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パラダイム・シフト

2006年06月21日 | Weblog

 現実的に未来を予測しようとする際に最も大事なのは?考えるとしたら・・・
「今の時代とその後の未来では、どんな価値観の違いがあるか?」と言う事を
明確に見極める事ですね。 価値観としての観点から導く予測です。

さてっ「社会を構成している基本的価値観」を「パラダイム」と呼びますよね。

「パラダイム」という概念の提唱者T・クーン自身はその著書『科学革命の構造』
で「パラダイム・シフトが存在するのは自然科学の分野のみに限られる」と
言っています。 しかし、現在では社会学の用語として使われる事が多いですね。

現代人は、自然現象には全て合理的な理由が有る事を知っています。
しかし、ひと昔前の人にとっては雷鳴とは「雷様の怒り」だったんですよね。

例えば・・・ 織田信長の快進撃の原因は、「鉄砲」の使用や「楽市楽座」と言った
経済政策によるものだと知っています。 

鉄砲は知ってるが・・・ 楽市楽座なんて知らない? 
んっじゃ 説明。


楽市・楽座(らくいち・らくざ)は、日本の近世、16世紀から17世紀にかけて
織田信長、豊臣秀吉の織豊政権や各地の戦国大名などにより城下町などの
支配地の市場で行われた経済政策である。

楽市令。破座。「楽」とは規制が緩和されて自由な状態となった意味。

既存の独占販売権、非課税権、不入権などの特権を持つ商工業者
(市座、問屋など)を排除して、自由取引市場をつくり、座を解散させるもの。

中世の経済的利益が、座・株仲間によって独占され既得権化していたが
戦国大名はこれを排除して絶対的な領主権の確立を目指すとともに
税の減免を通して新興商工業者を育成し経済の活性化を図った。

欠点としては、この時期問屋業者が増え、店自体の売上が均一化し
多くのぬけ荷品が闇市場に並ぶといった所があげられる。
それらの欠点は豊臣秀吉時代の末期には露呈化された。

各地の大名によって城下町等に布告されたが、1549年(天文18年)近江国の
六角定頼が、居城である観音寺城の城下町石寺に楽市令を布いたのが初見。
なかでも織田信長は、自分自身が美濃国・加納、近江国・安土、近江国・金森に
楽市・楽座令を布いただけでなく支配下の諸大名に伝達され、各城下町で
実施された。

地方都市においては未だに継続している朝市や昼市、地名に市の名を残す
十日市などはその名残りである。 フリー百科事典『ウィキペディア』より


でも、昔の人にとっては「信長があれだけ強いのは天の義を得ているからだ」と
考えていたでしょう。 神童や神憑り的な発想ですね。

これは、その時代の人々が、決して無知だからでは無く「パラダイム」の違いに
よるものです。

何かに理由を求める時、枠組みの理解が出来ないと「神が、そう決めたからだ」
として済ませるか・・・ 「自然法則で、そう決まっているからだ」と言う
その時、人々の知り得る「パラダイム」の違いが、両者の違いなのです。

当然、その時代的な「パラダイム」に変化があれば、そこから社会システムや
政治・経済・家庭・生活といったあらゆる部分に大きな変化が起こります。

そういう大きな、社会の枠組みを変えるほどの変化の事を
「パラダイム・シフト」と呼びます。

それによって起こる社会変化たるや大変なもので、農業革命、産業革命は
人類に起こった最大のパラダイム・シフトだった、と言われています。

著名な経済学者が口をそろえて、今までの二回のパラダイム・シフトに
匹敵する大きな変化が起きていると述べています。

P・F・ドラッカーなどの大物学者全員が「現在はパラダイム・シフトの時期だ」
と言っているのです。 第三の波です。

今後の社会を考えるためには、今起こりつつあるパラダイム・シフトを
分析する事から推測していく方法しか有り得ません。

私たちは「産業革命」以来の初めての巨大なパラダイム・シフトに立ち会う
という大変貴重な体験をしているのです。 
これ以上面白い事なんて、滅多にありませんよ!
幸運なことだと、思いませんか?

それでは、現在起こっている「パラダイム・シフト」を観察してみましょう。


理系離れの「エコロジー問題」

例えば、今最も注目されている、エコロジー問題に対する私たちの考え方にも
顕著に反映されています。  実は、エコロジー問題とは大変科学的に
捉えやすい問題なのです。

オゾンの量がウンヌンとか、大気中の○○含有量が○PPMだとか
この増加率で行くと○年後には何ヘクタールの森林が丸坊主になるとか。

科学主義的に考えると、本来こういった科学的問題は、科学者がきちんと考えて
最善の解決法を見つけて欲しいもんですよね。

その上で官僚や政治家が、それらのデータに基づいた合理的・効率的な方策を
実行したら、本来エコロジー問題は「解決」される筈なんです。
・・・ ところが、そうは問屋が卸ません。

一口でエコロジー問題と言っても、熱帯雨林から酸性雨、大気汚染、オゾン層の
破壊等々と様々な要素が絡み合っています。

これらを解決しようとすると「どの順番でするか」「誰が金を払うか」
「どの学説・データを採用するか」「どの企業が請け負うか」
「それによってみんなの生活が不便になるけど、どの政治家が矢面に立つか」
などという、誰も手を出したがらない問題のオンパレードです。

これらの問題、利権を、「人類全体の幸福」という抽象的な基準で合理的に
判断して、制限するなんてことは、もはや誰にも出来ません。
現に京都議定の目標値を、大国のアメリカは他人事です。

従ってエコロジー運動は「リサイクル運動」だの「割り箸を使わない運動」だの
「私たちが出来る小さな運動」の形を取らざるを得ないのです。
それ以外に信頼できる解決法が見え無いからです。

これらの運動は、目標といっても空き缶の回収が何トンになったと云う程度
かも知れません。 だから・・・ その結果、大気やごみの状況はどうなったか?
実際は、後どれぐらい汚染減少を必要とするのか、そのためには何を
何トンづつリサイクルすればよいか、と言った合理的・科学的な判断を
しなくて済むのです。 しないより増し程度に考えて良いですね。

また、「数の力で国や自治体に圧力をかけて」といった従来の運動を
しなくても済む。 そんな事よりも・・・
「一人でも多くの人がエコロジーに関心を持ってくれる」といった
気持ちの問題として捉えることが大切なんだと云う事です。

これは、最近の若者達の価値観である「自分の気持ちを一番に考える」に
ぴったりフィットしています。(一見、身勝手な価値観ですが)

エコロジー問題に関する、一般人の考え方の変化を見ると明らかに科学的思想が
マイナーなものになってきたというのが判ります。

最近起きた、阪神大震災においても同じようなことが言えるでしょう。
国や自治体の対応の悪さに関しては、目を覆うばかりでしたが、それに対して
マスコミが期待したほどの非難の嵐は起きなかったようです。
それよりも住民の冷静さ、ボランティアの数の多さ、義援金の額の多さが
話題になりました。

国に対する批判は、むしろこのボランティアを差配できない、義援金もさっさと
使えないという点に集中していたぐらいです。

このような考え方は、明らかにある種の「諦め」という感情の上に成り立って
います。 科学的、合理的解決法に何も期待しないからこそ、心情的な
解決法を採るのです。

さらに、具体的な例を挙げてみます。

いま、注目されている無農薬野菜や、自然食品ブーム。

昔は人畜無害の表示を信じて、必要以上に殺虫剤に依存し、健康に害を与えた
時期も有りました。 しかし今は「害虫は殺すけど、人間には無害な薬品」など
この世に存在しない、という事を皆が感じ取っています。

薬害によるリスクをどれぐらいに見るかは個々で差が有るとは思いますが・・・ 。

もしも、同じ値段同じ条件で普通の野菜と無農薬野菜が売られていたら
どちらが売れるかなどは考えるまでもありません。 化学肥料も同じです。

生産者自体もしかたなく薬品など「不自然な物」を使っています。
しかし本当は自然(それも又、イメージの中の自然なのだけど)が良いと
生産者だって考えているんです。 

農薬などを開発する人たちが、素晴らしい農薬を作っても無駄です。
消費者たちは「科学なんかより、自然の恵みが素晴らしいに決まってる」と
言って無農薬を支持し、やむなく農薬を使った農家ですら、その作物を
自分で消費する事を拒否するんですから・・・ 。

又、花粉症やアトピーといった、現代医学でも解決できない病気があります。
どちらも環境汚染や、食品公害といった問題を抱え居るはずなのに・・・
ガンやエイズなどの様な死者が出ないので、医学界も本気になっては
研究していない様です。 儲けに繋がらないからも有ります。

一方のアレルギー患者達は、症状をやわらげるために、体には良くないと
知りつつも、医師が処方すればステロイド剤等を服用しています。

患者にとっての科学(医学や薬学)は救済ではなく、加害者なのです。
そのため、医者を見捨てて民間療法や宗教に切り替える者も多いと聞きます。
科学的に効果が実証されていなくても、とにかく効くという噂を聞けば
試してみる、という態度が普通になりました。

鍼や怪しげな整体に行く人も大勢います。
現代医療に対する不信感は、相当大きくなっているのでしょう。

このように「科学は私たちを幸福にしてくれる」という信頼感は
健康被害の観点から見れば瓦解し始めていると思います。
有る意味、科学主義は凄い勢いで終わりつつあります。

産業革命の恩恵が当たり前として育った若者達には、その副作用の方が
良く見える(感じ取る)のだと思ってしまいます。


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