忙中閑話

四季の移ろい、花鳥風月を楽しみつつ
趣味はミニチュア木工、電子工作、旅行など

メロンの結実

2012-09-29 | 日記
 7月末にお中元でもらったメロンから採れた種を蒔いてみたところ一斉に発芽して
困ってしまったことがある。急遽ホームセンターで土を求め何本かの苗を大き目の鉢
に分植したがあまり成長しないまま、何株かが黄色い花をつけたものの今月なかば頃
までに全て枯れてしまった。

 ところが池のほとりに1本だけ残ったメロンはまだまだ青々としている。このメロンは池の中のオリ(アオコや飼っている金魚の糞などの沈殿物)を埋め込むために堀っ
た穴跡にひょっこり芽を出したものである。どうやらメロン分植時にまだ発芽して
いなかった種が移植コテに付いていたらしい。池の回りにメロンとはどうかとも
思ったがせっかく生えたものだからと抜かずにそのままにしておいた。
まだまだ青々としているのは根元の地中に肥料となる例のオリが大量に埋まっている
せいかも知れない。

このところ秋風が吹き始め、夜は肌寒いくらいなのだから早晩他のメロンと同じよう
にいずれ枯れてしまうだろうと見ていた。しかし昨日何気なく眺めていたらなんと蔓
の途中に小さな丸い球が見えた。確かにメロンの実だ。

ネットで調べると発芽から実が実るまで100日かかるという。だとすると、これから
更にもう1ケ月。やはり種を蒔く時期が遅すぎたようだ。が、これからどれだけ大きくなるか楽しみではある。

 

 

一升餅担ぎ

2012-09-28 | 日記
 秋の味覚 栗
 

 当地に限った慣習かも知れないが、子供の満一歳の誕生祝いに一升餅を担がせる
行事がある。"一升”を”一生”に引っ掛けて、「一生食べるのに困らないように」
との願いが込められている。一歳といえばようやく掴まり立ちができるようになった
ばかりの頃だから担がせるといってももちろん形だけのものだが、親として子供の
成長がやはり嬉しい。しかし子供にとっては迷惑千万な話で、長男は嫌がって泣いた。

今回一歳を迎えたばかりの孫を連れて長男夫婦が帰省するというのでこの「一升餅担
ぎ」の祝いをすることにした。家には20年ほど前まで使っていた餅つき機はある。
そこでもち米が要る。


 昨日、連れ合いが同居している自分の母親のことでムシャクシャするので気分を落ち
着かせるため森の緑を見に山の方へ出掛けようと言う。

我々夫婦が密かに”サティアン”と呼んでいる義母が「使っている」部屋のモノが更に
増えて酷いことになっているらしい。ここで「使っている」というのは「専用の」と
いう意味で、部屋中モノが無造作に積み上げられおまけに通路までモノで溢れかえって
いる状態なので実際には”開かずの間”と化して使えない。

六畳間のもと居室、同じく六畳間のもとアトリエの部屋、十四、五畳の床間であるもと
事務室の3部屋が次々とサティアン化した。ちょうどオウム騒動の時だったので我々は
頭に番号をつけそれぞれを”第一サティアン”、”第二サティアン”、”第三サティアン”と呼んでいる。最近福島原発を”福島サティアン”と言って顰蹙を買った三流のゴロツキ
政治家がいたが我々の方がずっと早く引用し用法も妥当といえるだろう。
それはさておき、隙間があるとそこにモノを置く、隙間がないとそこらのモノを適当に
退かしてそこに置く。驚くことに食料や調味料、洗剤類のほか、トイレタリーまでもが
無造作に混在している。以前単身赴任先で使っていた冷蔵庫や、更に息子が下宿先で使
っていた冷蔵庫までも取り込んでなにやら漬物類などの保管に使っているらしいが、通
路と思しきところまでモノを置いているので冷蔵庫に辿り着くまでが一苦労。食事は自
分で作ることはしない人で冷蔵庫2台も要らないはずなのだがとにかくモノを捨てずに
溜め込む。
あまりの汚さに何度か整理しようとしたが「要るものを捨てた」などと難癖をつけるう
え、しばらくするとせっかく整理したところが元の木阿弥になるので既に諦めた。TV
等で見たところよると、このようなごみ屋敷化状態にする人は結構多いとのこと。そし
てこういった「モノを捨てることも整理も全くできない人」、「整理ができないのにモ
ノを欲しがる人」という性癖は後天的なものではなく、脳のどこか一部の働きに欠陥が
ある一種の「病気」らしい。娘である我が連れ合いは真逆の「整理魔」で「掃除魔」か
つ「洗濯魔」。おまけに「記憶魔」であり「記録魔」でもある。親子でありながらこの
性格のあまりの違いに驚く。

話が横道に逸れたがなにはともあれ、もち米が要る。いつも使っている近くのスーパー
にはない。そこで気分転換を兼ねもち米を求めて、車で4,50分ほどの高原の農村部
へ出掛けてみた。もち米はここのスーパーで売っていた。

行ったついでに山栗も手に入れた。連れ合いの気分転換には良かったようだ。
路傍に咲いていたハギの花を取ってきて床の間に飾ってみた。
眼と舌で味わう秋に乾杯。

路傍に咲いていたハギの花

ベビーフェンス 嵩上げ

2012-09-27 | 日記
 せっかく作った2階階段のベビーフェンスだったが高さが60センチではやはり低過ぎたようだ。と、いうことで30センチ幅のスノコを買ってきて上に継ぎ足すことにした。蝶番(ちょうつがい)を取り付ける側の桟は強度的に継ぎ足すことが難しいので同じサイズの角材も併せて購入。30センチ幅のスノコは60センチのものとそう値段が違わない。予想外の出費だが取り掛かった以上は仕方がない。

買ってきたスノコを上に乗せて見ると4本の桟(垂木)の位置がきちんと合う。そこで内側2本の桟は中心に5mm径の穴をあけ丸棒でダボ継ぎすることにした。うまいことに以前買っていた6mm径のダボが手元にある。2つのダボ穴の位置を合わせるのは結構難しいものだが目印をつけて穴をあけてみると上手く合った。またこの二本のダボ継ぎだけでも結構強度がある。

蝶番を取り付ける側の桟を一本物の角材と取替え、この時取り外した桟は外側の桟の繋ぎ手の当て木として再利用することにした。こちらはビス止め。一旦ビス用の小さい穴を貫通させ、その上から大き目のドリルで途中まで穴を広げると短いビスで止めることができる。

釘止めだけだと思っていた桟がボンドでも接着してあって、外した桟に残ったボンドなどを剥ぎ取って表面を均す必要があったりして意外と時間がかかり、気がついてみると昨日、今日と半日掛かってしまった。それにフェンスと床、柱の間を適当な隙間を取るように寸法を合わせるのも結構面倒しく手間がかかる。

結局、手安く仕上げるために始めたスノコの転用だったが思ったより費用も時間も掛かった。初めから転用など考えずに角材で縦格子のフェンスを作っておけば手間もこれほどかからなかったような気がする。しかし兎も角もこれで安心。

フェンス表側



フェンス裏側

右側が蝶番側。横板の間が空いていない部分が上下の継ぎ目部分。
中2本の桟(垂木)がダボ継ぎ。左の桟は当て木をビス止め。

ベビーフェンス作り

2012-09-26 | 日記
 長男が満一歳の誕生日を迎えたばかりの孫を連れて久し振りに帰省するというので準備に忙しい。先日、車で出迎えのためチャイルドシートを購入したのに続き、今日は階段の落下防止用にフェンスを取り付けた。

息子達3人が幼い頃には出入りの大工に格子状の開閉式柵を設置してもらっていた。これはさすがに大工が作ったのでかなり丈夫で頑丈な代物だったが、末の子が幼稚園に通うようになって要らなくなったので撤去してしまい、今はその名残である蝶番のネジ穴6箇所とストッパー用の桟、そして止め金具だけが残っている。肝心の柵の方はと言うと、大工に撤去して貰った時に持って帰って貰ったと言う。ケチな自分ならどこかに取っておくのだが、我が連れ合いの方は万事において思い切りが良い。この大工も亡くなって久しい。

縦格子状の扉だと作るのが結構面倒だし材料費もかかる。なにか安くて適当な材料がないかとホームセンターを探索していたら、風呂などで使うスノコがほぼそのままで使えそうなのでこれを改造することにした。階段の間口84センチに対し長さ85センチ。蝶番のスペース約1センチと考えて板を2センチほど切ればちょうど寸法があう。両サイドの垂木を一旦外して間口の寸法に合わせて板を切ってから垂木を外側一杯に寄せて再度釘止めする。垂木に蝶番を上下2個ネジ止めし柱に取り付けた。

ところがこのスノコ、最大のもので幅60センチ。連れ合いが少し低いのではないか、以前のは腰くらいまであったと言うが、1歳の幼児なら高さ60センチほどで十分だろうと思い買って来た。しかし、帰宅してみてみると確かに蝶番のネジ穴がずいぶん高いところに残っている。さすがに毎日開け閉めしていた連れ合いの記憶は正しい。

ネットで調べると1歳児の身長は平均で75センチもあり、連れ合いが幼児は頭が重いので頭がでたら転落する虞があると脅す。やはりもう少し嵩上げする必要がありそうだ。

それにしても幼児は意外と大きいのに気づかされた。




ウォッシュレットの修理

2012-09-25 | 日記
 昨日、トイレのウォッレットがまたまた作動しなくなった。と、老妻が言う。
先日扇風機2台が相次いで首振りしなくなるという故障が起きたばかりである。人間様もあちこち相当ガタがきているが、身の回りの器具も大体20年、30年前に揃えているのでこのところ次々と故障する。

 トイレの故障はこれで4回目ほどになる。いずれも着座感知用の圧力スィッチの故障で、便座に腰掛けてもスィッチが入らない。最新式のものは赤外線感知式が主流らしいが、当家のものはなにしろ古い。まだ圧力センサー方式なのだ。

最初の故障は圧力スィッチの端子の断線で、次いで圧力スィッチ自体の故障と続く。便座の下にゴム製のクッションがありこの中に圧力スィッチが組み込まれている。

メーカーに問い合わせると、部品の供給保証期間が過ぎていて圧力スィッチはおろか便座のストックもないらしい。諦めて買い換えればいいのだが、圧力スィッチさえ直せばまだ十分使えるので修理マニアの虫が蠢く。

前回の故障の時、圧力スィッチの代わりに要らなくなったマウスのマイクロスィッチを代用して復旧した。今回はこのマイクロスィッチの接触不良らしい。リード線が銅の腐食を示す緑色に変わっているくらいだから設置環境が予想以上に悪いようだ。

新しいマイクロスィッチに取替えたあと瞬間接着剤でシールを強化し、同時に便座スイッチ故障の時でも手動で操作できるようにもう一個マイクロスィッチを並列に繋いだ。

これで当分連れ合いからの苦情は来なくて済みそうだ。




韓国について思うこと

2012-09-21 | 随想
 20年ほど前の話だが、隣国の韓国に幾度となく出張した。出張先は主に釜山や蔚山などの工業地帯だったがソウルにも本社訪問で二度ほど行った。また逆に韓国の会社からも何度か訪問がありその度に会食し友好を深めたつもりである。韓国には火山や温泉がないということで一度別府温泉に泊りがけで招待し"地獄巡り"に案内したこともある。

 当時は韓国国内での日本語の放送が禁止されているなど日韓間に多少のわだかまりが残ってはいたが、慰安婦問題は勿論、竹島問題も大きな問題ではなかった。竹島の占領が始まったのは終戦直後のことで、従って勿論当時も竹島は韓国によって不法占拠はされていたが今ほど大きく取り上げられることはなかった。慰安婦問題はここ10年ほど前からなぜか急にクローズアップされてきた問題であり、当時は一部の人に限られていたようで問題にすらなっていなかったように思う。

 付き合った韓国側の人たちは殆どがエンジニアで知識人だったこともあるが押しなべて友好的であり日本語を学んでいる人も多数いた。

福岡から釜山までは距離にして200kmほど。これは広島までとほぼ同じ距離である。あまりに近いので福岡空港(板付)からジェット機で飛ぶと上昇したと思ったらすぐ下降を始める。まるで弾道のようで水平飛行が殆どない。それほど近い。
山なみは九州のそれとどことなく似ている。太古の昔、陸続きだったことを思わせる。ただし樹木が日本ほど多くなく禿山が目立つ。オンドル(朝鮮式床暖房)の燃料か、古くはタタラ製鉄の燃料にするため大量に伐採されて以来回復しないらしい。


釜山から蔚山に抜ける途中だと思うが村落を通ると、そこはおよそ30年ほど昔の日本の田舎の生活を思わせた。土壁に囲まれた古い家屋、未舗装の道路に放し飼いの鶏などなど。


韓国人はいわゆる朝鮮人ぽい顔立ち(面長で顎が張り、目尻が少し上がった細眼)をした人に時々眼を見張るような美形の人が混ざる。ソウルの方で多く見かけた。北に行くほど北方のツングース系の血が混ざっているのではないだろうかと思ってしまう。ただ大統領までもが整形する国柄なので最近の美人は整形が多いとも聞く。

韓国で定番の焼肉、蔘鷄湯(サムゲタン)について。
焼肉は韓国ではロール状に巻いた肉をグリルの上に載せそれを広げながら適当な大きさに鋏で切って焼く。肉を予め適当な大きさに切って出す日本とはかなり違う。また食べる時に使う箸はステンレスのような金属製。そしてご飯茶碗も金属製。日本では葬儀の時しか金属製の箸を使わないのでこれには相当違和感がある。金属製のご飯茶碗も仏前の供えるものと同じでなんだかしっくりこない。金属だと汚れが落ちやすい、壊れないと合理的と言えば合理的だが…。

韓国で会食した時、焼肉を自分の箸で当方の食器に取ってくれたことがある。さすが儒教の国。ゲストへのもてなしの心…。しかし、よく見ると箸にはご飯粒やご飯糟がいっぱい………。食べないわけには行かないので眼を瞑って口に運んだ。

蔘鷄湯も韓国を代表する料理の一つ。鶏の腹を開いてもち米や朝鮮人参などを詰め、肉が溶けるほどに煮込んだ粥状の料理で、栄養価が高く、昔は病気快癒時の食べ物だったとのことらしい。鶏をまるまる一羽使うので値段も張る。これも現地で食したことがあるが、量が多いため最後の方は冷めてどろどろの状態となり腐肉のようであまり気持ちのいいものではなかった。

そういえばビビンバも、ご飯の上に肉、野菜などの具材を載せて焼き、食べる時にグシャグシャにかき混ぜてから食べる。日本でも炊き込みご飯のようなものはあるが、具材は少なくしかもせいぜい1,2種類の混ぜ込みである。どうも日本のようにご飯と惣菜を交互に口に入れ、いろいろな味の組み合わせを楽しむと言った繊細な感覚がないのではないかと思う。

原色に近いチマチョゴリ、それに対して微妙な色合いの日本の和服。これも繊細な感覚の違い。

ソウルオリンピックの時に多分ボクシングだったと思うが、判定が気に入らないといって会場の照明電源を落として真っ暗にしてしまったことがある。今回のロンドンオリンピックでも柔道会場だったか1時間もの間座り続けて抗議した選手がいる。何人か集まると輪になって踊る。悲しいことがあると失神するのではないかいうほど気が違ったかのように号泣する。
釜山でのそれに似た出来事を経験したことがある。乗ったハイヤーが突然窓を開けて交通整理員か警察官と怒鳴り合い始めた。あとで聞くと交通渋滞緩和のためナンバープレートの番号の偶数、奇数で乗り入れ制限があったが、自分は許可証を持っているので提示しているのに止められたと怒っていたらしい。とかく感情の起伏が激しく表現がストレートなようだ。


ソウルの地下道をぶらついていたら韓国語で道を聞かれたことがある。自分では典型的な日本人の顔をしていると思うがどうも韓国人と見間違えられたようだ。逆に多くの在日の人が芸能界、そして一部政界にも進出しているが、本名を名乗らない限り外見だけでは全くそれとは判からない。しかし、顔は同じようでも感性、気質は相当違うようだ。


韓国は造船、鉄鋼から始まり自動車、電子産業で日本に追いつけ追い越せで進んできた。日本も、明治以来欧米に追いつけ追い越せでやってきたが、ただ単に真似るだけでなく高張力鋼をはじめとする材料開発、液晶TVの商品化など長くて地道な開発で発展し続けてきた。スマートフォンの指で画面を繰る操作もSONYが開発した技術とのこと。
韓国の経済発展は確かに著しいものがあるが、一方では労使の利益配分、格差拡大、雇用悪化のような負の側面は日本以上に進展が早い。安売りで世界市場を席巻しても市場荒らしに過ぎず結局自分で自分の首を締めているようなもので結局は自らを苦しめる結果となる。韓国の経済成長は眼を見張るものがあるが、日本に追いついたあと果たして今の手法のままで目標を新たに設けられるのだろうか、はなはだ疑問である。


最後にまた慰安婦問題に戻る。
およそ20年前、当時の河野洋平官房長官が執拗な抗議に対して短慮的に行った「調査の結果、国が関わる組織的な強制連行といったものはなかった。しかし、民間レベルではあったかもしれないのでとりあえず謝る」といった内容の談話―いわゆる河野談話―が事実として認めたと取られ、ならば補償しろということになり、最後は被害者20万人との主張になったということらしい。

戦時中、武器・兵員はおろか食料の補給もままらず餓死戦死者が多数出たほどだから、まともに考えればこれほど多数の慰安婦達を輸送する余裕はなかったはずだし足手まといになる慰安宿をつれて転戦するすること自体不可能なことくらいはすぐに判りそうなものだが、なぜか日本人なのに女性の人権の話になると激高する女性の大学教授や国会議員までもが同調する。まさに売国行為なのだが判っていない。

仏教を始め主だった文化は古代、半島経由で日本に渡った、自分たちが教えた、自分達は兄貴分、姉貴分なのだということらしい。シルクロードの道すがらに過ぎないのだが、だから秀吉の朝鮮出兵、日韓併合がけしからんとなる。例えが悪いが、自分は気高いお姫様で、家臣である日本に手篭めにされたといったような感情らしい。元寇の時、元に脅されて先鋒隊として手先となって攻め込んできたのは自分たち半島人だったということは全く眼中にない。

日韓併合にしても、当時ロシアが南下政策で北方から急激に勢力を拡大しつつあり、もし日露戦争で日本がバルチック艦隊を撃破して勝利していなければ韓国はおろか日本までもがロシアの植民地か最悪バルト三国のようにロシアの領地に組み込まれていたに違いない。いわば日本の防衛上当然の施策でもあった。

これは欧米の植民地が資源や労働力の搾取かあるいは産業革命で生産過剰となった製品の市場確保が目的だったのに対し、鉄道の敷設、電源開発などのインフラへの社会資本の投入を行い積極的に同化政策をとったことでも判る。朝鮮には搾取するような資源はなく、また日本自体も他国に製品を売りつけるほどの工業生産力をまだ持っておらず市場を拡大する必要はなかった。この朝鮮へのインフラ整備のための膨大な投資のため大幅な出超となり当時の国家財政を相当圧迫したようだ。そしてこれら日本が整備した鉄道や水力発電所が戦後の朝鮮の発展に大きく貢献していることも全く彼らの眼中にない。ただただ被害者意識だけが強い。


一方、当時の李氏朝鮮の朝廷がどうしていたかといえば、日本でいう摂関家が何代にも亙ってシノギを削りあって権謀策術、権力闘争に明け暮れていた。一方が勝てば負けた方は子、孫、曾孫と長年一発逆転のチャンスを窺う。そんな調子だから江戸文化、上方文化のような爛熟した文化は生まれない。驚くことに王ですら文盲の人がいたという。韓国の歴史をちょっとでもかじれば現在流行している韓流の宮廷ドラマが完全なフィクションであることが判る。衣服にしても実際はあれほど雅かではなかったはずである。

また李氏朝鮮、その前の高麗にしても中国から冊封(さくほう)を受ける冊封体制を強いられた。いうなら幕藩体制の藩のようなもので自治権はあるものの有史以来長らく中国の支配を受け続けてきた。冊封体制が解かれて中国から独立したのは日本が日清戦争で清を破ったことによる。
中国の支配は朝鮮の氏名制度を見れば良く判る。韓国の姓は今は中国と同じく朴、金などの一文字だがもともとは日本のように二文字だったとのこと。そして正式に結婚しても夫婦別姓なのも中国と同じ。夫婦別姓は世界を見渡しても中国、朝鮮だけではないだろうか。長く冊封体制を強いられるなかで変えざるをえなかったのであろう。歴史認識欠如といって日本を糾弾するが、自身は自身のこんなことさえ正しく認識していないようだ。


だらだらと冗長になってしまった。そして書き続けるにつれて次第に内容が過激になってきた。
長く鎖国を続けた日韓両国だが、早くから列強の脅威に備えて富国強兵に努め、かつ維新のような時でも外国の軍隊を入れて相戦うようなことをせずに自立を守った日本に対し、清やロシアの力を頼るだけで努力を怠った韓国朝鮮。いま世界で唯一の分断国家となっているのはまさにここに原因がある。ここでいいたかったのは自国の歴史なり民族性をきちんと認識して次の発展に繋げて欲しいということである。






恐るべし! 昭和ひと桁パワー

2012-09-18 | 日記
 同居している義母は、昭和5年早生まれの御歳(おんとし)82歳。昭和ひと桁世代のちょうど真ん中の生まれで、女学校の15歳の時に太平洋戦争の終戦を迎えた世代だ。
大人になりはじめたばかりの年齢でそれまでの抑圧された全体主義体制から欧米の自由主義社会へと体制が大きく切り替わった世代である。


今日火曜日は趣味のひとつである日本画の絵画教室へ”ご出勤”の日。毎週欠かさずはるばるバスと電車を乗り継ぎ1時間半ほどかけて出かけている。膝に水が溜まっていると言って医者通いしており足が悪いはずだが、こんな時は人が変わったように至極足取りが軽い。
なんと2年半前までは自ら車を駆って通っていた。多分往復140kmはあるだろう。車は'67年製のドイツ車でマニュアルシフトの年代物であった。何度かこの車を運転したことがあるが、クラッチが重くシフトも入りにくい車であった。こんな車を運転して友人と毎日のように出かけ、一日で300km、400km走り回って帰ってきたと自慢げに話すこともあった。方々を相当走り回ったようで遠くの脇道もよく知っていた。

2年前の免許更新時に娘である家人が車の運転は年齢的に危険だからと強く説得してようやく諦めさせた。更新を諦めたのは、そのほかに40数年以上乗り続けた車自体の老朽化もある。何しろ毎月のようにそこらかしこが故障して修理に出していた。免許更新と車の寿命が重ならなければ多分今も乗り続けていただろう。

それよりもすごいのがこの絵画教室通いである。今の絵画教室は10年ほど前からだが、その前も10年以上新幹線を使って隣県にある絵画教室に毎週通っていた。いくら趣味でも新幹線を使って毎週通う人はざらにいないだろう。都合20年以上、よく続くものだと感心しながらもあきれる。

絵のほかに山野草も趣味。これもまたまたすごい。これまで万年青(オモト)、エビネ、スミレ草、椿、ユリ、バラ・・・その他なんでも手がけてきた。どうも花が綺麗だとか、姿・形がいいとかいう基準ではなさそうだ。とにかく人に自慢できるもの、人がうらやましがりそうなものが基準のようだ。そういう嗜好だからか手入れも不十分でよく枯らしてしまう。何鉢もあったはずのオモト、エビネは既に一鉢も残っていない。
おまけに、買い溜めた土や砂、植木鉢があちらこちらに無秩序に積まれたまま。家の中までもある。なかには袋が劣化して持ち上げようとするとポロポロと破れるものさえもある。

絵を描くのが趣味だから少しは綺麗にすればいいのだが、使っている3つの部屋すべてがゴミダメ状態であると同様に庭までもが密林状態で、これで本当に絵を書く人だろうかと美的感覚を疑ってしまう。

おまけに家事一切は娘である家人任せ。30年ほど前(まだ50歳半ばだった筈だが)、まだ3人の子供が小さくて育児に手が掛かる頃、あまりの身勝手さに家人がブチ切れてしまい、以来洗濯、朝・昼の食事だけは自分でするようになったらしい。聞くところによると「あなたたちの世話にはならん」と啖呵を切って自分でせざるを得なくなったようだ。もっとも朝・昼の食事は自分でするとは言ってもパンその他レンジ加熱の出来合いで済ませているいるようだが…。

普通実の母娘であれば、夕飯の準備などでは「今日は何にしようか」などと二人が会話を交わしそうなものだが、義母が台所に立つことはいまだかつてほとんどといっていいほどない。それどころか少し準備が遅れると台所へ行ったりきたり、挙句の果てには「まだかね」と催促する始末。これは30年間変わらないスタイル。一人で冷暖房の効いた自分の部屋に運び込んで食事している。家人は夏の間、暑い台所で汗だくになっている一方でこちらはどこ吹く風。若い頃に趣味で取ったという調理師の免状を持ち料理は得意のはずだが人のためになにかをするということは全く頭にない。

子供たちが帰省した時などに居間で会食すると、この時でも自分の席に座ったままで一切手伝うことはしない。まさにオヤジ状態でオヤジギャルならぬオヤジ婆。

ずぼらで部屋が散らかろうが汚れていようが全く意に介さない母親と真逆に几帳面で異常なまでに塵、ホコリ、湿気を嫌う潔癖性の娘、これで本当に親子なのだろうかと思ってしまう。

孫である我が息子がこの義母を評して息子の嫁に言った言葉は「悪い人ではないがなにしろ強烈な人」。

持って生まれた性格が大きいと思うが、終戦時に経験した学制の大転換の影響も少なからずあるのではないだろうか。
しかし昭和ひと桁も始めの方は男子の場合特攻等で多くの方々が戦死されている。昭和ひと桁といって纏めてしまうとあまりに失礼か。

台風一過

2012-09-17 | 日記
 台風16号は東シナ海を北上し朝鮮半島に抜けた。当地は暴風雨圏内に入らなかったもののかなりの強風が終日吹き荒れた。

これで14号、15号そして16号と3個の台風が連続して朝鮮半島を直撃したことになる。大体、台風が朝鮮半島に上陸するのが数年に1度のことなので今年の気象は記録的な猛暑といいやはり異常だ。14号などは(15号だったかも知れない)一旦台湾の西側へ抜けたと思いきやわざわざ進路を反転させて逆戻りしさらに北上して朝鮮半島を直撃した。

ちょうど竹島問題で日韓間に波風が立っているときでもあるので、不謹慎ではあるが、正直な話し、天も日本に味方をしているのではないかという気がしないでもない。

普段台風が直撃することがない所なので多分台風対策をあまりとっていないだろうし、それだけに被害が大きいのではないかと懸念するところである。

そういえば以前、本か何かで、"台風銀座”と呼ばれる九州のとある地方の人が東京に出て下宿を始めた時に東京人が台風に慌てふためいて驚いたと書いているのを読んだことがある。日頃の備えのある/なしで相当違うようだ。


例年なら台風一過の後は急激に秋が深まるのだが今年はどうだろうか。




チャイルドシート (購入編)

2012-09-17 | 日記
 とうとうチャイルドシートを購入した。ちょっと見てみようかと立ち寄った子供用品売り場で手頃な値段で売っていた。イタリア製。どうせ中国あたりで作らせているのだろうが一応舶来品ではある(この単語、今や完全に死語となっている)。
ただイタリア製といってもデザイン的には国産品と全く変わらない。

最初、装着が義務付けられている6歳まで使えるタイプのものを探していたら、お尻に敷くだけの座布団のようなタイプも並べて展示してあった。係員に聞いてみると、子供が成長してシートベルトが首に掛からないほどの大きさになったら椅子型のものでなくてもいいとのこと。一時ネットで購入しようかと考えたこともあったがこの手の商品はやっぱり実際に直に見て、また聞いてみるに限るようだ。

助手席の後ろの座席は日用品の買出しの時の荷物の出し入れに使うのでシートを運転席後ろの座席にセットしたら今度は運転席のリクライニングができないことがわかった。やはり、セットするのは孫が帰省した時だけであとは物置行きになりそうだ。


チャイルドシート

2012-09-16 | 日記
 来月始めに長男が、今月1歳となる孫を連れて帰省するという。なにやら7,8月仕事が多忙で休みが取れなかったので来月まとめて取ることになったらしい。

そして、遠方でもあるしまた子供も小さいので新幹線で帰省する予定だが車のチャイルドシートをどうしようかと言う。駅までの送り迎えでさえも要るらしい。要は買っておいてくれということのようだ。それはそれで可愛い孫のため、これから頻繁に帰ってくれるのであれば”お安い御用”ではある。

しかしこのチャイルドシート、ピン・キリではあるものの結構な値段がする。自身、子供を3人育てたが当時まだチャイルドシート装着は義務づけられていなかった。今なら3台で5万以上はかかるだろう。おまけに5人乗りの乗用車だと後部座席はこれだけで一杯になる。

法律で義務付けられているのでとやかくいうのは野暮というものだが、それにしてもチャイルドシートは規制するほど必要なのだろうか。子供を事故から守るにはまず第一に安全運転であり、子供が小さいと自然と安全運転となる。それが親心だろう。
さらに安全を期すなら自主的に装着する。判断は自己責任で済ませばいい話だと思う。

このチャイルドシート、国土交通省の型式認定なるものが必要らしい。認定には当然金が絡む。
新生児は概数で年100万人。車の保有率や使い回しを考慮するとチャルドシートの新規需要は10万台というところだろうか。一台2万円として20億円の市場になる。

チャイルドシートの型式認定でネットサーフしていたら独立行政法人・自動車事故対策機構などという組織名が出てきた。活動の一つにチャイルドシートアセスメント(安全性評価)があげられている。独法人ということは国交省の外郭団体らしい。当然理事長は国交省OB(元自動車交通局長)、理事3人のうち2人は国交省、警察OB。そしてH23年度の運営費交付金収益金(何やら良く判らないが要するに国からの交付金だろう)がなんと116億7千万円。

 ……

「チャイルドシート」で遊んでいたら変なところに行き着いた。
兎も角、可愛い孫のため算段することにしようか。ジジ馬鹿の贔屓眼を差し引いても本当にこの孫は可愛い。


扇風機の故障

2012-09-15 | 日記
夜風がだんだんと涼しくなり、もうしばらくでお蔵入りという時期になって
寝室で愛用している扇風機が突然首振りをしなくなった。

部屋が広いのでエアコンだけでは効きが悪く空気の循環のため扇風機がいる。
また夜中暑苦しくて目覚めた時にはタイマーで1時間ほど回してやるだけで
また眠りに就ける。こんな時リモコン付きなのでわざわざ起き上がらなくても
済み非常に便利である。

首振り機構の歯車が磨耗している可能性もあるがまずは該当部分をバラしてみた。
羽根を回すモーターの軸にネジが切ってあり、ウォームギアでモーターの回転
方向である水平方向から縦方向に変え、さらに歯車をかませて回転を減速した上で
クランク機構を使って往復運動に変えている。

背部のカバー取り外し

首振り機構が現れる

首振り機構の内部

ウォームギアと減速用ギアの二つのギアの組み合わせ。ネジがきってある横に伸びた
軸がモーターの軸で回転翼の反対側。
二個の歯車はいずれもプラスチック製である。気になっていた歯車自体は磨耗は
ない。

ウォームギア取り外し

減速用歯車が現れる。この歯車の回転が下部のクランク軸に伝わる。
過大な力が加わるとこの歯車が浮き上がってクランク軸との連結が解除され歯車が
空転する。

クランク軸(首振り機構下部)

下部に取り付けられているレバーを介して回転が往復運動に変換される仕組み。


どの扇風機もなんらかの原因で首振りがひっかかると空打ちするようになっている
が、この扇風機は二番目の歯車が僅かに浮き上がってクランク軸との連結が外れる
ようになっている。この連結部分が壊れているようだ。

連結用部品

この小さな部品が減速用歯車の下部センターに組まれている。


写真のように連結といっても高さ1mmにも満たない四角の突起がクランク軸の四角
の穴にはま(嵌)るようになっているだけのようだ。四角の突起がなくなっている。
また過大の力が加わると浮き上がるように突起の根っこ部分が台形状に加工して
ある。この四角の台形がクランク軸のすり鉢状の窪み(四角なので正確には
すり鉢ではないが)に嵌っていて回転がずれると台形部分が乗り上げて浮き上
がる仕組みだ。わずかに1cm足らずの小さな部品である。
機構的にはよくできていると言いたいがこんな力が加わる部分がプラスチック製
なのにはいつも本当に驚かされる。


どうせ使い捨て、格安品の中小メーカー製。部品の取り寄せはどだい無理だろう
とみて歯ブラシの柄を加工することにする。しかし、何せ小さな部品である。
加工しにくい。作るのにほぼ半日かかった。

四苦八苦してつくり終え、セットしてみるとなんとか首を振るようになった。
しかし…、しかし…。 そのまま使い続ければよかったのだが、うっかり首振り
解除をせずに動かしてしまい元の木阿弥。歯ブラシの柄では材料が柔らかすぎた。
ポリプロ製のようだがこれ以上硬いと加工が無理だ。

仕方ないのでビスを使い固定してしまった。半日の苦心は何だったのだろう。


期を同じくしてもう一台の扇風機も首振りしなくなった。空転の異音がする。
こちらの方はリモコンなしだが首振りの起動・停止は前面のスイッチ式。
首振り用の小さなモーターが付いていてモーターの中に組み込まれているギヤが
空転しているようだ。モーターを外して点検したいが、モーター軸に取り付けてある
クランクが特殊なネジでセットしてあり外れない。こちらは明らかに歯車の
磨耗だろう。首振りなしで使うことにする。

それにしても扇風機が2台同時に壊れるとは。30年も前の扇風機は何事もなく
今も動いている。昔の電化製品は丈夫だった。

孫娘は眠り姫 (初宮参り)

2012-09-12 | 日記
 次男のところに生まれた孫娘、早いもので誕生30日を迎えた。
初宮参りを執り行うということで、一昨昨日(さきおととい)の日曜日、嫁の
実家近くの神社まで車を飛ばして行って来た。
車で2時間ばかり、海峡を望む小高い丘の上にある由緒ある神社だ。
次男はこのために勤め先の東京からはるばるやって来た。


 到着してその旨連絡すると、宮参りの前に神社の近くの写真館で記念写真
を撮り直すという。
聞けば、前日予約していたが写真館に着く前に寝てしまい撮れなかったのだ
そうだ。記念写真撮影の時の姿が見られる、これ幸いと神社の近くの写真館
まで更に車を回す。
ところが肝心の孫娘はまたまた眠っていて全く眼を覚ます気配が見られない。

「車に乗り込む時は起きていたのに…」
と、嫁が残念がるが午後再度チャレンジすることにして宮参りを済ますこと
にする。

孫娘はと言うと、宮参りの間中も気持ちよさそうに嫁の母親に抱かれたまま
スヤスヤと眠り続けている。
祝詞の合間に太鼓が何度も敲かれて相当大きな音がするのだがこれにも全く
動じない。

宮参りの後、息子夫婦、嫁の両親を交えて6名+1名で近くの料理屋で会食。
ふぐ、伊勢えびをはじめ豪華版だ。海峡に揉まれているせいか実にうまい。
機会をくれた孫娘に感謝する。
しかし、会食の間の2時間半、この間も全く眼を覚まさない。
食事の終りごろミルクの時間にもだがこれも眠ったまま哺乳する。


「夜は家中響く大声で泣きつづけている」
と、嫁は嘆くがお陰で宮参り、会食が滞りなく済ますことができた。
「眠れば天使、起きたら悪魔」というと嫁が苦笑する。

とうとう食事が終わっても眼を覚まさないので記念写真はまたまたお預けという
ことになった。まさに眠り姫。
生後3日目に会いに行った時も眠ったままだったのでまだ眼をあけた時の
顔立ちを写真でしか見たことがない。

2週間後には遠く東京の自宅に戻ることになっている。
次男は長男と違い便り不精。しばらくの間会えないだろうと家人ともども
じっくり手足に触れておいた。

「寝る子は育つ」という。健やかな成長を切に願う。


夏の終わりに

2012-09-11 | 日記
 9月も10日を迎えるとさすがに夜風が涼しくなった。
昨晩は久しぶりに秋の虫の合唱を聞いた。今年は残暑が厳しかったせいか、
8月末に1、2匹が鳴き始めたがなかなか鳴き声が拡がらなかった。

秋の虫といえば、昨年のこと。家の中でスズムシの鳴き音がする。紛れもなく
コオロギではなく、あの鈴を振ったような独特の「りーーん、りーーん」
の鳴き声が玄関方向からする。どこで鳴いているのだろうと玄関に通じる廊下
を探って行くと鳴き声が消える。家の中の玄関付近のどこかで鳴いているのは
確かだ。

以前義母が玄関で飼っていたことがあるが、その娘である家人が虫を飼うのを
嫌がりさすがに飼うのを諦めたように見えた。玄関すぐに義母が自分の居室に
してしまったかつての応接間がある。ここが臭い。

義母はこれとは別に自分の居室、趣味の絵画を書くための部屋を確保しているの
だが、どちらも衣類、食料品、画材、その他ゴミで無秩序にあふれかえり使い物
にならなくしてしまっている。いま使っている応接間も足の踏み場がないくらい
モノが散乱している。何しろ、昼間のTV鑑賞、たまに絵を描く作業のほか食事、
睡眠と24時間この部屋で過ごす。従って、醤油、塩、胡椒などの調味料の小瓶
を始め日用品が一通り揃っているのだ。時には石油ストーブや固形燃料を使って
簡単な煮炊きもこの部屋でするらしい。


ある日都合よく何かの用事で外出したので部屋を覗いてみたが、初めは何処で
飼っているのかさっぱり判らなかった。部屋は相変わらずギョッとするほど汚い。
食べかけの菓子袋まで床に転がっている。どこで横になるのか不思議なくらいだ。

しかし、スズムシの鳴き声は確かにこの部屋の方からする。しばらく息を殺して
じっとしていると、なんと脚が折りたたみ式の小型簡易テーブルの下から聞こえる。
しかも、カブトムシ、クワガタまで飼っていた。どおりで独特の臭いがするはずだ。

・・・

秋が深まってスズムシが鳴き止むころ、庭に飼育ケースが3箱、中味そのままに
重ねて放置されていた。カブトムシは頭部と腹部がバラバラのまま。
そして飼育ケースの処分はやっと今年の梅雨の始めのころ。それも水を張った
バットに一月ほど漬けたまま放置されていた。飼育ケースが水から上がったのは
やっと梅雨が明けるころ。

驚異の仕業はこれに留まらないが、ひとまず今回はここまで。

”虫愛でる老姫”まさに恐るべし。






山椒に”モスラ” 出現

2012-09-08 | 日記


 今年天道生えの山椒を植木鉢に移植したら、一年足らずで高さ70~80cm
ほどまでに成長した。

ほぼ毎日見ているのだが、突然幹の途中に大きな”モスラ”が現れた。昔見た映画
の”モスラ”は蛾の幼虫だがこちらはアゲハチョウの幼虫らしい。それにしても
形がよく似ている。

そういえば数週間前、クロアゲハが周辺を飛び交っていた。その時の名残だろう。
幸いにもまだ蚕食被害はほとんどない。何を食べて成長したのか不思議なくらいだ。
このまま成長を観察するのもいいが、山椒がまだ小さいので駆除することにする。
ただ優しく摘まんで離れたところに移動させただけだが…。



アゲハチョウは好んで柑橘類に産卵する。山椒を含めて匂いが相当強いのだが
なぜかこれらが好みのようだ。これもDNAに組み込まれたプログラムのなせる
業か。まさにタデ食う虫も好き好き。

中国製自転車用空気入れ

2012-09-08 | 日記

 昨日、しばらく乗っていなかった自転車ででかけようとしたらタイヤが前後とも
ペシャンコになっていた。手押しの空気入れを引っ張り出して必死で押しても全く
入らない。諦めてもう一台のフート式のポンプでなんとか入れた。
フート式はストロークが短いので相当回数踏まないと入らない。汗が噴出す。

お陰で残暑厳しい中にも颯爽と風を切って…との当初の目論見は見事に外れ、
でかける前に全身汗まみれ。


この空気入れ、3年ほど前、日曜大工センターの自転車コーナーで¥400で
手に入れたもの。部品のゴムホースだけでも単品で¥300するのにこんなに

安くて大丈夫かなとも

思ったが、金属製で圧力タンクまでついており見かけはしっかりしているので
"ダメもと"で購入した。



 今日はこの空気入れの点検、補修。
空気注入口に封をしてゴムホースに圧をかけ水中に浸けてみると案の定ゴムホース
の穴あきであった。幸いにして注入具付近。多少ホースが短くなるが漏れ部分を
切除し注入具を付け替え再チェックするとまたもやエアー漏れ。今度はホースの
真ん中付近。ここで修理はギブアップ。


ホースは写真のように、穴あきではなくクラック状態。明らかにゴムの劣化による
もの。日光が当たらず。比較的温度も安定している車庫に保管しているのにわずか
3年足らずでダメになるとは。
「安かろう、悪かろう」または「安物買いの銭失い」の典型的な例。

そういえば最近、ゴム製品の品質が昔と比べて相当落ちている気がする。
輪ゴムは数ヶ月でボロボロ切れるし、パジャマのゴム紐の緩みもこのところひどい。
これも中国品のせい?