ネコのヒトビト

ネコにまつわるヒトビトについてのお話等

テレビを通しての対話

2021-10-09 00:16:57 | 思ったこと
地元のテレビ局
ニュース
夕方に時々目に入る

奇妙だ。
まるで腹話術の「衛星放送」
「こえが 遅れて 聞こえて くるよ」
いっこく堂の芸を思い出す。
キャスターが声を出す前の口をとがらせて開けている
たった数コンマん秒の遅延が、これほどイラつかせるとは
考えもしなかった。
隣の女性アナウンサーも、なにやら口の開け方、表情の作り方まで
訓練されたとおりに行うのが使命
とまで言いそうなほど、口の開き方、声の出し方、表情の作り方、戻し方まで
全部 誰かの指示通り、といった風。

なぜ、こんな風に違和感を覚えるのか
自分なりにいろいろ考えてみたのだが、

テレビ番組を通して見聞きするニュースの内容が
「正確にものごとを伝えるだけが仕事」なのだったら
生身の人間がわざわさ原稿を読む必要はないのだ。

人が伝えるという意味がなんなのか、考えさせられた。

よく、日本テレビのアナウンサーで女性のアナウンサーが
新入社員にレクチャーしているのをテレビ番組でみかける
私たちは意識してみていないが、言葉を伝えるということに対しての
情熱、どういう抑揚で、わかりやすい発話で 伝わるように、
ニュースの真意がきちんと、自分の感情を挟むことなく過不足なく。。
という
彼女(上司)の誠実さが伝わる。厳しさというよりも
「視聴者の皆さんに、誠実に伝えたい」というのが真意のように思える。
ようするに
キャスターの人から私たちは、
その「伝えますよ、受け取ってくだされば幸いです」というような
想いも受け取っているのだ。

地元のニュース番組をやっている二人には、
「間違えないように」という意識がとても伝わってくるけれど

ニュースの内容の核になる要点をつかむ
それをいかに視聴者にわかりやすく伝えるか
という「想い」の温かみがあんまり伝わってこない。
なぜなんだろう。
どこかに「間違えないように」というのが「第一義」になっている感じがして
硬直感がある。
だから、観ていて楽しくない。
目がおよいでるか 目が死んでるか
なんでこんな雰囲気になってしまったのだろう。

こんなことを感じる私が特殊なのかもしれない。
違和感を感じない=そういう風土なのだ
とも言える。

テレビというもののイメージが、地元のイメージとか、地元の意識だとかに
どのくらい影響するのか、ということを
戻ってきて 初めて自覚した。

情報の楽しさ、自由さ、そして地元への愛着など
なんでもいいので せっかく人が伝えるのであれば あったかみがほしい。
そうでなければ、AIの合成動画で事足りる。

テレビを通しての対話なのだ、ということ

音楽を生で聴くのとは違うけれど、
画面を通したキャッチボールがあると認識したのだ。

それだけ、私たちは 思ったよりも つながっているのだ


ということを
こんなことから考察。

ということで、
なんらかの企業風土が、こうした形で顕れているのかなあ、
などと

いろいろ

考えさせられた(勝手にかんがえてろと 言われそうですが。)


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