人生は、ときに、自分の生きたい方向に向くわけではありません。
八方塞がり、の時期が必ずあります。
いわゆる「どん底」のときです。
そういうとき、思っていただきたいのは、「永遠に続かない」ということです。
私事で恐縮ですが、十六年間ほぼひとりで母を介護してきました。
母はとても厳しい人でした。自分にも厳しい人で、介護は楽だろう、と思っていたのですが
どんどん崩れていく母の人格。
結局、最後まで、母の病気を受け止める度量は、私にはありませんでした。
今は二十代で親御さんの介護をしていらっしゃる方も多いと聞きます。
確かに「青春」は奪われるかもしれません。でも、「どん底」はずっと続くことはないのです。
そして「いのち」の代えがたい授業を受けている恩恵という側面もあるのです。
もう介護で私は人生終わりかな・・と絶望もありましたが、やはり状況は変化していくものです。
母は、突然、思いがけなく旅立ちました。
それは誰も予測がつかなかったことでした。
そして、思いがけなく介護中に、縁談が決まり、結婚後に母を見送ることになりました。
「どん底」のとき。
「かがみ」を見てください。どういうお顔をされているか。
「生きている」のです。生きているから「鏡」に映るのです。
「どん底」でも「生きている」
今までもたくさん絶望もしてきたけれど、こうしてどうにか「生きてこられた」ことが実感できる
一つの方法です。
人間は案外しぶといのです。
弱いだけでもない。強いだけでもない。半々だからです。
どん底のトンネルを抜けると、本来のやりたいことがみえてくるはずです。
どうか、しっかり自分と向き合っていただきと思っています。
八方塞がり、の時期が必ずあります。
いわゆる「どん底」のときです。
そういうとき、思っていただきたいのは、「永遠に続かない」ということです。
私事で恐縮ですが、十六年間ほぼひとりで母を介護してきました。
母はとても厳しい人でした。自分にも厳しい人で、介護は楽だろう、と思っていたのですが
どんどん崩れていく母の人格。
結局、最後まで、母の病気を受け止める度量は、私にはありませんでした。
今は二十代で親御さんの介護をしていらっしゃる方も多いと聞きます。
確かに「青春」は奪われるかもしれません。でも、「どん底」はずっと続くことはないのです。
そして「いのち」の代えがたい授業を受けている恩恵という側面もあるのです。
もう介護で私は人生終わりかな・・と絶望もありましたが、やはり状況は変化していくものです。
母は、突然、思いがけなく旅立ちました。
それは誰も予測がつかなかったことでした。
そして、思いがけなく介護中に、縁談が決まり、結婚後に母を見送ることになりました。
「どん底」のとき。
「かがみ」を見てください。どういうお顔をされているか。
「生きている」のです。生きているから「鏡」に映るのです。
「どん底」でも「生きている」
今までもたくさん絶望もしてきたけれど、こうしてどうにか「生きてこられた」ことが実感できる
一つの方法です。
人間は案外しぶといのです。
弱いだけでもない。強いだけでもない。半々だからです。
どん底のトンネルを抜けると、本来のやりたいことがみえてくるはずです。
どうか、しっかり自分と向き合っていただきと思っています。