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●『「粗にして野だが卑ではない」――石田禮助の生涯』読了(1/2)

2009年09月27日 09時58分12秒 | Weblog

『「粗にして野だが卑ではない」――石田禮助の生涯』、9月に読了。城山三郎著。文春文庫。1992年6月刊(1993年第5刷)。解説は佐高信さん。940923にA’dにて2冊目として購入。

 前書に引き続き、その勢いで本書も本棚の奥から引っ張り出す。城山さんの最高傑作である。何度読んでも飽きない。こんな日本人離れした人物は居ない。是非映画化してほしい。

 タバコ巻き発言。「「だって、きみィ、タバコ巻いてるじゃないか」/・・・「きみらは雨の夜中に飛び出て行くこともないだろう。命を的にすることもないだろう。それでも給与がいっしょというんじゃ、おかしいじゃないか。・・・」/・・・「タバコは百害あって一利ない」/・・・「・・・あんなに体に悪いものはない。きみらがつくったら、外国で売りたまえ。ぼくが売ってやるよ」/抗議団はに巻かれた。/・・・にがい顔をしていた抗議団もついに笑い出した」。「「あれで、みんなしびれました。・・・」/・・・「あの件は一例だが、石田さんは労使関係を超えて、職員の気持ちをつかんだ。国鉄総裁というより、人生の達人。そういう感じのものが、皆を興奮させた」/・・・「国鉄は昼も夜も休みなく、年間五十億の命を預かって運ぶ」「仕事の質が違う」「仕事の匂いがちがう」―――。/それを伝えるつもりで、国会へ出かける。国会の中を颯爽と歩き、胸をはって答える。/石田は相変わらず、与野党を問わず国会議員を同士としてしか見ていない。同士を前に何を臆することがあろうか」(pp.159-161)。

 「石田自身も、国鉄総裁用として渡された・・・八社の優待パスをすべて返上した。/モラルあってのソロバンである。正々堂々と働き、正々堂々と生きよ―――石田の言いたかったのは、そういうことであった。/ついでにいえば、国会議員が無料パスを利用するというのも、いかがであろう。/「パブリック・サービス」を生きがいとする人々が、グリーン車にただ乗りして、心に卑しさを感じないものなのか」(p.172)。

 「あるとき、匿名の投書があった。/総裁の特権を利用して孫をグリーン車に乗せている―――と非難する手紙であった。/石田はそれまでにない憮然とした顔でつぶやいた。/「わしがそんなミーンなことをすると思うのか」/・・・石田の屋敷内にあった・・・新幹線トンネル工事の影響で水が枯れてしまい、無残な姿となった。/当然、補償要求できるのだが、石田は「とんでもない」の一言。/石田の家族へ新幹線のグリーン試乗券が届けられたが、これも返上させた。家族優遇も一切使わせない」(pp.179-180)。

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●『「粗にして野だが卑ではない」――石田禮助の生涯』読了(2/2)

2009年09月27日 09時51分51秒 | Weblog

城山三郎著、『「粗にして野だが卑ではない」――石田禮助の生涯』
 「権威をかざすのも、ひとつの「」。その卑に屈しなければならぬとあっては、石田としてはやり切れぬ思いがしたのであろう」(p.210)。「数え八十四歳という年齢を思えば当然といえるが、しかし、その離任は国鉄の内外から惜しまれた。/まず新聞記者たち。/石田は記者たちに一席設けるというようなことを、ほとんどしたことがない。あしらいも率直というか、ぶっきらぼうであった。/にもかかわらず、敬愛された。/ある記者は、私に語った。/「閥をつくらぬし、あんなに敬愛できる人はいない。総裁を天職と信じ、生き方に自信があった。人間のスケールが違っていた」/・・・社会党の国会議員たちも石田との別れを惜しみ、わざわざ「石田総裁を励ます会」を開いた。/・・・野党議員が集まって政府委員をごちそうするなどというのは、例のないことであった」(pp.214-216)。もちろんお返しの席を。「石田は個人小切手を切った」。
 「石田が国鉄を去る日、廊下から正面玄関にかけて職員や女子職員の人垣で埋まり、さらに道路にも、その先に当時設けられていた歩道橋にも人々が鈴なりになっていた。/いつもと同じ蝶ネクタイ姿の石田は、その中でもみくちゃにされながら、手をあげて歓送に応えた。/それは、「匂いのいい仕事」を終わった男にふさわしい花道の姿であった」(p.217)。
 「石田を喜ばせた退職の記念品が、二つある。/ひとつは、東京駅長の帽子。・・・/いまひとつは、青函連絡船の「船員一同」から贈られた連絡船のモデルシップ。/・・・二つの記念品は、いずれも石田家では最高の場所にいまも置かれている。石田にとっての何よりの勲章として」(p.217)。これこそ、「マンキーにふさわしい勲章

 「死後、政府から勲一等叙勲の申し出があったが、これも未亡人つゆが頑として受けなかった。/・・・石田には、既に国鉄総裁在任中に勲一等にという話が持ち出されていた。/・・・「社会主義者でもあるまいし、ぜひ」/と、すすめたのだが、石田は吐きすてるように、/「おれはマンキーだよ。マンキーが勲章を下げた姿が見られるか。見られやせんよ、キミ」/・・・ただし、ただのマンキーではない。/国鉄総裁になり、はじめて国会へ呼ばれたとき、石田は代議士たちを前に自己紹介した。/「粗にして野だが卑ではないつもり」/・・・石田は長い生涯を、ほぼその言葉通りに生きた。/・・・勲一等だからといって、マンキーをやめるわけには行かない。それでは「マンキーを汚してしまう。/粗にして野だが卑ではない―――この会心のライフ・スタイルを、石田は死後といえども変えさせなかった」(pp.10-13)。
 「「〝なにとぞよろしくお願いします〟と〝申しわけございません〟の二言さえあれば」/・・・とにかく平身低頭の姿勢で通さなくては。/ところが、総裁就任の挨拶にはじめて国会へ出た石田は、背をまっすぐ伸ばし、代議士たちを見下ろすようにして、/「諸君」/と話しかけた。「先生方」ではない。/質問する代議士にも、「先生」とは言わず、/「××君」/・・・いずれにせよ、この初登院のときの石田の挨拶は堂々たるものであった。/「嘘は絶対につきませんが、知らぬことは知らぬと言うから、どうかご勘弁を」/とことわり、さらに、/「生来、粗にして野だが卑ではないつもり。丁寧な言葉を使おうと思っても、生まれつきでできない。無理に使うと、マンキーが裃を着たような、おかしなことになる。無礼なことがあれば、宜しくお許し願いたい」/・・・顔を見合わせる代議士たちに向かって、さらに石田は正確だが痛烈な文句を口にした。/「国鉄が今日のような状態になったのは、諸君たちにも責任がある」/・・・石田が財界の表舞台を退いて、すでに十五年余り経っていた。忘れられたというより、消えていた一老人が突然、鞍馬天狗のように現れた感じであった。/この爺さん、いったい何者なのか」(pp.32-34)。「国鉄総裁職。/・・・スタンスは既に決まっていた。/粗にして野だが卑ではない。正々堂々とやる―――。/私心といえば、そうすることで「天国への旅券(パスポート・フォア・ヘブン)」を得たいという願いだけ。こわいもの知らずでもあった」」(p.143)。

 表紙の写真が素晴らしい、まさにマンキー。国会議員を睥睨した「粗にして野だが卑ではない」姿そのもの。
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