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アポトーシスとアノミー

2005年11月04日 | Weblog
 細胞が自ら積極的に死んでゆくことを、生物学では「アポトーシス(apotosis)」と呼ぶ。

註:酵素が働いて細胞が分子単位に分解されて再びその生物のDNAの指示に
基づいて新しい蛋白質として再合成されるための材料になる

つまり、ある個体の中で、特定の細胞が積極的に死ぬことによって
全体を有効に生かすということでなんですね。

有名な例としては、ヒトの胎児も、その発生段階で、5本ある指が掌から
植物の生長の様に伸びてくるのではなく、初めにグローブのような
手の元があって・・・ それには、カエルのような水掻きまで付いていて
その水掻きの部分の細胞が後からアポトーシス(死滅)することで
結果的に紅葉のようなかわいい赤ちゃんの手になるとされている。

また、われわれの皮膚の細胞や腸壁の細胞などは、毎日々次々と死んで
新しい細胞と入れ替っていくのだ。

胃酸という強い酸にサラされる、胃壁の入れ替わりは驚くほど早く
認識では20秒程度と聞いた記憶がある。 胃潰瘍なんて1日で出来る事になるよね。

その意味で、アポトーシスという営みは、多細胞生物がその生を維持する上では
無くてはならない死のシステムだと言えるものなんだね。

しかし、ここに大きな問題がある。

個体レベルにおける各細胞と全体のbiological(生物学的)なアポトーシスと云う
仕組みを人間の社会における個と集団のレベルに置換えて、sociological(社会学的)な
アポトーシスが成り立つか成り立たないかという問題である。

実は・・・ この問題は、生物学的なアポトーシスという概念が発見される百年も前に
既に宗教社会学者のエミール・デュルケムによって『アノミー(anomie)論』
という形で提起されていたとされている。 昔の学者はすごい。

そもそも「アノミー」とは、一般に「社会規範の喪失」と訳されていてね。

註:印欧語では、一般的に語頭の「a」は否定を意味する。「nomos」とは律法の事。

したがって、anomieは「規範の崩壊」の意になるんですとさ。

同様に、「阿弥陀(仏)=Amitabha」は、否定の「a」プラス
「mitabha(有限の光)」=「無量光」の
意であるが、ある社会が極限状態に達した時に、これまでの社会規範では
律することが出来ない様な問題が発生し、社会に一種の「ガラガラポン」が
起こるとされているですね。 

わたしはパラダイム・シフトという言葉でも表現をするけどね。
現在の日本や地球規模の各国で、ガラガラポンが始まった。
今までの、つまらない常識がこれから変化するんだよ。

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