熊本県民謡 牛深ハイヤ節
須賀道子さんが電話で言った「私はコンサートでの締めにいつも牛深ハイヤ節を歌っているのです。 この唄は私にとって最も大事な締めの唄ですので、これだけは外せませんので、よろしくお願いしますね」 私は一瞬
え
あの難しそうな熊本県民謡曲を、どうやってやればいいの
って思った。
まず、三味線は、お夏さんで大丈夫、笛も大輔さんで大丈夫、お囃子は
太鼓は
この唄は太鼓とお囃子が特に難しかった
出演者メンバーを見渡してみるとお囃子には、福原さんか、野村さんか、池宗さんの3名からお願いしてみることにした 
福原さんは「プロのお囃子なんてとても出来ません」
と断られた。 太鼓も無理だった
そして野村さんに
すると「池宗さんなら牛深ハイヤ節全国大会を制覇してるから大丈夫じゃないですか」との情報が入った
私はすぐに池宗さんに
してみた。
池宗さんにまず太鼓をお願いしてみたのだが「太鼓は自信がありませんので無理です」と断られた
それではお囃子はどうでしょうか
との問いに 「プロのお囃子に私で良いのでしょうか
」と難色を示されたのだったが
他に難しいお囃子を受けてくれそうな出演者はいなかった 
私は恥を忍んで池宗さんに 「すみませんが池宗さんしか出来そうな方がいないのです
」と困ったようにお願いをした・・ すると優しい池宗さんは 「わかりました、私で良ければやってみましょう」と引き受けてくださった
その時、私は、史さんを民謡の女神
だと思った。
須賀道子さんは、本番のリハーサルで池宗さんに気が付かず最初は唄われていたのでしたが・・ アレ
お囃子がやけに上手だな
って感じていた。 実は、ふみさんとは、小学生時代、九州の民謡大会でよく出会っており、仲良しだったらしく 

お囃子が余りに上手だったので、途中から気がついたそうです
お二人は、本当に久しぶりに呉の舞台で再会したのでした 

いや、民謡って本当に縁が繋がるものですよね 
道子さんの素晴らしい歌声に引けを取らない素晴らしいお囃子の声 
そして、それに負けまいと、ゆうさん、無謀にも3か月間という短い期間で、毎日、毎日、この難曲の耳コピーに悩まされ
一時的に気がおかしくなってしまいましてね
もうダメかと思ったくらいに体もパンクしてしまい
1週間、寝たきりのような体になっちゃったくらいだったのでした
その時は、不思議にも仕事がちょうど暇で助かったのでした 
料理もお使いも出来ず、皿洗いも母がぜんぶ引き受けてくれてね
とにかく私は生きることだけ考え、その1週間を乗り切ったのです
辛かった
どうしようもなかった
自分の夢の実現のためだったから
なんとか頑張り、このような太鼓が叩けるまでに成長出来たのでした 
この太鼓、実は成功率が65%くらいだったんです
とにかく最悪、平太鼓を叩くタイミングと数が合わなくても、リズムだけキープ
出来れば、あとは、池宗さんや、お夏さん、そして誰より須賀道子さんが、なんとかしてくれるんだ
って信じて胸を借りるつもりだったんです 
それが終わってみると
1度も間違えず完璧に叩けミスなしだったのでした
こんなことってあるんでしょうか
私は、とうとう自分の力で太鼓パートを乗り切ったのでした
夢の民謡人たちの協力の下、私は男の舟出に成功を成し遂げることができた瞬間だったのです 
民謡ともし出会っていなかったなら・・ これらの素晴らしき民謡人との出会いは、ありませんでした
私は民謡と出会い、多くの素晴らしき心を持たれた民謡人と会って参りました。 やはり素晴らしい民謡人といいますのは、第一に心が美しいです
その心さえ持っていれば素晴らしい民謡を表現できるようになるのです
それが、私の民謡道での考え方です 
本日もご拝読、誠にありがとうございました
須賀道子さん、プロ歌手なのに通常ではあり得ない、動画をブログにて紹介させてくださりまして、誠に有難うございました
これを観て一体、何人の人達の心を楽しませ勇気づけることとなりましょうか
道子さんの優しさが、この唄から見る人、それぞれの心の中で種となり、将来、必ずや花を咲かせてゆくことでしょう
これからも素敵な民謡道を歩まれてくださいませ 江田島より応援しておりますので 
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須賀道子さんが電話で言った「私はコンサートでの締めにいつも牛深ハイヤ節を歌っているのです。 この唄は私にとって最も大事な締めの唄ですので、これだけは外せませんので、よろしくお願いしますね」 私は一瞬




まず、三味線は、お夏さんで大丈夫、笛も大輔さんで大丈夫、お囃子は





福原さんは「プロのお囃子なんてとても出来ません」





池宗さんにまず太鼓をお願いしてみたのだが「太鼓は自信がありませんので無理です」と断られた





私は恥を忍んで池宗さんに 「すみませんが池宗さんしか出来そうな方がいないのです



須賀道子さんは、本番のリハーサルで池宗さんに気が付かず最初は唄われていたのでしたが・・ アレ




お囃子が余りに上手だったので、途中から気がついたそうです







そして、それに負けまいと、ゆうさん、無謀にも3か月間という短い期間で、毎日、毎日、この難曲の耳コピーに悩まされ





料理もお使いも出来ず、皿洗いも母がぜんぶ引き受けてくれてね






この太鼓、実は成功率が65%くらいだったんです




それが終わってみると





民謡ともし出会っていなかったなら・・ これらの素晴らしき民謡人との出会いは、ありませんでした




本日もご拝読、誠にありがとうございました





