体脂肪マン的個人日記

モニターに向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくるBlogです。 

講演後

2008-03-30 21:37:45 | Weblog
学会参加に際し、カバンに密かに忍ばせていた物。

それは、2003年のワールドカップのレプリカジャージ。

このジャージに大畑選手のサインをもらいたい!!とミーハーな私は思っていた。


学会の聴講の関係で無理そうだったら諦めようと思っていたのだが・・・。


























もう、これは我が家の家宝です。


第1回ラグビー学会大会(大畑選手の特別講演聴講記)

2008-03-30 21:33:02 | Weblog



先の記事でダラダラと書いた、今日、私が母校へ出向いた理由はこれ。



「第1回ラグビー学会大会」の聴講です。


記念すべき第1回大会が母校で行われたというのも聴講の動機ですが、大畑選手の特別講演をどうしても聴きたかったから・・・。


メンタルをいかに強化するべきか?ということに興味がある私。

2度のアキレス腱断裂、しかも2度目は2007年W杯直前の試合。
普通だったら心が折れても誰も何にも言わないような状況。
いかにして、大畑選手はこの状況を乗り越え現役続行を決意したのか?
メディアからの情報はいろいろと聞いていたのだが、どうしても生で聞いてみたい。

大畑選手の講演の演題は「ワールドカップを振り返って」。
Jスポーツでお馴染みの村上さんがインタビュアーとして一緒に登場されるそうなので、講演の最中にそのことに触れられなければ、質問の機会を待ってぜひ聞いてみようと思っていた。

最近、メンタル・タフネスの重要性を身に染みて感じており、今後のためにもぜひ聞いておきたいと思っていた。


ここまでダラダラと書いたが、参加してとても良かった。

大畑選手の講演は、大半がアキレス腱断裂とそこからの復活に絡んだ話。
私が質問コーナーを待つまでもなく、インタビュアーの村上さんがうまい具合に私の聞きたいところを聞いてくれる。

まぁ、私が聞きたいと言うより、、みんなが聞きたいというのが正しいだろうが・・・。


1時間の講演はあっという間に終わる。



現在の大畑選手の状況は、軽く走り始めたりした感じで我慢することを心掛けてトレーニングをしているとのこと。
日本代表のPR(講演では達吉の名前が出ていた。)程度には走れるとのこと。
復帰に関してかいつまんで要旨を書くと、
「9月には間に合う。いや、間に合わせる。
そこまで引っ張ると皆に忘れられる。
日本でやる以上、『桜』のジャージを目指す。」
とのこと。




印象に残った言葉はいろいろある。
一言一句、正確に書き連ねる自信はないが、要旨は間違っていないと思うのでいかに書くと・・・。


「カナダ戦の引き分けの試合をTVで見て、現場にいれなかったことが悔しかった。
W杯直前で怪我をして日本に帰ってきたが、代表の試合を見て悔しさを感じれるのならば、まだ現役でやれる。やる以上は「桜」のジャージを目指す。」


「トライというのは、色々な人が痛い思いをして繋いでくれたボールをゴールへ運ぶこと。
僕にとっての仕事。フッカーがラインアウトでスロアーをするのと同じ。
チームメイトから、ボールを運ぶ役割を任せてくれた信頼を勝ち得たことと、その信頼に応えられたことが誇り。」


講演後の質問コーナーで怪我をしたことについて後悔はないか?との問いに対し
「怪我をしたことに対し、医師の言うことを聞かずに自分が(無理なリハビリを)やったことに後悔はない。
守りに入ると先に進めないし、自分がやると決めた以上、人にいろいろ言われたくなかった。
自分としてはやって後悔する事はないし、それよりやらないで後悔することの方が嫌だ。」




大畑選手は自分のことを古いタイプの人間と話しており、昔風に言うと、

「気合いやッ!!」

という掛け声ですまされるような話も多かった気がする。



だけど、今の僕はここにすごく共感するのね。

精神力(=気の持ち方)だけで全てを語ることはできないし、それだけで全てのことを成し遂げることは出来ないのですが、全ての事のベースになっていると思うから・・・。





体脂肪マン、母校へ帰る ⑤

2008-03-30 20:46:11 | Weblog
グランドを後にし、体育館方向へ廻ってみる。

このへんもすっかり変わっている。




体育館付近を通りかかったときに応援団が練習をしていた。
あまりに懐かしくて、雨が降っているにもかかわらずしばらく見ていた。

すると、やってくれたんです。

「関大マグマ」

千里が生んだ。勝利は関大♪

小雨がパラついていたんだけど、メチャメチャ懐かしくてしばらく見ていた。

数人での練習だってけれど、「関大マグマ」をアカペラでフルコーラス。

最後まで聞いて、思わず拍手。

一礼してくれた応援団に感謝です。


で、先も書いた旧生協跡地をショートカットして、第一グランドへ。



研究をほっぱらかして研究室のメンバーとソフトボールの試合に明け暮れた日々も今では良い想い出。

総合図書館のガラス窓直撃の大ホームランをかっ飛ばした場所も今では、天然芝が張られた憩いの場に・・・。



この周辺に建っている建物もすっかり様子が変わっている。

変わっていなかったのはこれ。



正門から文学部・法学部へ向かう道の桜並木。

あと数日もすれば、新入生がここを希望に胸ふくらませて歩いてくるんだろうな。





体脂肪マン、母校へ帰る ④

2008-03-30 20:31:39 | Weblog
私が3年間通った研究棟は当時のまま残っていた。



当時、世話になった恩師や、同級で今は准教授の友達はいてるかな?と思ったがさすがに日曜日にはいなかった。

当時、講義を受けていた教師にも入ったみたかったが、施錠がされていてNG。
学生への連絡掲示板までしか入れませんでした。



当時、私が眺めていた掲示板がこれ。

今では休講情報も、下の端末で見られるようだ。




で、工学部(当時)に面しているグランドに行ってみる。
このグランドで、工学部ラグビー部が練習をしているのを結構見てた。
昔は、今のような人工芝ではなくて本当の芝だったけど。




ちなみに、私の芝でのラグビーデビューはここ。
体育の授業です。
当時は土のグランドが当たり前だったから・・・。










体脂肪マン、母校へ帰る ③

2008-03-30 20:19:52 | Weblog


昔の面影を全く遺していない正門。




総合図書館は昔のまま。
春の風物詩、部活の勧誘看板も懐かしい。




で、しばらく歩くと・・・。


6年間、飯を食った生協食堂がない。
噂には聞いていたが、何の跡形も無くなくなっている。


で、これが新生協。


あいにく春休み中で休み。
入ってみたかった。



体脂肪マン、母校へ帰る ②

2008-03-30 19:50:53 | Weblog


そうこうしているうちに目的地到着。

駅近辺のこの店は健在でした。



実はこの店、私の雀荘デビュー店です。

時間単価が高いので、1回しか行きませんでしたが、ここでのデビュー戦でバカづきしたのを自分の実力と勘違いしたのが、堕落への始まりでした。





で、しばらく行くと「キャベツハウス」もまだ健在。

ここで学校帰りに「ミニモダン」をよく買った。
ミニモダンってのは、普通のモダン焼きを6等分してもんで、それをアルミホイルに包んで売ってくれるんだけど、これが学校帰りの空きっ腹にはすごく美味いのよ。
店の手前からソースの焼ける匂いとかがしてきて、もう買わずにはいられないって感じです。
100円ってのも魅力的でした。

で、私が15ゲ-ム耐久ボーリングをした「フタバボウル」の健在ぶりに安心してたのもつかの間、大学前の通りは私が通っていた当時の店が残っていることが不思議なくらい変わっている。





ここから大学正門までの数100mまでの距離に、インド料理屋がなんで2件もあるんじゃ?って感じです。




リクルート時期の御用達、「CAPE COD」はまだ健在。
当時、大学周辺で一番高い料理はこの店のステーキ。
私もリクルーターで大学へ来た時は、後輩をここへ連れてきました。
目の玉が飛び出るほどの請求書をもらい、上司から
「よっぽどええ学生を連れてきてくれんねやろなぁ」
って嫌味を言われたのは今でも覚えてます。

もちろん私はこの年でリクルーターをクビです。












体脂肪マン、母校へ帰る ①

2008-03-30 19:23:52 | Weblog
とある事情で、母校へ行って来ました。



朝、スイミングの春期講習に出かける家族に目もくれず出発の準備をする私。

「どこ行くん?」って聞かれたので、「大学へ勉強に・・・。」とかわす。


北浜到着。


ここで電車を降りるのは何年振りだろう。
地下鉄の北浜へ来てビックリ。

改札が・・・


私が大学へ通っていた頃の改札が無くなっている。
正確には場所が変わっていると言うべきか・・・。

昔なら、京阪の北浜からダッシュで地下鉄へ向かい、階段を下りたらそこに改札があり、その改札をくぐればホームへ一直線だったのに・・・。
今はそんな真似できません。


で、ホームへ降りると「銀電車」が・・・。
「天神橋筋六丁目」行きだったのですが、昔の「銀電車」と違う。

エアコン完備です。

昔は扇風機(送風機)だったのに・・・




で、次に来た「北千里行き」に乗車。


天六までの地下を過ぎ、柴島(「しばじま」と読みません。こう書いて「くにじま」と読みます。)手前で地上へ。

この時期に見頃になる柴島浄水場の桜は満開。
もうこの景色を見た時点で懐かしさ全快。
だって、6年も通ったからねぇ。

「淡路」手前で信号待ち。

これも懐かしい。


「淡路」は京都線と千里線が交差する駅なので、けっこう待たされるんですよねぇ。
講義や試験の時間にギリギリで急いでいる時は、怒ってもしゃぁないのにいらついてたなぁ。

車窓から見る「淡路」周辺の景色は相変わらず雑然としていたが、昔の店は結構無くなっていた。

「淡路」到着で、連絡待ち。


京都線の電車を待つんですが、当時の私をいらつかせたのは、
「こっちの電車が早く「淡路」に着いたのに、なんで京都線の電車の方が先の発車すんねん!!」
ってこと。

相変わらず今日もそうでした。
昔のまんまです。

ここで5分はロスるんよねぇ。