなとは思って
いたがこのときばかりはさすがに呆れてしまった。だが今考えてみると、これも
ADHDの症状の一つであるようだ。

ともあれ部屋の片付けを急ぎたい。雨漏りまでをも放置したままだったので
畳が一部腐りかけている。畳床まで傷んでいないかこれも気になる。
そのためには大きな書棚が邪魔になる。さて、壊してしまうか、それとも
バラして移動させるか・・・頭が痛い。

それにゴミの量も頭が痛い。今日は昨日までに出た書籍類を廃棄したが215
kgもあった。車のトランクに一杯となり、ヒップアップの車の後ろが大きく
沈んでしまった。







ふるさとは”遠くにありて思うもの”

2013-11-05 | 随想
 一昨昨日(さきおととい)の晩、故郷に暮らす中学時代の旧友から2年ぶりに突然
の電話が入った。昨晩開かれた筈の中学の同窓会への参加の誘いであった。

そういえば、2ヶ月ほど前に案内の往復はがきが来ていたが、逡巡している間に日が
経ってそのままになっていた。11月は紅葉の京都がいい。日がな暇な身上とはいえ
家人がいつ再訪したいと言い出すかわからない。すぐ不参加に○をしたものの、近況
を書く欄があってそこでペンが止ったままつい失念してしまっていた。

彼は中学時代、今で言う"落ちこぼれ"。当方は自慢ではないが550人はいた学年で
10位以内には入っていた。そう言う二人だったがなぜか馬が合い、休憩時間や休日
に4,5人で集ってよく遊んだ。

中学卒業後、彼は私立高校に進み地元で就職した。その後独立して、今は中国・大連
やベトナムを忙しく飛び回っていると言う。詳しくは聞いていないがアパレル関連の
仕事をやっているようで現地で工場を持っているか、或いは製造委託をやっているの
ではないかと思われる。

一方、当方は地域の進学校に進学。一浪したもののの国立一期大に進み、卒業、就職
とともに故郷を離れた。

進む道が違えば自ずと疎遠になる。家が離れていることもあって彼とは大学入学後の
正月に一度彼の家に招かれて会ったきりもう45年以上も会っていない。以来年賀状
のやり取りだけになってしまった。

よく、いくら齢を重ねても一旦昔の話をし始めるとお互い一気に昔の"いがぐり頭"に
戻ってしまうと言われる。だが、電話で30分ほど昔話をしたものの何か馴染めない。


携帯に掛かってきた第一声がいきなり「もしもし、○○(当方の下の名前)?」だっ
たが中学時代には下の名前で呼び合った記憶はない。名前を呼び捨てにされるのは
実兄くらいしかいない。

そのまま30分ほども昔話をしたが残念ながら彼が懐かしむほど懐かしさが湧いてこ
なかった。自分自身、どうもサラリーマンとして不完全燃焼した思いがあるのかまだ
前を見ているような気がする。

両親は既になくなり故郷には法事で帰省するくらいになってしまった。育った家は
兄が建て替えたので残っていないし、通った中学も廃校となったうえ分譲されて民家
が立ち並ぶ。グラウンドが校舎より一段低いところにあった筈だが均されて跡形もない。
小中学時代の通学路だった道路には立派なバイパスができて現在は側道になっている。
付近の町並みも大きく変った。

故郷はこの悪友を含めてまさに記憶の中だけの"遠くにありて思うもの"になってしま
ったようだ。

豊かさとは

2013-11-02 | 随想
 現在、義母のゴミ屋敷化した部屋の片付けを続けている。二部屋目の片付けに
入って昨日で5日目。一部屋目から通算すると既に2週間以上続けている。

この部屋は畳の6畳間だが、南北両サイドに板の間がついているので全体の広さは
9畳ほどはある。床の間もあり、もと寝室として使っていたので押入れもある。

驚くことに、まず部屋の入口のドアが殆ど開かなくなっていた。開閉式のドアの
向こう側にまでモノを投げ入れているので20度ほどしか開かないのである。

入口付近にまで積み上げられたゴミをどうにか処分し部屋に入ってみるとさらに
驚いた。殆ど畳が出ていない。

鏡台、水屋、スライド式大型本棚、テーブル、回転式ハンガー2脚、縦型収納ケース
(開閉蓋付き:ハンガータイプ)4個、薄型の衣装ケース7個、さらにカラーボックス
などで埋め尽くされている。

埋め尽くされているのは平面だけではない。
回転式ハンガーの一つはビニールカバーつきの2段式で巾、奥行きが1.5m
ほどもあり高さは2mを越す。天井に届くほどの高さである。テーブルの上もさらに
テーブルが置かれその上に衣装ケースが積み重ねられているし、本棚の上にもシーツ
やタオルケットの箱が積み上げられていてりいずれも天井に届きそうである。

つまり空間も殆ど埋め尽くされていた。

この空間に埋め尽くされた物量たるや凄まじいものである。分別をしながらなので
多少時間がかかるとはいえ、ほぼフルタイムで5日掛けてもまだ整理が終らないと
いうことがその物量の凄さを物語っている。

連日片付け作業を続けているとこの凄まじい物量を前にして「豊かさとはなんだろう?」
とつい考えてしまう。

殆どが要らないものか、要らなくなったものばかりである。無くても別に困らない。

大量生産、大量消費の時代になってモノが溢れるようになった。特に石化製品が
出回るようになってその傾向が著しい。ボールペンなどは殆ど使わないのに各家庭
に10本はあるだろう。

モノが今ほどなかった時代-例えば江戸時代-人々は果たして不幸だっただろうか。
なければないで済み、あればつい欲しくなって手に入れたくなる今の世の中の方が
不幸であるような気がしてならない。

安倍政権の言う「成長戦略」とは大量消費を勧めさらに"ゴミ"を増やそうとする政策
でもある。子育て支援、介護というサービス業や携帯ゲームのような娯楽産業だけ
では決して「成長」しない。
これ以上モノで溢れかえるのはうんざりする。リニアも要らない。
モノに溢れた生活よりも限られた資源で精神的に豊かな生活を送りたい。

でもそれでは息子達次世代の人が困るだろう。痛し痒しではある。