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チラシの裏

ミステリ界のジョンとポール

2020年08月11日 | Eクイーン
クイーン「フォックス家の殺人」「十日間の不思議」の新訳が出るそうです。
ハヤカワの公式twitterより
https://twitter.com/Hayakawashobo/status/1250345731505786883

「フォックス家の殺人」は前作「厄災の町」とカップリングで、アナログシングルならば両A面、と言いたいところ。
「フォックス家」を読むなら先に「厄災の町」を読むべし。
で、「厄災の町」が戦後のクイーンの新境地、と言われるならば、
それを体感するために初期クイーンを読んでおくべし、と無責任に書いてみたいです。

不思議なことに「厄災の町」と「フォックス家」が発表されたあいだには、「靴にすむ老婆」が挟まっているんですね。
「靴に棲む老婆」は「生者と死者と」と言わないとダメなロートルファンですが、
これはクリスティ「そして誰もいなくなった」の先を越された末のお蔵出しなので、
本当は「厄災の町」―「フォックス家」と続くようです。

「フォックス家の殺人」で一番びっくりするのは、
巻末に著者クイーンによるでっかい「言い訳」が載っていることです。
プロット設計段階で対話があれば、こんなことにはならなかったはずなので、
この時期両クイーンはあまりコミュニケーションを取っていなかったのでは?
リーが書いた原稿を読んだダネイはびっくり、プロットの大穴を見つけたはいいが、
書き直す時間がなくてあんな言い訳を載せざるを得なかったのでは。

あくまで妄想ですが、「厄災の町」「フォックス家」はリー主導の作品であり、
その革新性に触発されたダネイが突きつけたのが「十日間の不思議」ではなかったか。
このあたり、どっちが何を書いたのか、というつ鍔迫り合いは、
ビートルズの曲でジョンとポールが互いに「あれは俺が書いた」と牽制しあっている姿を連想します。

作品はダネイかリーかどちらかが主導権を握って書いていると思えるのですが、
「九尾の猫」だけは、互いに100パーセントの力でガチ勝負をしているように思えます。
プロットの独創性(不特定多数の被害者と容疑者)とキャラクター描写の深度(市井のモブキャラや刑事までちゃんと描いている)は、
ダネイとリーが互いの得物で丁々発止した跡がたしかに読み取れます。
惜しいことに、これ以降はリーがダネイに下った感があること。
戦後クイーンの進化を体感したいのなら、「厄災の町」から「九尾の猫」までの作品を読もう。
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