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●原子力発電、店じまいの時は何時になるのだろう?

2012年10月21日 00時00分53秒 | Weblog


原発「店じまい」についての東京新聞の社説(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012101102000168.html)。「第一回脱原発サミットin茨城」についての東京新聞の記事(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012101502000046.html)。上関原発についてのasahi.comの社説(http://www.asahi.com/paper/editorial20121016.html)。

 最初の東京電力の社説、「◆利用しか考えない」、「◆不信と不安の温床に」、「◆店じまいをするために」。東京電力原発人災の教訓が全く活かされていない。上関原発さへ造りねない。二枚舌・三枚舌の野田首相や枝野経産相なんか信用できない。
 
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012101102000168.html

【社説】
これからの原子力政策 民主・公開を求める
2012年10月11日

 原発推進の時代は終わり、原子力委は役目を終えた。原子力政策は、社会的合意と科学的検証に耐えねばならない。そのために民主・公開を強く求める。
 六法全書をひもといてみる。
 一九五五年十二月に制定された原子力基本法。第一条には「この法律は、原子力の研究、開発及び利用を推進することによって、将来におけるエネルギー資源を確保し、学術の進歩と産業の振興とを図り…」とある。

利用以外は考えない
 これに基づき、翌五六年一月一日、総理府(現内閣府)の中に、原子力委員会が設置された。
 法の条文通り、原子力の開発と利用を進めるための組織であり、原発推進を妨げることになるような役柄は、はじめから想定していない。
 ただし、原子力の研究開発と利用について、「民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し…」(第二条)とうたっている。科学界の要請で盛り込まれた「民主・自主・公開」の三原則が、迷走・暴走に歯止めをかけるはずだった。
 言うまでもなく日本は、世界唯一の被爆国である。だが、被爆国、敗戦国だからこそ、成長と進歩、それをもたらす科学に対し、逆説的にあこがれも持っていた。
 その二年前には、アイゼンハワー米大統領が国連総会で、原子力の平和利用を提唱していた。
 日本はこの時、米国のエネルギー戦略下に組み入れられた。基本法も委員会も、いわばその受け皿だった。はじめから「自主」など存在しなかったのだ。
 原子力委発足時の委員には、経団連会長(昭和電工会長)の石川一郎、経済学者(東大教授)の有沢広巳、物理学者(学術会議・原子力問題委員会委員長)の藤岡由夫の三氏、そして、日本人初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹博士も請われ、非常勤で名前を連ねた。
 しかし湯川博士は、自前の研究を積み上げず、安全性も十分確かめず、米国からの輸入に頼って商業炉の稼働を急ぐ拙速さに嫌気が差して、一年で辞任した。
 その後原子力開発の国産化が顕著になるにつれ、委員会を含め官、産、学等の“原子力ムラ”が形成された。
 現在、原子力委は、首相が任命する五人の委員で構成される。最大の仕事は、五年に一度、向こう約十年間の原子力政策のあり方を示す「大綱」を作ることである。法律的にも歴史的にも、利用推進のための道筋を示す場所となってきた。アクセルはあるがブレーキがないクルマのように。

不信と不安の温床に
 だとすれば、原子力利用のブレーキになるような大綱は作れない。国として曲がりなりにも原発ゼロをうたった以上、原子力委は、もう役目を終えたのだ。
 本家米国の原子力委員会は七五年に廃止され、開発部門はエネルギー省に吸収されている。
 今後、原子力政策の根幹は、関係閣僚らでつくる政府のエネルギー・環境会議が担うという。
 ところが、3・11以降も絶えない不祥事、不手際に国民は驚き、不信を抱いている。
 福島原発事故のあと、原子力委の近藤駿介委員長は「ゼロからの出発で新大綱を議論する」と訴えていた。ところが、その近藤氏自身が新大綱の見直し作業の中で、策定会議の委員のうち、電力関係者ら原発推進側だけを集めた秘密会に出たことが発覚した。
 経済産業省や電力関係者だけに事前に会議の議案を示し、大飯原発3、4号機再稼働の妨げになるような議案を外す「議案隠し」も明るみに出た。
 基本法がうたう民主・公開の精神はみじんもなく、推進派だけで政策をコントロールできるという仕組みが見て取れる。
 エネ環会議への不信も深まっている。「原発ゼロ」の看板だけは掲げたものの、実現への道筋や具体策はなお、あいまいである。それどころか、大間原発新設工事の再開を認めるなど、民意とも自らの政策とも、矛盾するようなことばかりが目立つ。政策自体が定まっていないのだ。

店じまいをするために
 地震国日本には使用済み核燃料の処分地は見つからず、それなら原発は減らしていくしかない。このような負の遺産を清算するには、国民や地域の全面的な協力、参加を得ることが欠かせない。
 3・11後の原子力政策は、利用推進ではなく、原発をどう減らしていくか、廃炉も含めて後始末をどうするかがやはり基本になるだろう。
 エネ環会議が担うにしろ、新組織をつくるにしろ、民主と公開の原則を徹底させた決め方が必要になる。原子力をどうするかは、結局国民が決めるのだ。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012101502000046.html

福島事故から学べ 東海村でサミット
2012年10月15日 夕刊

 原発が立地する茨城県東海村で十四日、「第一回脱原発サミットin茨城」が開かれ、佐藤栄佐久・前福島県知事や評論家の佐高信氏、地元の村上達也村長らが東京電力福島第一原発事故から学ぼうとしない国への不信をあらわにした。 (林容史)

 日本原子力発電東海第二原発(東海村)の廃炉を目指す市民グループ「茨城の環境と人を考える会議」が主催。約五百五十人が会場に詰め掛けた。
 パネルディスカッションで、「脱原発をめざす首長会議」の設立呼び掛け人にもなった根本良一・前福島県矢祭町長は「原発を使うか使わないか判断するのは政治。ここで反省しなければ原発は止まらない」と訴えた。
 佐藤前知事は、行き場のない核廃棄物の処分問題を懸念。「経済産業省の連中が、(福島第一原発のある)福島県双葉郡が最終処分場に最適だと考えないか心配。われわれが福島に戻るという気持ちを持ち続けなければ」と呼び掛けた。
 また、村上村長は冒頭、「脱原発の戦いはこれからが本番。村長として東海第二原発廃炉の考えは揺るがない」と誓った。コーディネーターの佐高氏は「原発に倫理はない。反原発こそ倫理。自治をゆがめる原発の意味を考えてもらいたい」と話した。次回は小出裕章・京都大原子炉実験所助教や、脱原発をめざす首長会議世話人の三上元・静岡県湖西市長を招き、十二月二十四日に開催する。
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http://www.asahi.com/paper/editorial20121016.html

2012年10月16日(火)付
上関原発―まだつくる気ですか

 中国電力による上関(かみのせき)原発(山口県)の建設計画がストップした。山口県知事が、埋め立てに必要な免許の更新をしなかったためだ。
 枝野経済産業相も、上関を含め未着工の全国9基の原子炉について、設置を認めない方針を打ち出した。
 当然だ。脱原発の具体的な手順を詰め、新しい電源の開発や自由化を進めるうえでも、早く制度改正に着手すべきである。
 ところが、中国電力は「安定供給のために原発は必要」と、あくまで建設をあきらめない構えだ。電力業界も推進姿勢を変えていない。
 まるで原発事故がなかったかのように、原発をつくり続けようとする電力業界の姿勢に驚いてしまう。
 原発を減らすべきだという世論の根っこには、原子力そのものへの警戒感だけでなく、リスクを無視して備えを怠ってきた事業者や原子力行政に対する強い不信がある。
 事故を経て何を反省し、どう自らを変えていくのか。地域独占に守られてきた電力業界は、事故から1年7カ月が過ぎたというのに、なんの総括も実践も示していない。
 むしろ、必要な情報公開を渋ったり、労使で原発維持を政治に働きかけたりと、従来どおりの姿ばかりが目立つ。
 どうやら電力業界には「政権交代で自民党が与党になれば、脱原発は白紙になる」との思惑があるようだ。
 だが、自民党も「原発ゼロ」でこそ民主党と意見を異にするが、以前のような原発拡大路線に復帰できるはずがない。
 そもそも、上関原発は30年前に計画が浮上したにもかかわらず、住民の反対で進めることができずにいた「不良債権」だ。
 原発立地はますます難しくなる。政府の支援は細り、調整すべき「地元」の範囲は広がる。一方、規制は厳しくなり、安全対策の強化や新しい技術の反映にかかる費用が増す。
 何より、廃炉のための引当金すら業界全体として十分に積めていない。今後、原子力は確実に重荷になる。電力システム改革をにらみ、他の電力会社との競争激化にも備えなければならない。
 幸い、中国電力は関西電力などに比べると原子力依存度が低く、財務状況も悪くない。
 着工の見通しすらつかない原発にこだわるより、今ある炉の対策や代替電源の確保、営業力の強化などを急ぐほうがずっと「スマート」な電力会社ではないだろうか。
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