はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
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説教将軍 3 

2018年06月26日 14時25分38秒 | 説教将軍
見舞い篇

熱が下がってきたのをおぼえた孔明は、寝台から起きあがると、上着を肩に羽織って、庭に面した欄干に出た。
休む孔明を気遣って、屋敷のものたちは自室に近づかないでいてくれる。
風がほしいといった孔明のわがままを聞いて、家人たちは、いつもの奥の部屋から、寝台を窓辺に運んでくれていた。
こうすると、新鮮な風に触れることができて心地がよい。
それに家人たちが丹精にしてくれた庭を、じっくりとながめるよい機会である。
このところ、雑務におわれてバタバタしていたから、思いもかけないよい休暇が取れたな、と孔明は思いつつ、一方で、熱がひけたなら、すぐさま阿斗のところへ行かねばならない、とも考えた。
孔明が風邪をひいたときいた阿斗と側仕えの者たちが、いち早く見舞いの品を届けてくれたのである。
気を遣わせてしまうのがいやなので、なんとか出仕しようとしたのであるが、
偉度に、
「あなたは左将軍府に風邪を持ち込むおつもりか」
と容赦なく叱られ、そこで休みをとることにしたのである。

とはいえ、なにも沼に落ちてぬれねずみになったことだけが風邪の原因ではない。
益州と荊州をまじえた人事の結果、四方八方でさまざまに不平不満の声が挙がった。
それを抑えるための作業に加えて、新体制で生じた混乱をひとつひとつ解決せねばならない。
荊州の三郡を治めていたときとは、仕事量がまったくちがう。
そのこと自体に孔明がなれず、最近は眠りが浅かった。
寝所へ入って、懸命に目を閉じても、なんとかしてくださいと訴えている民の声が耳から離れないのだ。
そのため、あっさり風邪に倒れてしまった。

なんと心の弱い、とおのれを叱りつつ、孔明は夾竹桃の青葉から透けて見える陽光を見上げた。
さわさわとおだやかな風が、たゆんだ空気を流してくれる。
庭の池に棲む蛙の鳴き声が、けろけろとのんびりした歌を唄っていた。
ふと呼ばれたような気がして顔を向けると、家人に案内されて、廊下を歩いてくるおなじみの姿を見つけた。
しまった、なんと間の悪い。
素早く寝台に戻ろうとするが、趙雲が到着するほうが早かった。
挨拶もなしに、趙雲は起きあがった孔明の姿を見て、抗議をする。
「病人が、起き上がってなんとする。しっかり休むがよい!」
「わかった、ちょっと新鮮な空気を吸いたくなっただけだ。すぐに寝台に戻るよ」
「そうしろ。熱は下がったのか」
「だいぶ薬が利いた。寒気もないし、あと一晩眠れば、回復しよう。そういうわけで、おやすみ、子龍」
「待て。俺を追い返すつもりか」
「なぜか怒っているからだよ。わたしは何かしたか?」
寝台の上で上半身だけ起きあがらせ、かたわらに置いてある座に腰かけた趙雲の言葉を待っていると、趙雲は、しばらく逡巡して、それから口を開いた。
「偉度たちが、俺たちに妙な渾名をつけて遊んでいるようだが」
「知っているよ、子龍は説教将軍だったな。でも魏延のガミガミ助平よりはるかにマシだ。ちなみにわたしはおとぼけ軍師だそうだ」
「笑い事ではない、止めよ。お前があまりに彼らに親しげにするので、逆にこちらを侮っているのではなかろうな」
「それはない。魏延にはどうだか知らぬが、子龍への渾名には、どこか親しみがあると思うがね」
「そうか? あいつらが嫌がっているのならば、これから言動に気をつける」
「大人しくなってしまっては、彼らもがっかりするだろう。ある意味、期待して『説教将軍』という渾名がつけたのだ。ありがたく頂戴するがいい」
「おとぼけ軍師も?」
「実際に、わたしはとぼけるからな。よく観察していると思うよ」
と、孔明は風邪のせいですこしひりつく咽喉に注意しながら、声をたてて笑った。
そうして、なにやら肩透かしを食ったような顔をしている趙雲を見る。
「なんだ、それを言いにわざわざ来たのか? そうではあるまい。今日は、みなも病人に遠慮して、邪魔をすることもない。なにか普段いえないようなことがあれば、いまが吉日であるぞ」
「あらためてそういわれると、特にないな。いつも、言えるときに口にしているから…おまえのが移ったな」
「ついでに風邪も持って行ってくれ。ところで、良くんが心配していたのだが」
「しろま…いや、季常どのが? なにを?」
「位の件だよ。謖も騒いでいるらしいが、やはりあなたも与えられた官位に不満があるのか?」
趙雲は即答した。
「ない」
「だろうね。子龍は地位で騒ぐ男ではないと言っておいた」
「助かる。妙な気遣いをされては、こちらも困るからな。白まゆげも、よい男なのだが」
「なんだ、あなたも渾名を使っているのではないか。本人には言うなよ、落ち込むから。で?」
「で?」
「ほかになにか?」
孔明は、趙雲が言葉をつづけることを期待したのであるが、しかし思ったように返事がかえってこない。
趙雲は、しばらく考え込んだあと、やはり何も出てこなかった様子で、
「なにもないな。では、帰るか」
と、腰を浮かせる。
孔明はあわてて留めた。
「待て待て、もう帰るのか、つまらぬ」
「病人は、病人らしく大人しくしろ。あまり喋るな。おまえ、だんだん声がおかしくなってきているぞ」
たしかに、さきほどより咽喉の痛みが強くなっているようだ。
もとより腫れていた咽喉が、熱が下がってきて、気になるようになったらしい。
「つまらぬ」
咽喉を気にしつつ、孔明は横になった。
趙雲が帰ろうと座を外す気配がある。
いかん、本格的につまらない。
「子龍、よいことを思いついたのだが」
「なんだ。おとなしく寝ていろ」
「そのつもりなのだが、退屈なので、どうも大人しくしていられない。そこで頼みがあるのだが」
「頼み?」
「うん。なんでもいいから話をしていてくれないか。そうすれば気もまぎれるし…そうだな、説教でもいい」
「説教でもいいと言われて説教をするのも初めてだが」
「すべての事柄に初めはある。なんでもいいのだよ、なんでも。人払いをしてあるから、呼ばない限りだれも来ない。まあ、言いたいことがあれば言ってくれてかまわないし、昔の話でもいい。なんでもいいのだ」
「なんでも、といわれると、かえって困るが」
そうだな、と趙雲はしばし考えて、ふたたび寝台のそばの座に腰かけると、中庭のほうを眺める姿勢で、ぽつぽつと昔の話や、最近の出来事などを、ゆっくりと語りだした。
穏やかに語られる言葉を耳にしながら、孔明は瞑目する。
趙雲の言葉だけを聞いていればよいから、近頃ひっきりなしに耳に届いていた、訴えの声が聞こえない。
よかった。
そう思いつつ、孔明はいつしか深い眠りに誘われていた。

つづく……

お待たせしました。
このお話は、まだつづきます。


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