「曾呂利新佐衛門」は「女か虎か」系のリドルストーリーじゃないですか。
物語A:人妻を殺して逃げる男と仇討ちのために追う夫
物語B:その物語を豊臣秀吉に語る曾呂利新佐衛門
物語C:その「曾呂利新佐衛門」を読む読者
物語A<物語B<物語Cという枠組ができあがっています。
さらに物語Bの最後で曾呂利新佐衛門が、
「物語の最後は太閤殿下の御心一つ」と言って、
秀吉にゲタを預ける形になっていますが、
これはとりもなおさず物語Cの読者が秀吉に
「どうさせたいのか」ということに直結します。
大泉黒石がストックトンを読んでいたのかどうか(ストックトン「女か虎か」1882年)。
「語り」を重層的に使った結果、リドルストーリーになったと思われます。
ところで怪談・奇談をチョイスしたせいか、
一人称で語る形式が多いような気がします。
語る、という形式の持つメタフィクショナルな効果をうまく使っています。
■黄夫人の手 大泉黒石 河出文庫
物語A:人妻を殺して逃げる男と仇討ちのために追う夫
物語B:その物語を豊臣秀吉に語る曾呂利新佐衛門
物語C:その「曾呂利新佐衛門」を読む読者
物語A<物語B<物語Cという枠組ができあがっています。
さらに物語Bの最後で曾呂利新佐衛門が、
「物語の最後は太閤殿下の御心一つ」と言って、
秀吉にゲタを預ける形になっていますが、
これはとりもなおさず物語Cの読者が秀吉に
「どうさせたいのか」ということに直結します。
大泉黒石がストックトンを読んでいたのかどうか(ストックトン「女か虎か」1882年)。
「語り」を重層的に使った結果、リドルストーリーになったと思われます。
ところで怪談・奇談をチョイスしたせいか、
一人称で語る形式が多いような気がします。
語る、という形式の持つメタフィクショナルな効果をうまく使っています。
■黄夫人の手 大泉黒石 河出文庫
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