体調が思わしくない。眼精疲労やらの疲れが抜けない。酒は飲んでるけど。
そこで山に行くことにした。汗をたくさん出す山登りは体にいいのだ。
安曇野から三郷スカイラインを走り、深夜到着。
この登山道は、
「江戸時代末期 当時、松本平と飛騨を結ぶ道は、岩岡村(現・松本市梓川)の庄屋、伴次郎が松本平と飛騨を結ぶ最短ルートを計画。小倉村の又重郎らの協力を得て、飛騨まで出向いて人々を説得しました。
着工は文政三年・西暦1,820年)。人里離れた山中とあって、工事は難航。二人は私財を投げうち、松本藩からの援助も受け、十五年後の天保六年・西暦1,835年)にようやく牛馬が通れる道を開通させました。この間、文政十一年・西暦1,828年)には播隆上人が、又重郎の案内で工事中の飛騨新道を通って槍ヶ岳開山を成し遂げました。
大工事の末にやっと開通した新道でしたが、冬季は雪で通行できず、大雨による崩壊も相次ぎました。このため利用者は少なく、開通後二十数年であえなく廃道になってしまいました。」
という古いみちでもある。
朝出発。
林道を歩くのも気持ちがいい。
冷沢(ヒエザワ)登山口。農業用水にいまでも利用されているようだ。
1時間ぐらい樹林を登ると鍋冠山頂上につくが、調べてきたとうり眺望はない。
さらに八丁だるみへと進むと、美しい針葉樹林の森となった。
たくさんの野鳥のこえ、猿も見かける。緑の苔、静かな樹林の道。こんな森はそうそうお目にかかれないだろう。
登り詰めていくと花が多く咲いていた。
稜線に出て左に行くと大滝山北峰となり、下ると大滝山荘があった。
テントの手続きをして北峰で幕営。この山域で、その日に会ったのは、登りで1人、小屋の客3人、小屋の2人という少なさにビックリ。
静かな山行を満喫した。
そこで山に行くことにした。汗をたくさん出す山登りは体にいいのだ。
安曇野から三郷スカイラインを走り、深夜到着。
この登山道は、
「江戸時代末期 当時、松本平と飛騨を結ぶ道は、岩岡村(現・松本市梓川)の庄屋、伴次郎が松本平と飛騨を結ぶ最短ルートを計画。小倉村の又重郎らの協力を得て、飛騨まで出向いて人々を説得しました。
着工は文政三年・西暦1,820年)。人里離れた山中とあって、工事は難航。二人は私財を投げうち、松本藩からの援助も受け、十五年後の天保六年・西暦1,835年)にようやく牛馬が通れる道を開通させました。この間、文政十一年・西暦1,828年)には播隆上人が、又重郎の案内で工事中の飛騨新道を通って槍ヶ岳開山を成し遂げました。
大工事の末にやっと開通した新道でしたが、冬季は雪で通行できず、大雨による崩壊も相次ぎました。このため利用者は少なく、開通後二十数年であえなく廃道になってしまいました。」
という古いみちでもある。
朝出発。
林道を歩くのも気持ちがいい。
冷沢(ヒエザワ)登山口。農業用水にいまでも利用されているようだ。
1時間ぐらい樹林を登ると鍋冠山頂上につくが、調べてきたとうり眺望はない。
さらに八丁だるみへと進むと、美しい針葉樹林の森となった。
たくさんの野鳥のこえ、猿も見かける。緑の苔、静かな樹林の道。こんな森はそうそうお目にかかれないだろう。
登り詰めていくと花が多く咲いていた。
稜線に出て左に行くと大滝山北峰となり、下ると大滝山荘があった。
テントの手続きをして北峰で幕営。この山域で、その日に会ったのは、登りで1人、小屋の客3人、小屋の2人という少なさにビックリ。
静かな山行を満喫した。
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