孔明の脳裏に浮かんだのは、周瑜の端正すぎるほど端正な顔だった。
とたん、どきん、どきんと胸が不吉に鼓動を高くしはじめた。
胡済は、なぜか周瑜のことを過度に気にしていた。
自分の推理が正しければ、おそらく胡済は、壺中《こちゅう》にいた時分に、刺客としてか、あるいは細作として江東に来て、周瑜とかかわりができたのだろう。
『まさか、もう一度、周瑜に会いに行った?』
そう思ったが、その自分の考えを、孔明はすぐに打ち消した。
『それはないな。あの子は刺客稼業から足を洗ったはずなのだし、第一、周瑜になにか傷をつければ、あの子自身もただではすまない。
あの子の仕える劉公子(劉琦)だって不利な立場になってしまう。その計算はできるはずだ』
孔明は落ち着くため、ふうっと息を吐き、それからちっち、と舌を鳴らした。
「偉度のようすがおかしかったのはわかっていたのに、ほったらかしにしていたわたしがいけなかった。
今夜にでも、あの子としっかり話をしておくべきだった」
そう言っても後の祭り。
胡済のいなくなった寝台を見つめて、孔明は気分が沈んでいくのを感じた。
「おれも反省している。明日は柴桑から出立だと思って、気もそぞろになっていた。
偉度も『やっと帰れる』と言っていたからな。まさか出て行ってしまうとは」
趙雲のボヤキに、孔明は言う。
「一足早くに劉公子のもとへ戻った可能性もあるぞ」
「おれたちをほったらかしにして、か?
たしかに気まぐれな奴だが、そこまで不義理をするかな」
「む」
しないだろう。
「だいたい、だれかが呼び出したのだから、なにか目的があって出て行ったはずだ。
だれが呼び出したのかがわからん以上、楽観視しないほうがいいぞ」
釘を刺されて、孔明は胡済が周瑜を倒しに行った可能性について考えざるを得なかった。
たしかに胡済は腕がたつ。
だが、いまもっとも刺客に過敏になっているだろう周瑜に対し、かすり傷をつけることすら、むずかしいのではないか。
『周瑜を殺して、あの子に得がない。だが、何者かに命じられて、やむなく殺しにいったのでは?
とすると、『何者か』というのは曹操側の人間か?
いや、まだ偉度が周瑜の元へ行ったとは確定していない。決めつけるのは早かろう』
自分に言い聞かせていると、横の趙雲が言った。
「今夜、おれたちに出来ることはなさそうだ。
夜明けまでまだ時間があるし、明日のためにもう一度眠っておいたほうがいいだろう」
「眠れないよ」
「そこはそれ、体をいたわるためにも眠るのだ。いいか、ちゃんと寝台に戻るんだぞ」
と言いつつ、趙雲は燭台片手に、自分の寝室とは逆の方向へ行こうとする。
「どこへいく?」
たずねると、趙雲は申し訳なさそうな顔をして答えた。
「もういちど、まだこの屋敷に留まっていないかたしかめてくる。
偉度を管理しきれなかったのはおれの失態だからな」
「すまないな、子龍」
謝ると、趙雲は、みじかく「いや」と答えて、そのまま移動していった。
ふたたび寝台に戻った孔明だが、趙雲に言われた通りには眠れなかった。
胡済がひょっこり帰ってくる物音がするのではと思うと、目も頭も冴えてしまうのである。
趙雲がもどってきたが、やはり胡済はどこにもいなかったという答えだった。
「偉度や、どこへ行ったのか」
小さくつぶやきつつ、孔明は二度目の深いため息をついた。
※
本来なら気楽な樊口行きが、胡済がいなくなったことで急転した。
孔明は、
『周都督のもとへ行ってみるか』
と思ったが、これは趙雲に止められた。
「行っていたとしたら、同盟が破綻するほどの問題になりかねぬ。
偉度の前身を答えなくてはならなくなるからな。
いまのところ向こうからの動きもない、こちらから動くのは得策ではないだろう」
そう言いつつ、趙雲はまわりの気配に注意しつつ、小声で孔明に言った。
「おれたちはどうも見張られているようだし、仮に偉度が周都督のもとへ行っていたとしても、その動向はすでに向こうにも伝わっているはずだ」
孔明はおもわずあたりを見回した。
趙雲は見張られているというが、だれかの気配は全く感じない。
出立の朝なので、魯粛が手配してくれた人足《にんそく》たちが、軽く荷物をまとめてくれていたりしているが、それ以上の目立つ者はいなかった。
あるいは、この人足たちのなかに周瑜の密偵が紛れているのだろうか。
どちらにしろ、客館でのこちらの動きは筒抜けになっていると見ていいようだ。
つづく
とたん、どきん、どきんと胸が不吉に鼓動を高くしはじめた。
胡済は、なぜか周瑜のことを過度に気にしていた。
自分の推理が正しければ、おそらく胡済は、壺中《こちゅう》にいた時分に、刺客としてか、あるいは細作として江東に来て、周瑜とかかわりができたのだろう。
『まさか、もう一度、周瑜に会いに行った?』
そう思ったが、その自分の考えを、孔明はすぐに打ち消した。
『それはないな。あの子は刺客稼業から足を洗ったはずなのだし、第一、周瑜になにか傷をつければ、あの子自身もただではすまない。
あの子の仕える劉公子(劉琦)だって不利な立場になってしまう。その計算はできるはずだ』
孔明は落ち着くため、ふうっと息を吐き、それからちっち、と舌を鳴らした。
「偉度のようすがおかしかったのはわかっていたのに、ほったらかしにしていたわたしがいけなかった。
今夜にでも、あの子としっかり話をしておくべきだった」
そう言っても後の祭り。
胡済のいなくなった寝台を見つめて、孔明は気分が沈んでいくのを感じた。
「おれも反省している。明日は柴桑から出立だと思って、気もそぞろになっていた。
偉度も『やっと帰れる』と言っていたからな。まさか出て行ってしまうとは」
趙雲のボヤキに、孔明は言う。
「一足早くに劉公子のもとへ戻った可能性もあるぞ」
「おれたちをほったらかしにして、か?
たしかに気まぐれな奴だが、そこまで不義理をするかな」
「む」
しないだろう。
「だいたい、だれかが呼び出したのだから、なにか目的があって出て行ったはずだ。
だれが呼び出したのかがわからん以上、楽観視しないほうがいいぞ」
釘を刺されて、孔明は胡済が周瑜を倒しに行った可能性について考えざるを得なかった。
たしかに胡済は腕がたつ。
だが、いまもっとも刺客に過敏になっているだろう周瑜に対し、かすり傷をつけることすら、むずかしいのではないか。
『周瑜を殺して、あの子に得がない。だが、何者かに命じられて、やむなく殺しにいったのでは?
とすると、『何者か』というのは曹操側の人間か?
いや、まだ偉度が周瑜の元へ行ったとは確定していない。決めつけるのは早かろう』
自分に言い聞かせていると、横の趙雲が言った。
「今夜、おれたちに出来ることはなさそうだ。
夜明けまでまだ時間があるし、明日のためにもう一度眠っておいたほうがいいだろう」
「眠れないよ」
「そこはそれ、体をいたわるためにも眠るのだ。いいか、ちゃんと寝台に戻るんだぞ」
と言いつつ、趙雲は燭台片手に、自分の寝室とは逆の方向へ行こうとする。
「どこへいく?」
たずねると、趙雲は申し訳なさそうな顔をして答えた。
「もういちど、まだこの屋敷に留まっていないかたしかめてくる。
偉度を管理しきれなかったのはおれの失態だからな」
「すまないな、子龍」
謝ると、趙雲は、みじかく「いや」と答えて、そのまま移動していった。
ふたたび寝台に戻った孔明だが、趙雲に言われた通りには眠れなかった。
胡済がひょっこり帰ってくる物音がするのではと思うと、目も頭も冴えてしまうのである。
趙雲がもどってきたが、やはり胡済はどこにもいなかったという答えだった。
「偉度や、どこへ行ったのか」
小さくつぶやきつつ、孔明は二度目の深いため息をついた。
※
本来なら気楽な樊口行きが、胡済がいなくなったことで急転した。
孔明は、
『周都督のもとへ行ってみるか』
と思ったが、これは趙雲に止められた。
「行っていたとしたら、同盟が破綻するほどの問題になりかねぬ。
偉度の前身を答えなくてはならなくなるからな。
いまのところ向こうからの動きもない、こちらから動くのは得策ではないだろう」
そう言いつつ、趙雲はまわりの気配に注意しつつ、小声で孔明に言った。
「おれたちはどうも見張られているようだし、仮に偉度が周都督のもとへ行っていたとしても、その動向はすでに向こうにも伝わっているはずだ」
孔明はおもわずあたりを見回した。
趙雲は見張られているというが、だれかの気配は全く感じない。
出立の朝なので、魯粛が手配してくれた人足《にんそく》たちが、軽く荷物をまとめてくれていたりしているが、それ以上の目立つ者はいなかった。
あるいは、この人足たちのなかに周瑜の密偵が紛れているのだろうか。
どちらにしろ、客館でのこちらの動きは筒抜けになっていると見ていいようだ。
つづく
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今後もがんばって書いていきますね(^^♪
ではでは、次回をおたのしみにー(*^▽^*)