『下山事件〈シモヤマ・ケース〉』、2月に読了。森達也著。新潮文庫。2006年12月刊。単行本に続いて、購入。
昭和最大のミステリーに対する、ワクチンなき「下山病」(p.68、325、376)。
井筒和幸監督と『彼』こと柴田哲孝氏(p.400)。『彼』の正体は今回初めて「文庫版のための付記」で知る。
国鉄三大ミステリー、あるいは、陰謀事件。「初代国鉄総裁である下山定則が、常磐線の線路上で轢死体で発見された下山事件、車庫にあった無人電車がいきなり暴走して運送店に突っ込み、多くの死傷者を出した三鷹事件、そして列車転覆してやはり死傷者を多数出した松川事件、この三つの事件が、一九四九年の七月から八月にかけて立て続けに起きた」(p.13、63、135、139)。
「・・・初代国鉄総裁が就任早々に轢死体で発見されるというこの衝撃的な事件・・・。/・・・今も決定的な証拠はない。しかしこの事件がきっかけとなって、戦後日本の進路が、大きく軋みながらドラスティックに変わったことは間違いない。労働運動は大きな転機を迎え、左派勢力は急激に衰退し、日本とアメリカの関係はより強固なものとなった。翌年に勃発した朝鮮戦争では、米軍からの特需がその後の高度経済成長の大きなきっかけとなり、その帰結が日米安保と五五年体制に結びついた」(p.31)。
家永三郎さんは「・・・松川事件について、・・・「結果的にはこの事件が当時の権力者、支配者の側に大きなプラスをもたらした・・・。それまで政府は革新勢力に押されていたのだが、事件は・・・、日本の局面を大きく変えた」」(p.64)。
児玉誉士夫、笹川、岸信介(p.44、162)。
元共同通信の斎藤茂男さん(p.59)。新右翼「一水会」顧問の鈴木邦男さん(p.162)。安岡卓治さんと丹羽順子(にわ)さん(p.228、324)。
斎藤茂男さんの訃報とやり残したこと。「こうして「週刊朝日」と自主制作ドキュメンタリー映画という二段構えの取材が始まった直後、斎藤茂男の訃報が届いた。一九九九年五月二十八日。享年七一歳。胃癌だった。・・・/・・・記事中には家族の談話として、斎藤が「ひとつだけやり残したことがある」と語っていたことが紹介されていた。/「その、やり残したことって何だと思う」/・・・「・・・・・・下山事件?」/「僕はそう思っている」」(pp.234-235)。