はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
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説教将軍 2

2018年06月25日 09時40分52秒 | 説教将軍
「待て。熱に悩む者に、此度の人事の不服を唱えるか。礼儀知らずもよいところであろう」
「う。なんだって知っているのさ」
と驚きのあまり素顔を見せて、馬謖は、趙雲の隣にいる偉度を睨みつける。
しかし偉度はけろりとした顔をしているのであった。
「けれど、おかしいでしょう、こたびの入蜀にあたり、わたしは影になり日向になり、主公の補佐をいたしましたのに、拝領した位が『綿竹と成都の令』だけだなんて!」
「十分であろう。なにをこれ以上望む」
馬謖は、あからさまに偉度に対抗意識を燃やしているらしく、いちいち偉度を睨みつけながら、答えた。
「もっと高位の、そう、兄上と同等の位でなければ納得できませぬ!」
趙雲は、この若者のうぬぼれぶりにすっかり呆れて、言った。
「たわけめが、話にならぬ。帰って頭を冷せ!」
「なぜ。第一、あなただって、そんなふうに威張っているけれど、今回の人事に不服があるクチではありませぬか? 聞きましたぞ、翊軍将軍ですと? 将軍職のなかでも低いほうでございますな? ほんとうは、腹に据えかねているのではありませぬか?」
「俺はこれで満足している。むしろ、位なんぞないほうがいいくらいだ」
「無位無官で満足と? へえ? そんなにあなたが高潔の士だとは知りませんでした」
「あいにくと、俺の実像と、おまえの印象とでずれがあるようだな。さっさと帰って、あたらしい仕事の準備をしたらよい。さきほど、しろまゆ…いや、おまえの兄君は、左将軍府に挨拶に参られておったぞ。すこしは見習え」
「兄は兄、わたしは、わたし!」

威張る馬謖をよそに、偉度はそっと趙雲に耳打ちをした。
「将軍、このままだらだらと話をしても無駄です。ずばっと、おっしゃってください」
「俺なりに、ずばっと言ったつもりなのだが」
「駄目です、伝わっておりませぬ」
「さっきから、なに二人でひそひそやっておられるのか! 本人を前にして感じ悪い。それこそ礼儀知らずでございますぞ」
「たしかに、いまのはそうであったかも知れぬ」
「謝ってどうするのですか、趙将軍、いまこそ、説教将軍の本領発揮でございますよ!」
「やはり渾名はあったのだな…」
「ガミガミ助平よりマシでしょう。ちなみにこれは魏将軍の渾名です」
気の毒だなと思いつつ、たしかにそれよりはマシかと少しだけ安堵しながら、趙雲は馬謖に向き直った。

「馬幼常、なにかと不服があるやもしれぬが、それを訴えることに力を注ぐより、おのれの実力をみなに示すことに専念しようとは思わぬのか? いまのそなたは、うぬぼれた愚か者が、身の丈にあわぬ要求をして騒いでいるようにしか見えぬ。もっと厳しいことをいえば、おまえの姿は、じつに滑稽だ」
「このわたくしが、滑稽と?」
「そうだ。人間は位ではない。全身からにじみ出る風格だ。たとえ無位無官の人間でも、その内側に錦の心があれば、人は自然とその者に目を向けて、知らず、自分たちの上に押し上げてくれるものだ」
馬謖は、なにか思い当たったらしく、うんうん、と肯きながら、趙雲に言った。
「そうそう、思い出した。わたしはあなたに高みを目指せとかなんとか言われて、すっかり騙されたのだった。高いところへ登って見たけれど、高山病になっただけだった! もうあなたの言葉は聞かない!」
「…そういえば、そんな説教をしたことがある気がする」
背後で、偉度が、説教将軍が押されている! と呻いているので、趙雲は片手を伸ばして、その頭にゲンコツを落とした。
「よいか、人間は、とかく質なのだ。内側にある質を向上させねば、よき仕事を果たすことはできぬ。たといそなたが兄に並ぶ高位を与えられたとして、俺には、おまえのように世間を知らぬ者に、なにも為すことはできぬと思う」
「わたしは世間知らずなんかじゃない」
「どうだかな。場所が違って人が違えば世間を広く知った、ということにはならぬぞ。おまえは、見るに、いつも似たような世界、似たような士人としか付き合ってこなかった口であろう。そのように狭い社会のなかで生きる者を世間知らずというのだ」
「………」
馬謖は沈黙した。

趙雲はこの馬家の五男坊にほとほと呆れていたが、それでも憎みきれないのは、どこか孔明のように、良家の子息にありがちな世間知らずな面が、気の毒に本人にツケとなって返ってきているところが似ているからであった。
素直なところも似ている。
馬謖はなんだかんだと、ちゃんと人の言葉は吟味するのだ。

「まずは、位を上げてくれと騒ぐ前に、おのれの世間を広げるがいい。そうすれば、斯様に地位に拘ることもなくなるはずだ」
趙雲の世間とは、市井の貧民や義侠の者たち、そのほかさまざまな身分、出自の者たちが雑多にいる、ふつうの町を想定していた。
学問を修めたからとか、有名な私塾に通っていたから学がある、というものではない。
世の中には、たとえ文字や数字がわからなくても、一を聞いて十を知る類いの才能のある者たちが山ほどいるのだ。
そういったものたちに揉まれ、切磋琢磨することこそが世間を知ることであると思ったのであるが、馬謖は、ぱっと目を輝かせて顔を上げると、言った。
「わたしは目覚めましたぞ!」
「うん?」
「たしかにわたくしは世間知らずでございました。趙将軍、おことばありがとうございまする! 真に向かうべき道が見え申した!」
大げさだな、とうろたえつつ、趙雲は、感激のあまり目をキラキラとさせて手を握ってくる馬謖の好きなように任せておいた。
ともかく、説教が利いて、病床の孔明のもとへ押しかけなければそれでよい。
馬謖は感謝の言葉を山のように述べ、それから来たときと同様に、やはり意気揚々と帰って言った。
だが、なぜか釈然としない趙雲であったが…





数日後、趙雲は劉備に招聘され、宮城へ参内した。
行ってみると、劉備はしきりに首をひねっている。
「なあ、子龍よ、おまえ、馬家ンとこの白まゆげの弟に、なんか言ったかい?」
白まゆげの渾名はここにまで浸透していたのか、と思いつつ、趙雲は答えた。
「たいしたことは言っておりませぬ。なにか、抗議でもございましたか?」
「いんや。白まゆげの弟が、みんながいやがっていた、蛮族だらけの越嶲郡の太守を買って出てくれてな。大助かりなのだが、なーんか釈然としないのだ。
おまえ、なんだってあんなド田舎にわざわざ引っ込みたがるのだ、と聞いたのだが、すべては趙将軍のおことばのままに、とこうだよ。おまえがあいつに言ったことを、なるべく忠実に儂に聞かせてみてくれねぇか」
そこで趙雲は、言われるまま、馬謖にした説教を、そのまま繰り返したのだが、やがて劉備は、うーんと考え込んでしまった。
「それがしは、なにか間違いをしましたでしょうか」
「まちがい…というか、子龍よ。馬幼常のやつ、『まったくちがう世間』とやらを求めて、わざわざ蛮地に向かったんじゃねぇのかな」
「それは」
「だがよ、あそこで馬幼常が磨かれるかっていったら、儂は疑問だと思うぜ。学問の上じゃあ、あっちじゃあいつは一番になっちまう。賢者がやってきた、って具合にちやほやさせて、鼻っ柱がもっと強くなって帰ってこなけりゃいいのだがなぁ。そんなやつが、いつか中央に帰ってきて、なにか揉め事を起こさないといいのだが」

呼び戻そうかな、どうしようかな、と劉備は迷っていたようだ。
が、ちょうどよい人材がいなかったこともあり、結局、馬謖はしばらく彼の地の太守として過ごすこととなる。
そしてその期間、馬謖は劉備の想像どおり、あちこちからちやほやされて過ごした。


劉備のいやな予感が的中するのは、それから十四年後のことになるが、十四年もの期間を置いての失敗を、この一点に遡るのは、酷というものであろう。
ただ、街亭の戦いにおいての馬謖の失策を、老将となった趙雲が、まるでおのれのことのように悔しがった事情は、このことによって説明ができるであろう。
あくまで風聞であり、歴史にはあらわれていないのであるが。

つづく……


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