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天風 その弐

2006年05月05日 | Weblog

心身統一法の伝授

心身統一法とは中村天風がつきつめた人間としてのすばらしい生き方の
方法である。 これからそれを紹介しましょう。

まず第一に考えなければならないのは、われわれの命というものは
肉体の命と精神の命とがあると言うことです。

そして、その二つをどんな事情があろうとも自然の法則に順応せしめなければ
ならないということです。

1.精神の命を自然法則に順応せしめるという状態は、終始一貫、いかなる
場合があろうとも、その精神状態を 積極的であらしめねば
ならないのであります。
そして、この積極的というのはどういうことかというと、どんな場合にも
尊く強く正しく清く生きることなんであります。
心ある人なら論理的にはすぐわかるでしょう。

しかし、そのすぐわかる事柄の中に、いちばん難しいことが
一つあったなぁと気がつくでしょう。
その難しい、おのれの命の心でありながら、いざというときに自分の
思うようになしえない心が、何と、何と、われわれの命の一切を働かす
原動的立場におかれているのであります。
これをまた、多くの人が気がついていない。

それは、潜在意識の材料である観念要素が消極的な観念要素で
満たされているからなんだ。
消極的な感情、情念が起こるとどうなるか。
それは、血液の本来の性能が破壊されて病にかかりやすくなるのです。
ここで、消極的な感情、情念とはどう言うものか教えてあげよう。

一番さきが、怒ること、
第二は、悲観すること、
第三は、やたらと理由なくして恐れること、
第四は、憎むこと。
第五が、恨むこと。
第六が、焼きもちを焼くこと。
次に煩悩、苦悩、憂鬱。

みんな、あなた方の得意なことばかりだ。
この中のどれか知らんが心に起こればそれが消極的感情、情念だ。
それが心の中に起これば、今言ったように、たちまち血液とリンパの
弱アルカリ性が、ぐっと破壊されてしまう。

とにもかくにも、この消極的感情、情念を自分の実在意識の中に
発生せしめないようにしなければならないんだ。
それは、そもそも潜在意識の中に、そういうことを思わせたり考えさせたり
するような、材料をため込んでおくことがいけないんだ。
材料がなけりゃ出て来ねぇんだ。あるから出て来る。

だから、何をおいても、まず、第一番に、潜在意識、すなはち心の奥の
大掃除をやらなければいけないんだよ。
それが、観念要素の更改ということなんだよ。
人の顔の異なるごとく、潜在意識の中の状態は違っているけれども
これだけは言い得るんだ。

現代人は一応は、それぞれ違った観念要素を必ず持っているけれども
そいつがみんな、消極的な事柄ばかりだ。
だから、そこらでうろちょろ生きている人間どもは、どんなに学問しようが
どんなに金が出来ようが、この中を掃除しないかぎりは、何か事がありゃ
すぐ、いままでの大言壮語はどこえやら、哀れ惨憺たる状態に
その心がなっちまうのであります。

では、どうすればいいか。それは、

今夜から寝がけに、必ず、寝床の中へはいったら最後。
昼間の出来事と心を関係つけさせない努力をするんだ。

それでも、どうしても辛いこと、悲しいこと、腹の立つことが考えずに
いられなかったら、明日の朝、起きてから考えることにするんだ。
寝ることと考えることをいっしょにしたら寝られなくなっちまうぜ。
どんな頭のいい奴だって、いちどきに二つのことを思いも出来なければ
おこなうことも出来ない。

「眉に皺よせて恨んだり嫉んだり、泣いたりするなんて、罰当たりなことは
しないようにするんだ、今夜から」

特に寝がけに、寝床のなかへはいってからは、この精神のアンテナと
いうものは、無条件に、よいことでも悪いことでも、もうすべてが
ちょうどあなた方の料簡と同じように、差別なくはいりこんでしまう。
だから、いいことを考えるんだ。
嘘でもいいから、俺は優れた人間だ、俺は思いやりのある人間だ
俺は腹の立たない人間だ、俺は憎めない人間だ、俺は焼きもちを
焼かない人間だ。 こう思えばいい。

おだやかな気持ちになってごらん。 今夜から、寝がけだけは絶対に
尊い人間になるんだ。 毎晩尊い人間になったからといって、税務署から
来たなんてことはない。 どんなに体にいい結果が来るか、やってみたもの
だけが知る味わいだ。 やってごらんなさい。 今夜から。
それが、観念要素を更改する連想行というんだ。

2.肉体の命を自然法則に順応せしめるという状態は、常に訓練的に積極化する。

いまの世の中特に積極化する必要に迫られているのは四十を過ぎてからです。

いまの人は、若い中だけが訓練的に積極化するときだと思っている。

若いときに訓練的に積極化することは、その余りの余力をもって
四十を越したのちの命にも、それをアピールして行くというつもりでもって
若いうちにうんと、肉体に対する訓練を与えておくのであります。

それが四十を越して、金も出来る、地位も出来る。
いままで、自分のことは自分でしなければならなかったような身分の
人間でも、こんどは人を使ってからに、ぜいたくな生活が出来るように
なるってえと、訓練的に積極化するどころか、非訓練的な、消極的な
生活をおこなうことになる。 横のものを縦にもしやがらねぇ。

それもですよ。 人間も四十を越してから、多々ますます弁ずるていに
肉体の生きる力が増加してくれるならともかくとして、どんなに金があろうと
身分があろうと、四十を越すと細胞の、よろしいか、老化状態というものが
発生して来るんだ。

四十を一つのセクションとして老いぼれだすんですよ。
この老化趨勢にブレーキをかける。
これが訓練的積極化です。
ちょいと駆け出す、青竹踏み、大股歩き、やろうと思えばいっくらでも
積極化する方法はあるんです。

二見書房...宇野千代著...天風先生座談より参照


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