My Life

春夏秋冬~日々の徒然や思うことを綴った倉庫です。

懐かしい風景

2013-03-22 13:37:30 | 想い出の箱
私が育った風景はもう、どこにも、ない。

今放映されているドラえもんは見ていないのでわからないが、
当時はリアルタイムでコロコロコミックスに連載され、小学生だった私は
本屋で立ち読みするのが楽しみだった。
家では漫画は禁止になっていたから、好きなマンガは全て本屋で立ち読みをしていた
のである。(中学になるとそれから興味は弟が読む少年ジャンプに移っていった
けれど)
文字通り「土管のある空き地」・・
普通にどこでもあった風景はほとんど今は実家周辺では消えている。

ずっと暮らしたところは福岡の下町で、数軒先は駄菓子屋兼酒屋だった。

その辺の子供たちは、学校から帰っておなかがすくと、そこで買った駄菓子を食べながら、思い思いの遊びをしていた。

車も少なかったので、夏には夕方、普通に飛んでいる「コウモリ」を「虫取り網」で
捕える・・なんて遊びがはやっていた時代。

まだそんな風景がどこかにあればいいな、と思う。

私の一番懐かしい風景は、二歳くらいの頃の風景だ。

夕方、一時期、かならず母と散歩をしていた記憶がある。

いつもなにかと忙しそうで気が張っていたような母が、唯一優しい遠い目をする
ひとときだったと思う。

ただ、どうして散歩していたかは覚えていない。

空き地に私の数倍の丈のあるコスモスが咲きほこっていて

「お花、綺麗ね、綺麗ね、」

良く見ようと、飛び跳ねては、立ち止まってはしゃいでいた幼子だった頃。
思えば一番平和な時代だったような気がする。

実家は今は駐車場になってしまって、おまけに他の家も右にならえとばかり、マンションか駐車場にしてしまい、まるっきり、よその町になってしまった。

商店街は、パチンコ屋と居酒屋がひしめくようになってしまった。

そして犯罪。まさか、とは思ったが「脱法ハーブ」の取引をしている輩まであらわれてしまったという。

それでも頑張って長く商っているお店は、変わらない人情がある。

人恋しさに、ついでに立ち寄ったつもりでも結局気付けば「買わされていた」なんてこともあり。

やはり懐かしい風景は心の中の箪笥にたまっていくようなもののようである。





見つけた春

2013-03-22 13:22:29 | 雑記
福岡は一番のりで桜が咲きました!週末には満開になるらしいです。
今年はあまりお花見には気がすすみません・・。身体は敏感なようです。
花粉症ではないのだけど・・
散歩できる日に撮ってきた春です。

            


          


          




          

秘密のケンミンショー

2013-03-22 13:11:31 | 雑記
お彼岸のお中日、弟夫婦がお墓参りに福岡へ。
佐賀在住の彼ら。我が家は実家のお寺に近いのでついでに寄ってくれました。

農学部出身の弟はB級ならぬA級グルメがお好き。
思えば在学中から家へのお土産は確かにおいしいものばかりだったなーと思います。

今回は・・





普通のシュークリームとハーブティ・・と思うでしょ?

実は・・・




中身はあんこと生クリームなのです。佐賀の小さなお店にあるらしいです。
ちょっと勇気がいりますが、おいしかったです。
ごちそさまー!!

早春の風景

2013-03-22 11:37:58 | 我が街

福岡市西部の川で、この季節は「白魚漁」がはじまっています。
踊り食い(生)が名物ですが、一度も食べたことはありません(怖)












今年は豊漁だということで、近所の料理屋はにぎわっているに違いないです。
久々のにぎわいが戻っているでしょうか・・

本当はいい子なんだよ

2013-03-22 10:07:10 | The Words
 
      本当はいい子なんだよ


校長先生は、トットちゃんを見かけると、いつも、いった。

「君は、本当は、いい子なんだよ!」

そのたびにトットちゃんは、ニッコリして、とびはねながら答えた。

「そうです、私は、いい子です!」

そして自分でもいい子だと思っていた。

たしかにトットちゃんはいい子のところもたくさんあった。

(中略)

でも同時に、珍しいものや、興味のある事をみつけたときには、その自分の好奇心を満

たすために、先生たちが、びっくりするような事件を、いくつも起こしていた。

 (中略)

でも校長先生は、そういう事件が起きた時に、絶対に、パパやママを呼び出すことは

なかった。他の生徒でも同じことだった。いつも、それは、校長先生と、生徒の間

で解決した。初めて学校に来た日に、トットちゃんの話を、四時間も聞いてくれたよう

に、校長先生は、事件を起こした、どの生徒の話も、聞いてくれた。その上、

「いいわけ」だって、聞いてくれた。そして、本当に、「その子のした事が悪い」

とき、そして「その子が自分で悪い」と納得したとき、「あやまりなさい」

といった。でも、おそらく、トットちゃんに関しては、苦情や心配の声が、生徒の父兄

や、他の先生たちから校長先生の耳にとどいているに違いなかった。だから校長先生は

トットちゃんに、機会あるごとに、

「君は、本当は、いい子なんだよ」

といった。その言葉を、もし、よく気をつけて大人がきけば、この「本当は」

に、とても大きな意味があるのに、気がついたはずだった。

「いい子じゃないけど、君の「本当」の性格は悪くなくて、いいところがあって、校長
先生にはそれがよくわかっているんだよ」

校長の小林先生は、こう、トットちゃんに伝えたかったに違いなかった。残念だけど

トットちゃんが、この意味が分かったのは、何十年も、たってからのことだった。

でも、本当の意味はわからなくても、トットちゃんの心の中に、「私は、いい子なんだ

という自信をつけてくれたのは事実だった。

(中略)

そしてトットちゃんの一生を決定したのかも知れないくらい、大切な、この言葉を

トットちゃんがトモエにいる間じゅう、小林先生は、言い続けてくれたのだった。

「トットちゃん、君は、本当は、いい子なんだよ」って



「窓際のトットちゃんより・・・黒柳徹子著」
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これは第二次世界大戦が終わるちょっと前まで、実際に東京に合った小学校と、そこに
通っていた女の子・・トットちゃん(黒柳徹子さん)の実話です。

黒柳さん、(トットちゃん)は、小学校で入学早々、退学になってしまいます。
それで親御さんが見つけた「トモエ学園」に通うことになり、その日々が綴られています。

私の祖父(母方)も小学校の校長先生でした。

「教師は何事があっても現場から離れてはいけない。つねに現場にいるべし」
・・これが口癖だったと聞きました。

祖父は、第二次世界大戦が終わってすぐ、職を辞し、百姓になりました。
教師として、思うところがきっとあったのだと思いますが、誰にもその理由を
語らなかったそうです。

幼稚園の頃、病弱だったので病院に行ってから、幼稚園に顔を出す日々。
でも、なぜか付添は母ではなく、祖父でした。

祖父はとやかく言わない、多くは語らない人でした。
でも、神経質な母に比べ、無言でも微笑んで寄り添ってただ見守ってくれている
「祖父がいる安心感」は確かに伝わっていました。
それで怖い痛い病院でも我慢しよう、と思えたのだと、今になって感じています。
そのときだけは、「おりこうさん」に変身できたのだから。

子供には「見守られている安心感」特に小さい頃は大事なのではないかな、と感じます

小林先生は、いつも「校長室」ではなく手があいたら、「現場」にいたのだろうとおもいます。そして生徒を「見守って」いたのだろうと。

刊行当時、まだまだ子供だったけど、この本は大好きでした。

教育現場で色々言われている今、あらためて読み返してみたい本です。