はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
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説教将軍 6

2018年06月28日 09時54分51秒 | 説教将軍


すでに日は落ち始め、あちこちの物陰から、虫の声が聞こえ始めている。
しかも家人たちはみな倒れてしまっているものだから、人の気配もなく、静かなものであった。
会話をすることすら憚られる気がして、孔明はしばらく黙って、趙雲の隣で、持ってきた書簡を見て、あれこれ決裁を下ろしていた。
やがて、夕餉の時間になると、これまた偉度が八面六臂の活躍をみせ、みずから厨に立ち、家人たちのための薬粥をつくって振る舞った。
ここまでくると、孔明は、おのれの主簿の優秀さが得意でならず、さきほどの馬鹿な悪戯は、もう忘れてやろう、衣裳と一緒に帯や帯飾りも用意してやろう、と考え始めていた。

さて、そうこうしているうちに夜もすっかり更け、孔明は趙雲の屋敷にやってきた使者に、決裁を下ろした書簡を託すと、同じく使いを出して、今宵は戻らない旨、己の屋敷のものに伝えさせに言った。
孔明は、偉度も屋敷に戻すつもりではあったのだが、
「では、朝餉はだれが用意するのです」
と、おおいに張り切っているのを邪魔するのが不憫であったので、好きなようにさせることにした。
思うに、偉度としては、これほどはっきりと他人様の役に立てること、そして直に感謝の言葉を述べられることが新鮮なのだろう。
本来なら、もっとたくさんの人の中で活かすべき人材であるのに、背負っている過去が邪魔をして、ほかならぬ本人が、目立つ役職に就きたがらない。
たとえ公の場でなくても、こういう機会を設けてやるべきだと思いつつ、孔明は趙雲の元へ戻った。
そうして、上着を脱ぎ、髪を解きはじめた孔明を、さきほどよりはずっと顔色のよくなった趙雲が、目をぱちくりとさせて見ている。
「なにをしている。風呂か。風呂ならば遠いぞ。ここは脱衣所ではない」
「風呂ならさっきもらったよ。そうではなくて、一緒に寝よう、子龍」
「は?」
おそらく、その「は?」は、これまで孔明が聞いた趙雲の言葉の中で、もっとも間の抜けたものであっただろう。
「だれと、だれが」
「わたしとあなたが。そしてさっさとわたしに風邪を移せ。今度はわたしが持ち返る」
「悪疫が脳にまで回ったか」
「しかし、風邪を治すには、だれかに移すのがいちばん早いぞ。わたしが移してしまったのだから、わたしに移すべきだ。ほら、筋が通っているだろう」
「筋は通っているが、その手段がなんだって?」
「一緒に寝るのさ。いや、ちょっと待て。妙なことは考えるなよ。というより、いまこの瞬間より、妙なことは一切合財、頭より消し去れ。わたしは、あなたに添い寝をするのだ。添い寝。それだけ!」
「それだけか」
「ほかに何か期待しているのか? それなら、風邪が治ってから相談に乗るが」
「そんな相談、絶対にするものか。ああ、永遠にすることはない! というより、頼む、軍師、いや、軍師将軍殿、俺に寄るな」
「なぜ? わたしは、あまり経験はないが、ふつう、義兄弟や、それに類する仲のよい友同士というのは、よく同衾するものだろう。なにを恥じる」
「……言葉だけ聞いていると、すごいことを言われている気がする。なあ、おまえ、本当に風邪が治ったのであろうな。というより、風邪なのか? ちがう病になっているのではなかろうな」
「ちがう病とはなんだね、人聞きの悪い。あなたが鼾も歯軋りもせず、死人みたいに静かに眠ることは知っているよ。わたしだって行儀がよいものさ。だから、となりで大人しくしているので、気にせず風邪を移すがいい」
「兵卒どもに行軍命令を出すのとはわけがちがうのだぞ。そう簡単に風邪が俺からおまえに移るものか」
「やってみなければわからぬ。さあ、早いところ寝台の半分を私にゆずり渡せ。そうそう、美しく二等分だ。枕も借りてきた。完璧だ」
「本当に待ってくれ。別の疑問がわいてきたぞ。おまえ、本当に諸葛孔明であろうな。諸葛孔明に化けた偉度。そういう嫌な展開ではなかろうな」
「風邪がかなり進行しつつあるな。眠れ、子龍。わたしも眠る。それとも、特別に子守唄を唄ってやろうか。姉が得意だった歌があるのだが」
「いらん」
これでは埒が明かぬ、と判断した孔明は、さっさと寝台に横になる。
そして、転がり落ちるようにして逃げようとするが、しかし熱のため(普段ならばとうていありえないことに)あっさり趙雲を捕まえて、横にした。
「おまえな」
「いいから、早く寝よう。そうだ、御伽噺でもするかね」
「それもいらぬ」
「話すことがないな。そうだ、うちの屋敷に野良犬が忍び込み、仔犬を産んだというほほえましい話で、なにやらひきつっているあなたの顔を、やわらかいものにかえて差し上げようか」
「犬? 犬がどうしたというのだ。犬が俺のいまの苦境のなんの役に立つ!」
「苦境を脱するためにも、早く風邪を移したまえ。こちらはなにやら眠くなってきたぞ。お休み」
「おい?」

趙雲は、まだなにやらがみがみと言っていたが、孔明は頓着せず、そのまま眠気にまかせて目をつぶった。
まったく、たまに人の寝顔をなにやらじっと見る変な癖のある男の癖をして、こうあらたまると、なんだって照れたりするのだ、へんなやつ。
寝ている間に逃げ出す、ということのないよう、孔明は体を横にして、趙雲の手首を掴んだまま、寝入った。
こちらがすっかり口を閉ざしてしまうと、趙雲は、最後のわるあがきとして、孔明の指を一本一本取って、逃げようとしていたが、結局果たせず、隣に横になったのが、寝台の揺れでわかった。
そうそう、最初から大人しくしていればよいのだ。

「子龍」
起きていたとは思わなかったらしく、仰天した趙雲が起き上がろうとするのを、孔明は手首に力を籠めて留めた。
「いま思い出していたのだが、子供の頃から、これだけ近くに人がいる状況で眠ったことがない」
「乳母とか、弟とか、姉君とか…細君とか、いただろう」
「妻は…あれは妻というより同志だからな。彼女は別として、うちでは、わたしが『皇帝』だったのだよ。なぜあそこまで徹底して特別扱いされたのか、いまもってよくわからぬ」
「跡取り息子ということで、期待があったのではないか。その…没落を防ぐためにも」
「そうなのかな。姉上は荊州なので、いまお話を聞くことは叶わぬが、異腹で、年が違いすぎる、ということもあったのだろう。いくらか年が近いはずの均も、わたしにすこし遠慮があるし、兄に関してはもう、いわずもがな」
「うむ?」
「特にオチがある話ではないのだ。いままで考えたことがなかったのだが、やはり、わたしの母上という方は、何者であったのだろう。どうして、わたしばかり誰にも似ていないのだろう。不思議だな。わたしは、ほかの、書物さえめくれば見つけられる事項や、部下たちの家族のことや、どんな出自であるかなどはよく知っているのに、自分のことがよくわからない」
明かりの消した闇のなか、しばらく沈黙が続いた。
寝息が聞こえないことから、おそらく趙雲はまだ眠っていないだろう。
孔明は答を期待していなかったから、そのまま目を閉じていたが、やがて、声が聞こえた。
「俺とて、自分のことがよくわからない。迷いがあるのもしょっちゅうだ。家人に、やたらと若い娘が多いだろう?」
「うん」
「周囲が気を回して、いろいろと世話を焼いてくれているのだ…いや、これは本音ではないな。結局のところ、俺と婚姻でつながりをもてば、おまえとも繋がりができる。そういう野心を持っている者が、女を使って近づいてくる。最近は、特にひどい」
「そうであったか」
「いっそ、そういった争いとまるで関係のない女を娶ってしまえばよかろうと思うのだ。だが、心をあずけることのできない、ただの盾として必要とする『妻』など、そこいらにある家具と同じではないか。ある程度、生活は保障してやれるし、共に暮らせば情も湧く。だがそれ以上となると、無理だ」
「決まったものでもなかろう」
「わかる。無理だ。だから俺は、おそらくずっと一人で生きていく。だがな、ちゃんと覚悟を決めているはずなのに、こういうふうに体が弱くなると心も弱くなるようで、本当にこのままでよいのか、だれもいなくなって、一人になってしまうのではないかと、柄にもなく沈み込むわけだ…おい、ひっつくな、気味の悪い」
「うるさい」
孔明は言うと、闇の中の趙雲の体の肩のあたりに、子供のように腕を伸ばした。
「もっとそばにいたほうが、ずっと風邪の移りが早くなる。それだけだ。それだけなのだぞ」
そうして、その肩に頭を預けるような形で、孔明はふたたび目を閉じた。
片側に寄せた頬にあたるぬくもりが、ふしぎと心地よく、それからほどなく、深い眠りにはいったのであった。





さて、翌朝。
計画通りであれば、首尾よく風邪になっていなければならないのであるが…
「完全な健康体だ。それになんと清清しい朝であろう。声も戻ってきたぞ。あなたは?」
と、中庭に面した欄干で、大きく伸びをして気持ち良さそうにしている孔明に、まだぼんやりした顔をしている趙雲は、しばし考えたあと、
「熱が下がったようだ」
と答えた。
「風邪はどこへ行ってしまったのかな」
「知らぬ……どこかな」
とはいえ、あちこち探して悪疫が箪笥のうしろに隠れている、というものでもなし。家人のなかにも回復したものがいたようで、趙家はおだやかな朝を迎えたのであった。
趙雲はしばらく憮然として、あまり目を合わせないようであったが、昼も過ぎるとすっかり元通りになり、熱が下がったせいもあるのだろうが、かえって機嫌がよくなり、孔明もまた、安堵したのであった。





やれやれ、人助けとは心地よいものだと孔明が喜んで自邸に戻ってくると、なにやら見慣れた衣を幾重にもまとった、あやしげな物体が廊下をウロウロしている。
なにごかと見れば、青白い顔をした偉度なのであった。
偉度は孔明の姿を見つけると、むずむずする鼻をうごめかせながら、なさけない顔をして言った。
「おごどばどおり、おめじもの(お召し物)はいだだいでまいりまつ」
「それは構わぬ。役立てよ。それより、おまえが風邪をひいたのか…そうか。わたしは本意ではなかったとはいえ、事前に薬を飲んでいたから、風邪がうつらなかったが、悪疫の蔓延する中、張り切っていたおまえはまともにその餌食になったというわけか」
「びどだずげなどもうごりごりでず」
「そういうな。たいした働きぶりであったぞ。ふむ、何枚も重ねていると孔雀のようだが、やはり似合うようだな、よかった」
鼻をずみずみ、と鳴らしつつ、偉度はこくりとうなずいた。
どうやら悪寒が止まらずに、何枚も衣を重ねて纏っていないと、我慢ができない様子であるらしい。
中には、与えるつもりではなかったものもあったが、偉度の趙雲の屋敷での奮闘振りを思い出し、まあ、あれの褒美としてやってよいか、と孔明はすぐにあきらめた。
「ときに、おまえ、寝ていなくてはだめではないか。だれぞに部屋を用意させてもよいのだぞ。どこへいく」
「おもでにでで、いぢばんざいじょにあっだにんげんに、うづじでまいりまつ」
「……あまり人さまに迷惑をかけるでないぞ」
「いっでぎまず。ごげんどうをおいのりくだざい」
言いつつ、ずるずると孔明の衣裳を頭からすっぽりかぶって、裾を引きずりながら、偉度はふらふらと表に出て行った。

その後、偉度が最初に遭遇した人物は董允であった。
このお人よしの青年が、偉度の思惑も知らず、うっかり風邪をもらってしまい、それをきっかけとして、その後費褘→費伯仁→董和→馬良→孔明→趙雲→偉度→董允、とその後数ヶ月におよび果て無き連鎖を繰り返すことになる。
そうしてあらかたの家庭訪問を終えた悪疫は、最後は寝込んだ趙雲をからかいにきた張飛のところへついて行ったのだが、そのあたりで消滅した。

かくて悪疫の禍は過ぎ去ったのであるがその後、左将軍府を中心とする人間関係が、その後微妙にぎくしゃくしたのは、言うまでもない。

まだつづく。

次回は「説教将軍 あなたはわたしのおともだち」です。


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