goo blog サービス終了のお知らせ 

忙中閑話

四季の移ろい、花鳥風月を楽しみつつ
趣味はミニチュア木工、電子工作、旅行など

韓国の蛮行 ~ 盗難仏像の返還差し止め

2013-02-28 | 随想
 韓国の裁判所による盗難仏像返還差し止め仮処分の判決には正直言って呆れた。

この仏像は、対馬の観音寺から韓国窃盗団によって盗まれて韓国で無事保護された「観世音菩薩坐像」で朝鮮半島の韓国のさる寺で高麗時代に製造されたことが坐像内に明記されているそうだ。

日本人の倭寇などによって不当に奪われた可能性があるので、日本側が正当な手段で得たという証明をするまで返還を差し止めるという判決になるらしい。観音寺に伝わったのは700年も前のことで伝承しか残っていないというから証明は不可能、実質的に返還はかなわないということになる。

しかし「正当な手段で出たことを証明せよ」というのは、これは全くおかしい。非常識な話である。坐像は盗まれるまでは日本のもの。それを自分のモノだから返せというのなら不当な方法で奪われたということを逆に朝鮮側が証明する必要がある。それが道理というものだ。


高麗伝来の壷を例に言うと、高麗で作られたことは判るが、いつ、そしてどんな経路で日本に伝わったかは定かでない。


もともと、李氏朝鮮は支配者に都合のよい「孝」や「忠」の考えを被支配者に植え込むために儒教を国教とし仏教を弾圧した歴史がある。このとき日本でいう明治維新での廃仏毀釈のように多くの寺院が焼かれ仏画、仏像なども打ち捨てられという。そしてこのとき打ち捨てられた仏像が日本に流れてきたという可能性の方がはるかに高い。加えるなら、日本の廃仏毀釈はその余りの愚かさに気付く人がいて直ちに改められたが朝鮮の方は近代まで続いている。

朝鮮民族は被害者意識ばかり強く、自らを、そして自らの歴史を真摯に学ぼうとしない。人は自らを学ぶことによって弱点を減らし長点を高めることができるはずなのだがそれをしない。


今回の件は朝鮮民族がいつまでたっても二流民族を抜け出せないだろうということを明らかに示した。

日本に占領され日本の敗戦により独立したと思っているが、日本が併合するまで彼らは中国の傘下にいてその中の狭い世界で権力闘争に明け暮れた。それまではあたかも独立国だったかのような感覚でいるが実は中国を宗主国とする属国。これさえも知ろうとしない。

韓国仏教は日本支配により息を吹き返したが、その間僧の妻帯化が進み、日本からの解放後に独裁者・李承晩大統領の「妻帯僧は僧侶でない」という諭旨発表によって妻帯僧と独身僧とが暴力団をそれぞれが入れて寺院の争奪戦を行ったそうだ。まさにこれは李氏朝鮮時代の中国の力に当てにした権力闘争の縮図。何も変わっていない。

まず自らをしっかり学べ。








ヒヨドリの仕業

2013-02-27 | 自然
庭に来るメジロのための餌のミカン。
ヒヨドリに横取りされないように金網製の筒に入れ、金網の前後をアルミワイヤで絡めてメジロが辛うじて入れるようにしている。メジロにとっても閉鎖空間は怖いらしいが、これならヒヨドリに横取りされずに済む。



しかし敵も去るもの、野生動物である。彼らにも熟れてたっぷり果汁を含んだミカンは野原にはないまたとないご馳走中のご馳走に違いない。生きるためにはあらゆる手段をつくす。
ただ金網の中に置いているだけだとちょっとでも嘴が届くと銜えて引き出してしまう。ヒヨドリにはかわいそうだが、仕方がないので金網の上からまっすぐなアルミワイヤでミカンを貫き下の金網まで突き刺して固定している。こうすると、メジロが入れ替わり立ち替わり出入りしても位置がずれることはない。

しかし今回はよほど山に餌が乏しかったのか、ようやく届いたミカンを引き出して皮までも齧っていた。アルミワイヤーが柔らかいとはいってもミカンの下の部分を曲げるにはかなりの力が要る。生命力に驚く。


実は日曜の夕方から体の調子が悪い。多分ノロウィルスに罹患したのだろう、激しい嘔吐が続き、この3日間まともに食事が摂れていない。特に月曜は少しの水分補給だけでほぼ絶食状態に近い。 飛ぶために余分な蓄えを体に持たない―というよりは持てない野鳥にとってはこんな病でも致命的なことなのだろうなと思い、ヒヨドリを含め野鳥に対してなお一層愛おしく感じた。

猫(野良)の超能力に脱帽

2013-02-23 | 随想
しばしば野良猫が我が家の庭を横切っていく。どうやら彼らには広い縄張りがあってパトロールしているようだ。

隣の家が一部家庭菜園にしている裏庭をそのまま抜ければ難なく抜けられるのにわざわざブロック塀を乗り越え庭を通って玄関先に抜けていく。逆のコースもある。

野草好きな義母が庭の半分を手入れもせずジャングル状態にしているので身を隠しやすいと見ているのか、あるいはそのジャングルもテリトリーの一部にしているのか、ともかく小ばかにしたように庭を抜けていく。

ただ抜けていくだけなら実害はないのだが、家人によると二階のベランダに干していた布団の上で日向ぼっこをしていたり、ベランダのサンダルの上など方々に小水をかけるなどの悪戯をするという。

何よりも20数年前のこと、ダイニングキッチンの天井で子猫の鳴き声が聞こえるので電気屋を呼んでシーリングライトを外して貰ったら、なんと天井の僅かな隙間に野良猫の巣があり子猫が数匹いたことがある。また数年前は庭の剪定に入った庭師が義母の作ったジャングルの中で猫の死骸を見つけたこともある。

近所に猫に餌を与える人がいるらしいが、近辺住民がこのような迷惑を受けていることは全く意に介さない困った人たちである。注意しても止めないそうだ。

兎も角、庭に巣でも作られたら困る。最初は見つけると追い払っていたが敵も去るもの、一旦は逃げるものの間合いを置いて立ち止まってからこちらの出方を窺っている。さらに追いかけると逃げはするが懲りずにまたやってくる。一度、車庫に逃げ込んだのでこれ幸いと閉じ込めて散々脅かしてやったのだがこれも効果がなかった。

そこで野良猫の通り抜け阻止に躍起になっている。

まず玄関の門扉の下にあった5cm余りの隙間は金網で潰した。猫は頭さえ入れば体がすり抜けられると言われ、実際に猫を追いかけたらするりとくぐり抜けたことがある。しかしこの金網はさすがに通り抜けられないようだ。

そして次はブロック塀。長さが30m以上あるので対策は難しい。少しずつ効果を見ながら猫対策を練っていくことにする。

最初は去年の秋、取って来た山栗の実を取り出した後、外側のイガを見て猫対策に利用しようと思いついた。ブロック塀の手前にちょっとした段差があるのでそこにこのイガを敷き詰めた。しかし僅かな余地を見つけてそこに脚を掛け乗り越えていく。これはあっさり失敗。
猫はお腹の皮膚が弱いのでトゲのあるものが嫌いだといい、バラを庭に植えだけで寄ってこなくなるということを聞いたが全く根拠がないようだ。家の庭にはバラが二本もある。


次は金網の自家製のトゲ。5mm穴の金網のところどころを適当に切断しワイヤを折り曲げるようにして5mmほどのトゲを一面につけた。指先で触ってみると痛い。猫も踏めばいたいはずだ。これなら効果があるだろうと踏んでいたがこれも敢え無く失敗。家人に言わせると平気でトゲの上を歩いているし、なんと毛づくろいまでしていたという。トゲを立てるのには相当時間がかかっている。ますます怒りが増してきた。


次に100¥ショップの猫対策グッズ。家人がたまたま見つけた。プラスチックのグレーチングに20mmほどのピンが立ててある。長さ50cmのものが2枚セットで100¥。ブロックの上は比較的狭いので縦に半分に切っても収まる。切ったものを一列に繋ぐと2mにもなる。まず玄関先の通り道になる塀の上に乗せてみた。これは効果があって、一度玄関先まで猫を追いたてたところ超えられないと見て慌ててひき返しそれこそ必死の形相で体の脇をすり抜けていった。通路のそばに並べている植木鉢をなぎ倒してしまった。
そこでこれをブロック塀の上にも並べてみた。まだここを超えたところを見たことがない。


ただこれはピンが目立ち見栄えはあまり良くない。それと風穴がついていないブロックは固定することが難しい。

トゲが長いと効果がありそうだと判った。そこで先の金網のトゲをさらに伸ばしてみることにした。とげの長さは10mmほどと最初より長くなった。

しかしこれは先日乗り越えて行くのを見た。

猫の手足の肉球は硬くても、指の間は柔らかでのだろうとは思うのだが意外としぶとい。多分体重も各脚均等に掛けているのだろう。あるいは我々が靴を履いているのと同じなのかもしれない。

先日、庭を玄関先の方向に平然と歩いていたので追っていくと1mほどの高さの門柱にいとも簡単に跳び上がり平然と逃げていった。

トゲの上でも平気で歩くし1m程度であれば軽くジャンプする。まるで忍者のようだ。


次は猫トラップか飛び道具による脅しかなさそう。まだまだ当分猫とのバトルは続きそう。イタチゴッコならぬネコゴッコになっている。

何よりの一番の対策は猫に餌を与えないことなのだが、猫が懐くのをいいことに近隣の迷惑が判らない手前勝手な人達である。

三重塔巡り 国宝編(7) 安楽寺(長野・上田市)

2013-02-22 | 旅行
 安楽寺があるのは長野県上田市別所温泉。上田市中心部から12kmほど南西に入る。
上田電鉄という私鉄も伸びていて、所要時間はほぼ30分。

1回目は富山に単身赴任していたおり、月一で訪れる連れ合いと松本側から入った。連れ合いが青木村という別所温泉の西隣にあるところに行けるなら行ったみたいという。なにやら本家にあった古い家系図によると遠い祖先が青木村一帯を治める真田の武将だったらしい。真田昌幸の九度山蟄居にも従った名前であるが、それがどういう経緯で大阪夏の陣を生き残り、山口に流れ着いたは定かでない。

 今の時代、出自が卑しくとも知事や市長になれる。遠い先祖がどうだったなぞ言っても全く意味がない。それに家系図そのものも後年作られたものが多い。そもそも戦国時代の武将は、各自が俺は藤原だ、源氏だ、平氏だとその時の都合で勝手に名乗っていた。

しかしこの手の話しは真偽は兎も角としてロマンを感じる。誰にも何万人、何百万人という先祖がいて30代前になると単純計算で2の30乗、つまり11億人にもなる。自分も子孫の祖先になるのだから。

そういうわけで、青木村に行くことにした。

 別所温泉の周りに古刹が多い。別所温泉には安楽寺北向観音、同じく上田市の前山には前山寺、青木村には大法寺があり、安楽寺と大法寺の三重塔は国宝、そして前山寺のは重文に指定されている。半径5kmの範囲内に国宝、重文の塔が3基あるのは多分ここだけだろうと思う。

前山寺付近には、鎌倉時代に整備された鎌倉街道の一部がまだ残っている。鎌倉で緊急事態が発生した時「いざ鎌倉」で出動できるように鎌倉へ伸びる街道である。安楽寺、大法寺の三重塔も鎌倉時代の建立だそうで、特に前山辺りはまだ鎌倉が活きているような気がした。


安楽寺の三重塔は他に例を見ない八角形をしている。最下層に裳階を持つので外見は四重に見える。八角形といえば壁と壁の間の角度は135度。鎌倉時代によくこんな複雑な構造の塔を建てたものだと感心する。
(蛇足だがGoogle mapの前山寺にポインターを移すと口コミが表示され国宝・八角三重塔があると書かれているがこれは安楽寺の間違い)

裏手の斜面が墓地になっているので失礼して入らせてもらうと塔の全体を写真に収めることができた。

 


 実はこの写真は2回目に行った時のもの。初めに行った時は写真撮影で失敗した。まだフィルムカメラが主流のときで、旅行には軽い使い捨てカメラを愛用していた。それもフィルムを自分で交換して使いまわしていた。新しいフィルムを収めて最後に本体のカバーを止めるのに使ったビニルテープがカメラ内に残っており、それがフィルムに被って肝心の写真に黒い影が入ってしまった。

 山口に戻ってからデジカメ時代になり、もう一度写真撮影にチャレンジしたくなり再訪した次第である。

今日のメジロ(5)

2013-02-22 | 自然
 餌となるミカンの在庫が切れしばらく給餌するのを怠っていたら、メジロもしばらく目にしないようになっていた。昨日、久しぶりにミカンを置いてみた。

しばらくするとツガイでやって来てつつき始めた。
いままで一羽ずつ交代でつついていたが、昨日は待ちきれなかったのか二羽が同時につつき始めた。







ヒヨドリもやってきたが、恨めしそうに眺め、クチバシが届きもしないのに金網を上から横から散々つついて直に去っていった。


山で花が咲き、蜜が吸えるようになるともう里には降りてこないだろう。今日は砂糖水を食べ終わって空になったミカンの袋に満たしてみた。


国宝級の結婚???   歌舞伎役者の人間国宝に疑問

2013-02-16 | 随想
 先日TVでニュースを見ていたら”国宝級の結婚”と銘うって歌舞伎役者・尾上菊之助の婚約会見の中継があった。

相手は同じく歌舞伎役者・中村吉衛門の四女とのことで、普通芸能ニュースは見ないですぐチャンネルを変えるのだが”国宝級の結婚”とは何だろうとしばらく見ていたら菊之助の父親である尾上菊五郎と新婦の父親である中村吉衛門が共にいわゆる人間国宝なのだそうである。

菊之助という役者は、以前姉の寺島しのぶと共演した対談風のCMを見たことがあるが、どこか眠そうな目をしているのに、それでいて整形した二重瞼のようなパッチリした輪郭の目がなにやらアンバランスで、今ふうにいえば少々「キモイ」感がしてチャンネルをすぐ切り替えた記憶がある。ほどなくしてそのCMは放映されなくなったところをみるとやはり評判があまりよくなかったのだろう。

美男、美女である菊五郎と藤司純子を両親に持つのでパーツはいいのだろうがバランスが悪いと全体がおかしくなる典型といえば言い過ぎだろうか。

婚約会見や菊之助のことはバラエティーと思って見なければそれで済む。しかし以前から少々違和感を感じていたのが歌舞伎役者の人間国宝。正式には「重要無形文化財の所有者、継承者」というそうで、歌舞伎が国の伝統芸能の一つでその継承者だという理由からだろう。彼らにとっては多分端金だろうが年間200万円の奨励金も付与されるらしい。

3歳頃から厳しい稽古を積んできたというが、それならフィギュアの浅田真央、卓球の福原愛も負けてはいまい。一流のアスリートなら厳しい節制をし激しい練習にも耐えている。ならば歌舞伎役者が人格者かと言えば、婚約会見での両方の父親のインタビューを聞いてもただの芸能人。暴力沙汰で問題を起した市川海老蔵は「自分は将来は人間国宝」だといって相手に酒を強要したと聞く。酒を飲んでいたとはいえこれが多くの歌舞伎役者の本音であろう。そして若気の至りというか「隠し子」を持つ者も何人かいる。

そもそも歌舞伎が伝統芸能だというが果たしてそうだろうか。そもそもは戦国時代の「出雲の阿国(おくに)」が発祥で「」と蔑まれ、時にはいかがわしい商売もしたのではないだろうか。それが他に娯楽の少ない江戸時代に大衆芸能として受け継がれ現代に至っている。はでなクマドリの化粧、あでやかな衣装に大掛かりな舞台装置、囃子に謡曲、これらがミックスし日本特有のものとして一部の外人に受けているだけのようにしか思えない。

それに比べて仏像や建築物などの国宝などは理解できる。なんと言っても歴史あるモノには時間という広がりがあり、先人達の影が感じ取られるからだろう。

三重塔巡り 国宝編(6) 妙通寺(福井・小浜市) ~ 幻の餘部鉄橋

2013-02-15 | 旅行
幻の餘部鉄橋

 小浜市は、4年前に米国大統領に初めてアフリカ系のオバマ氏が選出された時、読み名が同じということ名乗りを挙げ全国的に一躍有名になった。その後、幾度か町おこしのような活動がTVで紹介されたが、今から思えばまさにほんのひと時だったように感じられる。地元の人には悪いがよほどの人でないとわざわざここに旅する人はいないだろうと思う。

 塔巡りのマニアでもないのに、ここ小浜の妙通寺に参拝することになったのは山陰線餘部(あまるべ)鉄橋のおかげである。餘部鉄橋が老朽化のためコンクリート橋に建て替えられることになり、鉄橋の最後の雄姿を見納めておきたいと思ったからだ。

しかし餘部鉄橋もこのときの旅の付録のまた付録。
ももともとは信州旅行だったのだが、その帰りに富山に立ち寄ってみたくなった。5年ほど単身赴任で過ごした富山の三階建てアパートの社宅が、その後の事業所の縮小で入居者が少なくなり撤去することになったと聞いていたので懐かしくなったのだ。転勤で富山を離れる時いくつかの鉢植えも置いてきた。それと同時に何度か行った日本海沿いの親不知海岸も再訪したくなった。そこで遠回りになるが松本から白馬、糸魚川と抜け富山へ向かった。

そして富山に立ち寄ったあと福井に宿を取り、そのときに初めて山陰経由で帰ることに決めた。餘部もいいが天橋立も行ったことがなので立ち寄ろうと思った。まさしく行き当たりばったりの旅だ。そして妙通寺は車の助手席に座る連れ合いからの提案である。近くを通るはずだからせっかくなら行ってみようと言う。国道27号線からは少し入ることになるが行ってみることにした。
国道を外れると道は寺の参道を思わせる一本道。近くの小学校(小浜市立松永小?)の生徒らしい一団がスケッチをやっていた。この三重塔も鎌倉時代に建立されたといい風格のある良い塔であった。




 ところで餘部鉄橋の方だが、妙通寺に立ち寄った後に岸壁の母で有名な舞鶴港、天橋立などを見てのんびりしたのが災いした。十分日没までには間に合うはずだったのだが、途中の京丹後市の交差点で交通事故を起してしまい、餘部鉄橋は夕闇の中。鉄橋の下はくぐったものの橋脚の下部が薄ぼんやりと見える程度で結局鉄橋の最後の姿は見れずに終わってしまった。

それにしても山陰道は整備が悪い。山陽道のようなバイパスが殆どなくカーブの多い旧道のままである。現場は国道がY字型に分岐する長い交差点で、交差点に入る直前で左手から小さな脇道が合流する。分岐点の信号がかなり先にもあり、直前の交差点の信号を見落としたようなのである。赤信号を見落とした自分の落ち度であるのは確かだが、添付した地図を見ていただけると判るようにV字型に折れ曲がった国道174号に進行方向からの国道314号が合流する複雑な交差点なのだ。そのため交差点が広く、交差というよりは交差広場になっている。おまけに進行方向の左手には建屋があって脇道は全く見えない。

幸い双方に怪我はなかったのだが、お陰で17年間乗り続けた愛車は左前部を大破して買い換える羽目になった。標高2800m(乗鞍)から海底20m(関門トンネル)までを供し、富山の融雪剤の混じった雪解けの悪路を5年間も耐えてくれた思い出深い車であり、しかも17年間で故障という故障がほとんどなかった名車でもあった。

山陰道は沿線の鳥取、島根の両県をあわせても人口200万足らず。横浜、神戸より少ない。投資効率が悪いのは確かだが、こんな変な交差点は何とかならないものだろうか。

妙通寺がかすんでしまったが、思い出深い旅ではあった。



 

三重塔巡り 国宝編(5) ** 興福寺・三重塔

2013-02-14 | 旅行
 興福寺は国宝の五重塔が有名だが、もうひとつ三重塔がありこれも国宝に指定されている。

 奈良駅から三条通り商店街を抜けると興福寺南円堂に登る階段があり、その途中の左手方向奥手にある。高さ16mほどなのでよく気を付けていないと見落としてしまう。

何度か行くうちに初めて気付いた次第。
もともと塔マニアではないので、残念ながら写真はあまり撮っていない。しかし小振りでもやはり良いものは良い。

三重塔への入口(goo ストリートビュー引用)


三重塔











 

今日のメジロ

2013-02-14 | 自然
 毎年年が明けたころから何処からともなくメジロがやってきて、庭の植木に半割りした小ミカンを刺しているとつついて行く。

遠くから写真を撮っていたがなかなか良いのが撮れない。そこで窓そばに植わっているバラの小枝にミカンを刺してみた。三脚を窓ガラスに寄せるとガラス越しではあるが餌のミカンまでは1mほどだ。

レースのカーテンに隠れ、カメラや三脚の前面を新聞でカモフラージュして観察しているとすぐに警戒しながらもメジロがやって来てミカンを啄ばみ始めた。


しかし、メジロより体の一回り大きなヒヨドリもすぐにやって来てメジロを追い払いミカンを二口、三口で食べてしまう。ヒヨドリには悪いが、やはりメジロが可愛くていい。これでは全くメジロの観察にはならない。

そこでミカンを円筒状の金網で覆い、入り口を茶色のアルミワイヤーを絡めてヒヨドリが入れないようにした。カメラ側は撮影のため開放にした。窓に近いのでこちら側には来ないだろうという期待と逃げ場をつけていた方がメジロも入りやすいだろうという配慮もあった。しかし、敵もさるもの。最初は戸惑っていたもののすぐに気付いてカメラ側に回ってすぐに食べてしまう。


そこでやむなくカメラ側の開放口にもアルミワイヤーでスリット状の格子を入れてみた。


しかしこれも殆どヒヨドリには効果がなくあえなく失敗。アルミが柔らかなせいもあるのだろう、メジロが通れるくらいの隙間なら無理にでも首を突っ込む。


次の手段はスリット状の格子を金網状にして更に狭くすること。これにはさすがのヒヨドリも戸惑った様子。金網の周りを横から、下から、上からと動き回りどこかに隙間がないか探す。
(奥のモミジの枝に、ツガイのヒヨドリが止まって見守る:最初の写真の円内)





ミカンを啄ばむメジロとおとなしく次の順番を待つメジロ。


食べ終わったメジロが向かいのモミジの小枝で待つ(円内)。嘴に付いた食べかすを拭うかのように、さかんに嘴の左右を枝に擦りつける。まるで人が食後に爪楊枝を使うのと同じ。


しかし、この網目でも僅かの隙間を見つけてヒヨドリが横取りしてしまった。ヒヨも生きるため必死。全く油断がならない。そこでさらに網目が細くする。




さすがにヒヨドリは近寄れないようだ。近くのモミジの枝に留まって口惜しそうに眺めて時折甲高い鳴き声をあげる。

でもメジロは袋ごと食べてしまうようなことはしない。メジロの食べ残しはヒヨドリのもとへ行く。








三重塔巡り 国宝編(4) 浄瑠璃寺(京都)

2013-02-13 | 旅行
 浄瑠璃寺は京都府の南の外れ、奈良県との県境にほど近いところにある。平成の大合併で現在は木津川市加茂町となっているが合併前は相楽郡加茂町である。

07年7月のこと、興福寺、白毫寺、新薬師寺、東大寺と回って次は京都へという時に連れ合いが浄瑠璃寺に行きたいと言い出した。
数十年前、高校生のころに堀辰雄の「大和路」でこの浄瑠璃寺のことを読んだことがあり、以来いつか一度行って見たいと思っていたという。

当方は堀辰雄で思い起せるのは「風立ちぬ」くらいで、しかも読んだことはない。高校入試のための国語の知識で本のタイトル名が入っているだけだ。一方、三度の食事より読書が好きという多読家の連れ合いは、読んだ本の内容までもよく覚えている。

奈良駅から夫人とともに2時間ほど徒歩で行ったと書いてあり、どんな道を辿って行ったのか興味があったと言う。

今「大和路」を改めて読んで見ると、堀辰雄が訪れたのはいまから70年も前の昭和16年。その当時、海竜王寺の回りですら「大和平一帯が秋の収穫を前にしていかにもふさふさと稲の穂波を打たせながら拡がっている。」とあるくらいだからかなり辺鄙なところだったに違いない。

我々は車で行く。しかもナビがある。便利にはなった。が、しかしナビに案内された道は全く記憶に残らない。
「大和路」には途中の記述はないが2時間の大和路の散策は十分楽しめただろうと思う。

ともあれ車では15分程度で着く。
落ち着いた佇まいの寺で、真ん中にある宝池を挟んで相対するように三重塔と本堂が配置されており池越しに見える風情が印象に強く残っている。

三重塔は高さ11mほどで建物自体としては小さいが、池から一段高いところに立てられているので実体よりは大きく見える。

参道


三重塔(本堂から望む)
 なぜか西方浄土を思わせる


三重塔(直近)




境内の石像群


本堂(三重塔から望む)


本堂の縁側でまどろむ猫
あまりの無警戒振りについいたずら心がわいた。手で触って驚かせたらハッと目を覚まし次に「何するんだよ」といわんばかりの眼差しで迷惑そうに場所を移してまた丸まった。猫にとってもゆったりと時間が流れていたようだった。






三重塔巡り 国宝編(3) 奈良・當麻寺(東塔/西塔)

2013-02-10 | 旅行
 葛城山系の東麓にある當麻寺(当麻寺)。"たいまでら"と呼ぶ寺名にずっと心惹かれるものがあったもののなかなか行く機会がなかった。

やっと行く気になったのは09年1月で、会社から1週間のアクティブ休暇を貰い奈良・京都を回ったときだった。

世の中には似たような人がいるもので、當麻寺から斑鳩の石舞台、橘寺などを巡って京都へ回り、京都市中から比叡山に登った時のこと、駐車場で同年輩のご夫婦が山口ナンバーの車が珍しいと声を掛けてきた。なんと福島から来て京都・奈良を回っているという。そして比叡山、京都見物をしたあと當麻寺に行く予定とのこと。我々と逆コースであった。
お互いに安全運転と旅の成功を祈りながら別れたが、福島と言えば例の震災、原発事故の被災があった。無事に過ごしておられれば幸いなのだが。

當麻寺に話を戻そう。
當麻寺は東塔と西塔の二つの三重塔がある。寺の縁起によれば東西両塔とも建立当時のもので、二つの塔が現存するのは當麻寺だけという。東西両塔ともに国宝。

當麻寺三重塔
遠景


案内板



東塔
建立は奈良時代(730年)。
回りに竹や樹木で囲まれて近くでは全体が撮れなかった。


西塔
東塔よりは建立は若干新しいがそれでも平安初期。






當麻寺仁王門


仁王門仁王像



中将姫の像


広い境内


梵鐘(日本最古:国宝)


石灯籠(重文)


本堂


牡丹(ボタン)
當麻寺はボタンでも有名。丁度ボタンの開花時期と重なった。"立てばシャクヤク、座ればボタン"は美しい女性を表現したものだが、霜除けの菰が掛けられたボタンの花は雪国でフードを被った美しい女性を見るかのようであった。






三重塔 国宝編(2)   奈良・薬師寺 遠景冴える

2013-02-07 | 旅行
 薬師寺は隣接する唐招提寺とともに少なくとも5,6回は行っているが正確な数はわからない。

 唐招提寺金堂の解体修復工事の特別公開と聞けば行き、修復完成と聞けばまた訪れる、そして今度は薬師寺東塔の解体修復工事開始に伴う特別開帳とあってまた訪れるといった訳で回数が増えていった。
 

 薬師寺は何と言っても遠景がいい。まず遠景から。

 南東側の秋篠川河畔からの遠景
  (右が国宝の東塔)




 夕暮れ時のシルエット

 西側にある大池湖畔からの遠景
 (右が国宝の東塔)

  



 三重塔について
 東塔は730年の建立で国宝、西塔は昭和59年に再建された。東西両塔があるのは他に當麻寺(たいまでら)があるがその他に見た記憶がない。おそらくこの2寺だけだろうと思う。

 東塔/西塔の両塔とも三重塔だが各階に裳階という庇があるので六重に見える。そしてそのため高さも33mあり他の三重塔を圧倒する。

 現在東塔は2018年完工予定で解体修復工事中のはずである。数年前、解体工事着工前に塔の特別ご開帳があるというので見に行った。

 
 東塔




 西塔




 ただ個人的には五重塔や三重塔はないが唐招提寺の方がいい。
薬師寺の方は西塔の再建その他設備の修復のための資金集めが必要なせいかどうも商業的な姿勢が感じられる。

 唐招提寺の千手観音が我が守護神であるせいなのかも知れないが・・・。

庭に訪れる野鳥

2013-02-04 | 自然
 毎日メジロがやって来て枝に刺したミカンを来て啄ばんでゆく。

メジロ以外にもしばしば野鳥がやってくるが動きが激しくなかなかカメラに収めることができない。

今日はメジロ以外の野鳥について。

驚かさないように隠し撮り(隠れ撮り?)するには骨が折れる。
10倍ズームが効くビデオカメラで撮るのだが、焦点や明るさを合わせるのに手間取ってシャッターチャンスをなくしてしまうことが再々ある。

一眼レフカメラで望遠レンズも持っているのだが何しろフィルム式カメラ。デジタルカメラで従来機のレンズが使えるのが欲しいのだが、野鳥を撮るだけでは勿体無い。しかも一眼だと重く使いにくいし・・・。というわけでどうしてもフォーカスが甘い。



ヤマガラ



シジュウカラ


アオジ




 




今日のメジロ  "ヒヨドリ対策"の改良

2013-02-03 | 自然
 前日ヒヨドリが近寄れないよう餌のミカンを円筒の金網で囲った。最初は効果があるように見られたが最終的にはやはり餌を食い荒らされてしまった。

 そこで今回は筒の開放口の片方をアルミワイヤーを縦横に組み合わせてメジロだけがくぐれるほどの隙間をあけておいた。(カメラ側は撮影の邪魔になるので開放のまま)

 最初は警戒気味ではあったがすぐに慣れて入ってきた。しかしやはり以前より落ち着きがない。せわしなく食べてそそくさに飛び去っていく感じ。


 

 

 

 


 もう一つどうぞ。
脚を伸ばした姿勢で脚の上肢部分もはっきりと見える。上肢部分は羽毛で覆われ丁度“股引"を穿いているかのように見える。 

今日のメジロ

2013-02-01 | 自然
 毎日、メジロとともにヒヨドリがやってくる。メジロとほぼ同時に現れることが多い。

どうも、ヒヨドリは体が大きい割には臆病でメジロを”見張り役”あるいは”斥候”として利用しているようにみえる。そしてメジロがしばらく餌をつつくとヒヨドリがやってきて大きな体でごっそり食べてしまう。

 そこで昨日、ヒヨドリから横取りされないように餌の周りをステンレス金網の円筒で囲ってみた。


メジロは見慣れない状況に最初はちょっと躊躇したが、すぐ中に入り啄ばみ始めた。











 次にやってきた、ヒヨドリ。一度そばに寄って来たがすぐに飛び去った。


効果があったかと思ったのは全くの誤解。しばらく放置していたら餌のミカンを引き落としてしまっていた。ヒヨドリを防止するにはもう少し金網の筒を長くする必要がありそう。



 メジロはいい。ミカンの袋を残したままにすると鋭い嘴で少しづつで食い破り啄ばむ。袋を残すなどとは少し意地悪かもしれないが多少は努力してもらわなくては・・・。