spin out

チラシの裏

読ホリディ 2

2009年08月10日 | ミステリ
なにかというと「古めかしい」とケチをつけているのですが、戦中派のせいか「進歩」にたいする欲求とその盲目的な信仰心は、もはやこの評論を書いている時代(1990年あたり)でも一番の物差しではなくなっていたはずです。
新しい作家は、新しい技法で物語を書かねばならぬ、という考え方は、「未来はつねにバラ色」だった高度経済成長期のパラダイムそのまま、ではないかと思うわけです。
良いことなのか悪いことなのか、今は過去の作家も現代の作家も、書店で同じ棚にいれられて販売されています。都筑道夫が一生懸命に新しいジャンルを定着させようと頑張っていた頃とは違い、作家もジャンルもなんでもありの今は、「古色蒼然」たる物語だってじゅうぶん売れる。韓流ドラマがいい例です。

戦後日本で不可能犯罪をあつかった本格ミステリが流行ったことがあり、ミステリイコール本格もの、という常識にたいして、エンタティメントという枠組みの中でSF、ファンタジイ、ホラー、冒険小説などの翻訳小説を日本に紹介してきた都筑道夫は、乱歩がカーを持ち上げすぎたことに日本ミステリの近代化が遅れた原因があると書いていました。




MMのカー特集号に一文を寄せた都筑道夫は、カーの作品では「貴婦人として死す」を好きな作品としてあげています。「貴婦人として死す」はカーにしては珍しく、不可能犯罪もオカルトもドタバタもありません。殺害トリックも地味で、殺人者よりも殺される女の性格にカーの興味が向かっているように思えます。意外な犯人ですし、記述トリックもありミステリ部分は良い出来なのに、被害者の女性をあまり深く描けないという、全体としては中途半端な出来に終わっています。殺人のきっかけが被害者の性格にあるというプロットが、都筑道夫のお気に召したのかもしれません。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 読ホリディ 1 | トップ | カーについて思いついたこと »

コメントを投稿

ミステリ」カテゴリの最新記事